「とりあえずそのケースの事は一旦置いとくか。ほら、飯行くぞ」
岩沢はそれ以上深く追及せず、軽く顎で出口を示した。
短いやり取りだったが、不思議と居心地の悪さはない。
巧は立ち上がりながら、食堂の中を見渡す。
制服姿の生徒達。笑い声。騒がしいはずなのに、どこか現実感が薄い。
まるで“学校っぽい何か”を無理やり再現しているみたいだった。
(……ここ、本当に死後の世界なのかよ)
心の中だけで呟く。
岩沢はそんな巧の様子を横目で見ながら、食券をトレーに置いた。
「まあ最初はみんなそんな顔するよ」
ひさ子も肩をすくめる。
「そのうち慣れる」
「慣れるっていうか、諦めるっていうか」
「どっちだよ」
小さな笑いが混じる。
その空気に押されるように、巧も席へ座った。
トレーの上にはラーメン、カツ丼、鍋焼きうどん。
その中でも問題なのは――明らかに湯気の量がおかしい鍋焼きうどんだった。
グツグツいっている。
もはや料理というより煮沸。
「……なんでこれ選んだんだよ」
思わず本音が漏れる。
「アンタの」
岩沢が平然と言う。
「この学食で一番熱いメニューだけど人気なんだぜ、新人歓迎にはちょうどいいかなって」
「…そういうことか」
巧は顔をしかめながら箸を伸ばす。
だが、
「っ……!」
指先に伝わる熱で、反射的に手を引っ込めた。
そのまま真顔で、
「フー……フー……」
慎重に冷まし始める。
しかもやたら真剣だ。
数秒。
さらに数秒。
まだ食べない。
「……アンタ、まだやってんの?」
ひさ子が呆れた声を出す。
「熱いんだよ」
ややキレ気味に巧が返す。
「いや分かるけどさ、限度あるだろ」
岩沢は横で小さく笑っていた。
その間に、二人の食事はどんどん減っていく。
巧だけが、まだ鍋焼きうどんと対峙していた。
まるで敵を観察しているみたいに。
「そういやアンタ、こっちに来たばっかなんだろ?」
ひさ子が箸を止める。
「“天使”の事とか聞いたか?」
巧の動きが少し止まる。
「天使?」
その単語だけ、空気がわずかに変わった。
岩沢が淡々と説明する。
「この学校の生徒会長」
「昨日会ったやつか」
巧は昨日の長い白髪の少女を思い出す。
「会ったのかよ!?」
ひさ子が身を乗り出した。
「で?」
岩沢は落ち着いたまま続ける。
「どうだった?」
巧は少し考えてから、
「……いきなり刃物出してきた」
「あー、いつも通りだな」
ひさ子が納得したように頷く。
その軽さが逆に怖い。
巧は呆れたように息を吐いた。
「ここ、まともな奴いねぇのか」
「失礼だな、新入り」
「少なくともアタシらは普通だぞ」
「どこがだよ」
そんなやり取りをしていた時だった。
白い長髪の少女――立花奏が、こちらを見ていた。
一瞬だけ視線が交差する。
だがすぐに、何事もなかったように逸れていく。
そこに感情らしいものは見えない。
(……変なやつだな)
乾はそう思いながら、再び鍋焼きうどんへ視線を戻した。
まだ湯気が立っている。
むしろさっきより勢いが増している気さえする。
「なあ乾」
岩沢がふと声をかける。
「アンタさ、長生きできなさそうだよな」
「は?」
「その猫舌で今までよく生きてこれたなって話」
「余計なお世話だ」
ようやく一口すすった瞬間。
「っっっ!!」
乾の肩が跳ねる。
「だから言っただろ熱いって」
「いや今のは罠だろ……表面は冷めてたのに中がまだ熱い……」
「鍋焼きうどんに騙されてんじゃねぇよ」
ひさ子が吹き出す。
「岩沢さん、ひさ子さん」
空気が少しだけ変わる。
視線が集まる。
赤紫がかった長い髪の少女――ゆりが、こちらへ歩いてきていた。
その存在だけで、周囲の空気がわずかに締まる。
「この人が例の新人?」
乾を見る視線は、軽い確認と観察が混ざっていた。
「そう。例のかは知らんけど探してたのか?」
岩沢が淡々と答える。
「へぇ」
ゆりは乾の前に立つ。
乾はまだ鍋焼きうどんと格闘していた。
「……フー……」
「……」
ゆりの眉がわずかに動く。
「ちょっと」
反応なし。
「ねえ」
まだ冷ましている。
「アンタ、人の話聞いてる?」
乾はようやく顔を上げた。
「今ちょっと忙しい」
「何がよ?」
「コイツ、油断すると口の中焼きに来る」
鍋を睨みながら真顔で言う。
数秒の沈黙。
ひさ子が吹き出す。
岩沢も肩を震わせていた。
ゆりは小さく息を吐く。
「……まあいいわ」
呆れと諦めが混ざった声だった。
そして視線を乾の横――ケースへ落とす。
「食べ終わったら、その人オペレーションルームに連れてきて」
それだけ言うと、ゆりは踵を返す。
巧はその背中を見送りながら、小さく呟いた。
「……なんか怖ぇな、アイツ」
「慣れろ」
岩沢が笑う。
「多分これから、もっと振り回されるぞ」