乾巧は死後の世界で目を覚ます。   作:小虎555

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閑話

 

閑話

 

昼休み。

 

中庭のベンチに、巧と岩沢は並んで座っていた。

 

巧はコーヒーを飲み、岩沢も手にした飲み物を口に運ぶ。

 

「そういや昨日ユイのデビューだったけど、ちゃんと聴いてたか?」

 

 

 

「そん時に天使が来たんだよ。普段と違うから聴く余裕無かった」

 

「そんな事言…」

 

 

岩沢が話していた、その時だった。

 

ガサッ!

 

「……ん?」

 

 

頭上から物音がした。

 

二人が顔を上げた瞬間――

 

ドンッ!

 

椎名が、どこからともなく降ってきた。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

突然、目の前に着地した椎名を、巧と岩沢は無言で見つめた。

 

数秒の沈黙。

 

 

「……お前、どっから降ってきた?」

 

 

巧が真っ先に口を開いた。

 

 

「上からだ」

 

「見りゃ分かる!!」

 

 

思わずツッコむ巧。

 

岩沢は飲み物を持ったまま、椎名と頭上を交互に見た。

 

 

「いや待て、歩いて来るとかはなかったのか!?」

 

「……この方が早い」

 

「だからってなぁ…」

 

 

椎名は二人の反応を気にする様子もなく、巧を見つめた。

 

その距離は、思った以上に近い。

 

巧はふと、椎名の顔に目を向けた。

 

……こうして近くで見ると、綺麗な顔してんだな。

 

普段はあまり意識していなかったが、整った顔立ちをしているのは確かだった。

 

気づけば、巧は少しの間、椎名の顔を見つめていた。

 

 

「……乾?」

 

 

隣から岩沢の声がした。

 

 

「……あ?」

 

「いや、何見てんのかなーって」

 

「……別に」

 

「ふーん?」

 

 

岩沢は巧の視線を追い、椎名の顔を見た。

 

それから、ニヤリと笑う。

 

 

「……まあ、椎名って綺麗な顔してるもんな」

 

「だから見てねぇって!」

 

「綺麗なのは否定しないんだな」

 

「うるせぇ!」

 

 

岩沢は笑いながら、巧の袖をつまんだ。

 

 

「……乾ってば」

 

「だからなんだよ!?」

 

「別にぃ?」

 

「お前な……」

 

 

そんな二人のやり取りを見ていた椎名が、ふと口を開いた。

 

 

「……私は綺麗な顔なのか?」

 

「「…………」」

 

 

二人揃って黙り込んだ。

 

 

「……いや、まあ、整ってるとは思うけどよ」

 

 

巧が答えると、椎名はわずかに視線をそらした。

 

 

「そうか……。そう言われると、なんだか落ち着かないな」

 

「…………」

 

 

岩沢は目を丸くした。

 

……え?

 

今、照れた?

 

椎名が?

 

今まで十年近く一緒にいたけど、こんな反応は一度も見たことがない。

 

なんだコイツ? 本当におかしいぞ……。

 

地震か何か来るんじゃないのか?

 

調子狂うなぁ。

 

 

「ははっ、椎名って可愛いとこあるじゃないかー」

 

 

岩沢は笑顔で言った。

 

「……か、可愛い?」

 

「あ……ああ、そうだ…な」

 

 

自分でも不自然なくらい、棒読みになってしまった。

 

椎名は首を傾げている。

 

巧は怪訝そうに岩沢を見ていた。

 

 

「……お前、なんか変じゃねぇか?」

 

「別に?」

 

 

岩沢は笑顔を崩さなかった。

 

 

「……ところで」

 

 

椎名が巧へ向き直った。

 

 

「ファ……はいず?」

 

「……ファイズか?」

 

「そう、それだ。映像で見た。お前が天使と戦っていたところを」

 

「ああ……」

 

 

巧は、以前ゆりに見せられた映像を思い出した。

 

