劣等生と落伍者(Re:)   作:百済 影炎

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第六話 告げられた現実

 事故から九日後。

 

 白い天井が、ぼやけた視界の中に浮かんでいた。

 

 鼻を突く消毒液の匂い。

 規則的な電子音。

 身体のあちこちに走る鈍い痛み。

 

「……っ」

 

 微かに呻いた瞬間、傍らから椅子の軋む音がした。

 

「――龍くん?」

 

 聞き慣れた声だった。

 

 霞んだ視界の先。

 ベッドに縋るようにしていた少女が、弾かれたように顔を上げる。

 

 青みがかった銀髪。

 泣き腫らしたエメラルドグリーンの瞳。

 

「龍……っ、龍くん……!」

 

「……氷華、ちゃん……?」

 

 掠れた声だった。

 

 次の瞬間、南海氷華は堪え切れないように龍の手を握った。

 

「よかった……っ、本当に……っ、目、覚まして……!」

 

 震える声。

 ぼろぼろと零れ落ちる涙。

 

 龍はぼんやりと瞬きをした。

 

「……僕、どれくらい……?」

 

「九日……」

 

「九日……?」

 

「ずっと眠ってたの……。お医者様も、いつ目を覚ますかわからないって……」

 

 氷華は言葉を続けようとして、途中で唇を噛んだ。

 

 龍はまだ上手く働かない頭で、ゆっくり記憶を辿る。

 

 崩れる天井。

 轟音。

 熱。

 誰かの叫び声。

 

 そして――。

 

「お父さんと、お母さんは?」

 

 ぴたり、と。

 病室の空気が止まった。

 

 氷華の肩がびくりと震える。

 

「……氷華ちゃん?」

 

「っ……」

 

 彼女は答えられなかった。

 

 ただ、俯いたまま龍の手を強く握る。

 

「……そっか」

 

 静かな声だった。

 

 あまりにも静かすぎて、逆に氷華の顔が歪む。

 

「ち、違……っ、まだ……!」

 

 そこで、病室の扉が開いた。

 

 入ってきたのは、白衣姿の医師だった。

 

 年配の男性医師は、目を覚ました龍を見ると安堵したように息を吐く。

 

「百済君。意識が戻ったようで何よりです」

 

「……先生」

 

 医師は少しだけ視線を伏せた。

 

「いいですか、落ち着いて聞いてください。君のお父様とお母様について、話さなければなりません」

 

 氷華が「やめて」と言いたげに顔を上げた。

 

 だが、龍は小さく頷く。

 

「……聞きます」

 

 医師は数秒沈黙し、それから口を開いた。

 

「お二人は、崩落事故の際、君を庇われました」

 

「…………」

 

「救助時には、すでに――」

 

 その先は、最後まで聞かなくてもわかった。

 

 病室は静まり返っていた。

 

 氷華は泣いていた。

 医師も、言葉を探しているようだった。

 

 けれど、龍だけは。

 

「……そう、ですか」

 

 静かだった。

 

 泣き叫ぶことも。

 取り乱すことも。

 現実を否定することもない。

 

 ただ、布団の上で拳を握り締める。

 

 爪が掌に食い込むほど強く。

 

「龍くん……?」

 

 氷華が不安そうに名前を呼ぶ。

 

 龍は少しだけ視線を落とした。

 

「……最後まで、僕を守ったんだ」

 

 掠れた声だった。

 

「お父さんも、お母さんも」

 

「龍くん……っ」

 

「僕、生き残っちゃったんだね……」

 

 その一言に、氷華の表情が凍りつく。

 

「違う!」

 

 思わずというように、彼女は叫んでいた。

 

「そんな言い方、しないで……!」

 

「……氷華ちゃん」

 

「龍くんが生きててよかったって、みんな思ってる! 私も……っ、私は……!」

 

 涙で声を詰まらせながら、氷華は必死に言葉を続ける。

 

「だから、自分だけ残っちゃったみたいな顔、しないで……!」

 

 龍は少しだけ目を見開いた。

 

 それから、困ったように小さく笑う。

 

「……ごめん」

 

 けれど、その笑顔はあまりにも弱々しかった。

 

 今にも壊れてしまいそうなほどに。

 

 医師は一度咳払いをすると、慎重に話題を変えた。

 

「……もう一つ、問題があります」

 

「……那由他(なゆた)、ですよね」

 

 医師と氷華が同時に顔を上げる。

 

「妹さんには、まだ何も伝えていません」

 

「…………」

 

「現在の精神状態は比較的安定しています。ですが、強い精神的ショックは命に関わる可能性がある」

 

 龍は静かに聞いていた。

 

 医師は続ける。

 

「こちらとしても、伝える時期は慎重に判断したい。無理に今すぐ知らせるべきでは――」

 

「僕が行きます」

 

 即答だった。

 

 氷華が息を呑む。

 

「龍くん!?」

 

「僕が、那由他に話します」

 

「だ、だめ……! 今の龍くん、そんな状態じゃ――」

 

「でも、僕しかいない」

 

 その言葉に、氷華が詰まる。

 

 龍は俯いたまま、静かに続けた。

 

「那由他にとって、お父さんとお母さんは家族で……」

 

 一度、言葉が止まる。

 

「……僕は、お兄ちゃんだから」

 

 その瞬間。

 

 氷華は初めて理解した。

 

 目の前の少年は、まだ壊れてはいない。

 けれど今、壊れないように必死に立っているのだと。

 

 自分が泣けば。

 自分が倒れれば。

 きっと、妹はもっと傷つく。

 

 だから龍は、泣かない。

 

 自分と同い年の少年でしかないのに。

 誰よりも傷ついているはずなのに。

 

 “兄だから”という理由だけで、立とうとしている。

 

 氷華は唇を噛み締めた。

 

「……私も行く」

 

「氷華ちゃん?」

 

「龍くん一人じゃ、行かせない」

 

 涙の残る瞳で、氷華は真っ直ぐ龍を見る。

 

「龍くんが倒れそうになったら、私が支えるから」

 

 龍は少しだけ目を伏せ、それから微かに笑った。

 

「……ありがとう、氷華ちゃん」

 

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