……ああ、あれか。

 

あの時は特に気にしていなかったが、椎名もあの映像を見ていたらしい。

 

 

「……頼みがある」

 

 

椎名は真剣な表情で言った。

 

 

「私と戦ってほしい」

 

「……は?」

 

「ふぁいずとやらの姿で、私と戦ってほしい。お前の強さを確かめたい」

 

「いや、戦う理由ねぇだろ」

 

「……そうか」

 

 

椎名の表情が目に見えて曇った。

 

巧は困ったように頭をかく。

 

 

「……まあ、気が向いたらな」

 

「!」

 

 

椎名の顔がぱっと明るくなった。

 

 

「本当か?」

 

「今すぐとは言ってねぇぞ」

 

「それでも構わない。ありがとう」

 

「…お…おう」

 

 

岩沢は二人を眺めながら、口元を緩めた。

 

 

「へえー。乾って意外と優しいんだな」

 

「どこがだよ」

 

「椎名があんなに喜んでるじゃん」

 

「……別にそんなんじゃねぇよ」

 

「ふーん?」

 

 

岩沢は意味ありげに巧を見た。

 

 

「それにしても、さっきはずいぶん熱心に椎名の顔を見てたよな」

 

「はぁ!? 見てねぇよ!」

 

「……そうなのか?」

 

 

椎名まで首を傾げた。

 

 

「お前も真に受けるな!」

 

 

岩沢はとうとう吹き出した。

 

 

「あははっ! いやぁ、乾って面白いな!」

 

「何がだよ!」

 

 

ひとしきり笑った岩沢だったが、椎名の顔を見て、ふと口を開いた。

 

 

「……本当綺麗だな」

 

「……?」

 

「いや、なんでもない」

 

 

岩沢は笑ってごまかした。

 

……やっぱり珍しい。

 

普段の椎名なら、顔を褒められたところで「そうか」と流して終わりそうなものだ。

 

それなのに、さっきは少し照れていた。

 

何なんだ、いったい。

 

 

「で、用は終わりか?」

 

 

何気なく巧が聞いた。

 

 

「…まだある」

 

 

そんなことを考えていると、椎名が口を開いた。

 

 

「……私は、お前に一目惚れした」

 

「…………」

 

 

巧は固まった。

 

岩沢も固まった。

 

 

「……は?」

 

 

ようやく声を出した巧は、間の抜けた顔をしていた。

 

 

「……お前、何言ってんだよ」

 

「私は、お前が好きだと言った」

 

「いや、そこは聞こえてたけどよ……!」

 

 

椎名は真剣だった。

 

冗談で言っている様子はない。

 

だからこそ、巧はどう反応していいのか分からなかった。

 

岩沢も目を丸くして椎名を見つめている。

 

……え?

 

一目惚れ?

 

椎名が?

 

乾に?

 

さっきまでの違和感が、一気につながったような気がした。

 

 

「……私は強い人が好きだ」

 

 

椎名が続けた。

 

 

「お前が天使と戦っている姿を見て、惚れた」

 

「ああ……なるほど」

 

 

岩沢は思わず頷いた。

 

理由は分かる。

 

強い人が好き。

 

あの戦いを見て、巧に惹かれた。

 

椎名らしいと言えば、実に椎名らしい。

 

 

「……いや、なるほどじゃねぇだろ」

 

巧が突っ込んできた。

 

 

「お前、何納得してんだよ」

 

「いや、だって椎名らしいじゃないか」

 

「そういう問題か?」

 

「そういう問題だろ?」

 

岩沢はいつも通りの笑顔で返した。

 

 

けれど、胸の奥には妙な感覚が残っていた。

 

椎名が乾を好き。

 

ただそれだけのことなのに。

 

どうして、こんなに引っかかるんだろう。

 

 

「……椎名」

 

 

巧が真面目な声を出した。

 

 

「俺は、お前のことをほとんど知らねぇ。だから、今すぐお前の気持ちに応えることはできねぇ」

 

「分かっている」

 

椎名は静かに頷いた。

 

「返事が欲しくて言ったわけではない。ただ、伝えておきたかった」

 

「……そうか」

 

「……それと」

 

 

椎名は岩沢へ顔を向けた。

 

 

「岩沢。私がこいつを好きだと言ったら、お前は嫌か?」

 

「…………」

 

 

岩沢の笑顔が止まった。

 

嫌か?

 

そんなの、自分でも分からない。

 

そもそも、自分は乾の何なのだろう。

 

恋人でもない。

 

好きだと伝えたわけでもない。

 

乾が誰を好きになるかは、乾自身が決めることだ。

 

自分に、嫌だと言う権利なんてない。

 

……なのに。

 

どうして、すぐに「別にいいよ」と言えないんだろう。

 

 

「……あとで、ちょっと話そうか」

 

 

岩沢はそう答えた。

 

 

「……何の話だよ?」

 

 

巧が怪訝そうに尋ねる。

 

「別に?」

 

 

岩沢はいつもの笑顔に戻った。

 

「お前には関係ない話」

 

「……はぁ?」

 

「気にしない、気にしない」

 

 

岩沢はひらひらと手を振った。

 

椎名は二人を交互に見つめ、静かに頷いた。

 

「……分かった。岩沢、あとで話そう」

 

 

「ああ」

 

岩沢は笑顔で応じた。

 

……さて。

 

放課後、何を話せばいいんだろう。

 

そもそも、自分は何を話したいんだ?

 

岩沢は自分でも分からないまま、隣でコーヒーを飲み直す巧をちらりと見た。

 

……本当に、面倒なことになったな。

 

そう思ったのに、なぜかいつものように笑って済ませることはできなかった。

 

 

 

 

 

 

その様子を、校舎二階の窓から眺めている二人がいた。

 

一人は、Girls Dead Monsterのベース担当、ひさ子。

 

そしてもう一人は、金髪のツインテールを赤いリボンで結び、耳に通信機器を着けた少女、遊佐。SSSの通信オペレーターを務める少女だった。

 

 

「……ほう」

 

双眼鏡を覗いていた遊佐が、淡々と声を漏らす。

 

隣では、ひさ子が紙パックのジュースを飲んでいた。

 

 

「何だよ、遊佐。何かあったのか?」

 

「椎名さんが、乾さんの目の前に降ってきました」

 

「あー、ああいうのを見ると、改めてくノ一だったんだなって実感するよな」

 

「はい。驚きますね」

 

「まあ、いつものことだな。だがビックリはするだろ」

 

「はい、ビックリしてました」

 

「ん、当たり前のことを復唱せんでいい」

 

 

遊佐は首を傾げた。

 

 

「椎名さんにとっては、あれが楽な移動手段なので」

 

「いいよなぁ。アタシら、足がジーンってなるどころじゃないもんな……」

 

 

ひさ子は呆れながらも、窓の外に目を凝らした。

 

 

「……で、何してんだ?」

 

「乾さんが椎名さんの顔を見ています」

 

「へえ?」

 

「かなり見ていますね」

 

「……ぶっ!」

 

 

ひさ子がジュースを吹き出しかけた。

 

 

「お、おいおい! あいつ、椎名に見惚れてんのか!?」

 

「その可能性はあります」

 

「マジかよ……! あの乾が!?」

 

 

ひさ子は慌てて口元を拭き、再び窓の外を見る。

 

 

「で、どうなった?」

 

「岩沢さんが乾さんの袖を引っ張りました」

 

「……は?」

 

「岩沢さんは笑顔ですが、手を離していません」

 

「待て待て待て。何だその状況!?」

 

 

ひさ子はジュースを持ったまま身を乗り出した。

 

 

「三角関係でも始まってんのか!?」

 

「まだ判断できません」

 

「そりゃそうだけどよ!」

 

 

遊佐は淡々と双眼鏡を覗き続ける。

 

 

「岩沢さんが椎名さんの顔について何か言っています」

 

「顔?」

 

「椎名さんが自分の顔について尋ねています」

 

「…………は?」

 

 

ひさ子はストローをくわえかけたところで止まった。

 

 

「椎名が? 自分の顔を?」

 

「はい」

 

「いや、待てよ。あの椎名が自分の顔を気にするって……」

 

 

ひさ子は遊佐と窓の外を交互に見た。

 

 

「今日、何か変なものでも食ったのか、あいつ?」

 

「食事内容までは分かりません」

 

「いや、そういう意味じゃねぇよ!」

 

 

遊佐は淡々と続けた。

 

 

「岩沢さんが椎名さんを可愛いと言っています」

 

「……あいつ、そんなこと言ってんのか」

 

 

ひさ子は苦笑した。

 

 

「まあ、椎名にも可愛いとこがあったってことかねぇ」

 

「椎名さんがファイズの話を始めました」

 

「お、そっちか」

 

「乾さんに戦いを申し込んでいます」

 

「……あー、なるほど。そりゃ椎名らしいわ」

 

 

ひさ子はジュースを一口飲んだ。

 

 

「で、乾は?」

 

「最初は断りましたが、後日ならと答えました」

 

「へえ。意外と付き合ってやるんだな」

 

 

ひさ子は感心したように頷いた。

 

 

「……つーか、遊佐」

 

「はい?」

 

「お前、なんでそこまで細かく分かるんだ? あたしには口が動いてるくらいしか分かんねぇぞ」

 

「読唇術ですから」

 

「いや、それは分かってるけどさ……。いつ覚えたんだよ?」

 

 

遊佐は双眼鏡を下ろし、淡々と答えた。

 

 

「普段一人なので読唇術でも覚えて暇潰さなきゃやってられません」

 

「……そ、そうか。なんかスマン」

 

ひさ子は気まずそうに頬をかいた。

 

それから、少し考えて口を開く。

 

「……たまには音楽室に遊びに来いよ」

 

「……いいのですか?」

 

「当たり前だろ。遊びに来るくらい自由だし。あたしらがいたら、話し相手くらいにはなるだろ?」

 

「……そうですね。機会があれば、お邪魔します」

 

「おう、いつでも来いよ」

 

 

ひさ子は笑って答えた。

 

 

「……あ」

 

 

その時、遊佐が再び窓の外へ視線を戻した。

 

 

「どうした?」

 

「椎名さんが、乾さんに告白しました」

 

「ぶふぉっ!?」

 

 

ひさ子は飲みかけのジュースを吹き出しかけた。

 

 

「待て、ヤバい、鼻に……ゲホッ、ゴブッ……なんつう不意打ちだ……!」

 

 

目に涙を浮かべながら、ひさ子は鼻を押さえた。

 

 

「大丈夫ですか?」

 

「大丈夫に見えるか!? いや、それより今、何て言った!?」

 

 

 

涙目になりながら遊佐の肩をつかむ。

 

 

 

「今、何て言った!?」

 

「告白です」

 

「いや、聞こえてたよ! 聞こえてたけどさぁ!!」

 

 

ひさ子は双眼鏡を奪い取る勢いで窓の外を見た。

 

椎名は真剣な表情で巧を見つめている。

 

巧は困惑したような顔をしていた。

 

 

「……マジかよ。あの椎名が……告白……?」

 

 

ひさ子は口を半開きにしたまま固まった。

 

 

「いやいやいや、待て待て! 今日、何なんだよ!? 乾が椎名に見惚れて、椎名が照れて、その上告白!?」

 

「見惚れていたかどうかは、まだ確定していません」

 

「そこは今どうでもいいんだよ!!」

 

 

遊佐は小さく首を傾げた。

 

 

「岩沢さんも驚いています」

 

「そりゃ驚くだろ! あたしだって今、心臓に悪いわ!」

 

 

ひさ子は胸を押さえ、大きく息を吐いた。

 

 

「……はぁ。びっくりさせやがって……」

 

「『椎名さんは強い人が好きだ』と言ってます」

 

「まあ、椎名っぽいっちゃぽいけどさ。まだ意外だわ」

 

 

 

「椎名さんが岩沢さんに、何か尋ねています」

 

「まだ何かあんの!?」

 

「……『私がこいつを好きだと言ったらお前は嫌か?』」

 

「…………」

 

 

ひさ子はゆっくりとジュースをテーブルに置いた。

 

 

「……おい、遊佐」

 

「はい」

 

「今の、聞き間違いじゃねぇよな?」

 

「口の動きから判断する限り、間違いありません」

 

「……うっわぁ……」

 

 

ひさ子は片手で顔を覆った。

 

 

「そこまで聞くかぁ……。いや、椎名らしいっちゃらしいけどさぁ……!」

 

「岩沢さん、すぐには答えませんでした」

 

 

ひさ子は顔から手を離した。

 

 

「……そっか」

 

 

さっきまでの騒がしさが、少しだけ落ち着く。

 

 

「岩沢も、何か思うところがあるんだろうな」

 

「その後、『あとで、ちょっと話そうか』と答えました」

 

「……なるほどねぇ」

 

 

ひさ子は窓の外を見つめ、顎に手を当てた。

 

 

「こりゃ、あとで岩沢に聞くしかねぇな」

 

「そうですね」

 

 

ひさ子は再びジュースを手に取った。

 

 

「しかし、椎名が恋愛ねぇ……」

 

 

「ひさ子さん」

 

 

遊佐が静かに真っ直ぐ見つめながら呼ぶ

 

 

「ん?なんだ?」

 

 

とひさ子が首を傾げながら聞くと

 

 

「椎名さんは『強い人が好き』と言っていました」

「それがなんだ?」

 

 

ひさ子がストローに口をつける。

 

 

「『強い男が好き』とは言っていません」

 

「ぶっ!?」

 

 

今度は飲み込んだ直後だった。

 

 

「げほっ! お、お前なぁ!!」

 

 

ひさ子はむせながら遊佐を振り返った。

 

 

「ひさ子さんもある意味強いですよね」

 

「なんでアタシに振るんだよ」

 

「椎名さんの好みには合致する可能性があります」

 

「可能性を検討すんな!!アイツらには及ばねぇよ」

 

 

遊佐はいつもの無表情だった。

 

 

「何か問題が?」

 

「大ありだよ!!」

 

 

ひさ子は額を押さえ、深いため息をついた。

 

 

「……ったく、お前ってやつは……!」

 

「ひさ子さんは照れているのですか?」

 

「照れてねぇよ!!」

 

「そうですか」

 

「そうだよ!!」

 

 

遊佐は小さく笑った。

 

 

「ふふっ」

 

「……絶対わざとだろ、お前!」

 

「何のことでしょう?」

 

「とぼけんな!」

 

 

ひさ子は文句を言いながらも、とうとう吹き出して笑った。

 

 

「ははっ! くそっ、ほんと面白いことになってきたな!」

 

 

遊佐は再び双眼鏡を覗いた。

 

 

「まだ何か起きるかもしれません」

 

「……頼むから、次はあたしが飲み物飲んでない時にしてくれよ」

 

 

ひさ子はジュースを手に取り、今度は慎重に一口だけ飲んだ。

 

 

 

 

 

 

 

放課後。

 

人通りの少ない廊下の片隅で、岩沢は椎名を待っていた。

 

しばらくして、椎名がやって来る。

 

「……待たせたか?」

 

「いや、今来たところ」

 

岩沢は壁から背を離した。

 

「……で、話っていうのは、乾のこと?」

 

「ああ」

 

椎名は迷いなく答えた。

 

岩沢は思わず苦笑する。

 

「……そっか。やっぱりね」

 

「何か問題があるのか?」

 

「いや、そういうわけじゃないけどさ」

 

岩沢は頭をかいた。

 

「……あたしだったら、あんなふうに真っ直ぐ言えないだろうな」

 

「……?」

 

「いや、今のは忘れてくれ」

 

岩沢は手を振った。

 

椎名は少し考えてから、口を開いた。

 

「……私が生きていた時代は、いつ死んでもおかしくなかった」

 

岩沢は黙って聞いていた。

 

「だから、伝えられるうちに伝えておきたいと思った。言わないまま終わるのは、嫌だった」

 

「……そっか」

 

「私は乾が好きだ。その気持ちを隠すつもりはない」

 

椎名の言葉には、迷いがなかった。

 

岩沢は小さく息を吐いた。

 

「……ほんと、真っ直ぐだな。椎名は」

 

「そうだろうか?」

 

「そうだよ。あたしだったら、もっと色々考えちまう」

 

「……岩沢」

 

椎名は岩沢の顔をじっと見た。

 

「お前は、乾が好きなのか?」

 

「……は?」

 

岩沢は目を丸くした。

 

「なんでそうなるんだよ」

 

「先ほど、私が乾を好きだと言った時、お前の顔が変わった」

 

「……そんな顔してた?」

 

「ああ」

 

岩沢は視線をそらした。

 

「……仮にそうだったとして、どうするんだよ」

 

椎名は少し考えた。

 

「何もしない」

 

「……何もしない?」

 

「お前が乾を好きでも、私には止められない。お前が誰を好きになるかは、お前が決めることだ」

 

岩沢は黙っていた。

 

「私も、自分の気持ちを隠すつもりはない。だからといって、お前と争いたいわけでもない」

 

「……そっか」

 

岩沢は少しだけぎこちなく笑った。

 

「ま、乾が誰を選ぶかは、乾次第だしな」

 

「そうだな」

 

「……ただ、あいつは鈍いからさ」

 

岩沢は苦笑した。

 

「椎名が好きなら、ちゃんと言い続けた方がいいかもな。」

 

「……分かった。参考にしよう」

 

「参考って……もう告白したんだろ?」

 

「した」

 

「じゃあ、何の参考だよ」

 

「これからどうすればいいか、ということだ」

 

「……ああ、なるほどね」

 

岩沢は肩をすくめた。

 

「ま、頑張りなよ」

 

「岩沢もな」

 

「……だから、あたしは別に!」

 

思わず言い返しかけて、岩沢は口をつぐんだ。

 

椎名はそんな岩沢をじっと見つめていた。

 

「……何だよ」

 

「いや」

 

椎名は首を横に振った。

 

「何でもない」

 

「……変な奴」

 

岩沢はそう言って笑った。

 

二人は並んで歩き出す。

 

廊下の向こうから、誰かの声が聞こえてきた。

 

いつも通りの放課後。

 

いつも通りの景色。

 

それなのに、岩沢の胸の中だけは、いつも通りではなかった。

 

……あたし、何を気にしてるんだろう。

 

椎名が乾を好きだと言った。

 

ただ、それだけだ。

 

乾はまだ、誰の気持ちにも応えていない。

 

自分だって、乾に何かを伝えたわけじゃない。

 

それなのに。

 

……なんで、あんなに気になったんだろう。

 

岩沢は隣を歩く椎名を見た。

 

椎名はいつも通りの表情をしていた。

 

さっき、少し照れていたことが嘘みたいに。

 

……やっぱり、珍しいこともあるもんだ。

 

そんなことを考えて、岩沢は小さく笑った。

 

けれど、その笑顔がいつも通りだったかどうかは、自分でも分からなかった。

 

 






話を進めるためにこうせざるを得ませんでした。
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