EP6-5
椎名が先に立ち、岩沢はその後を追っていた。
まだ雨が降り続いている。
二人とも、しばらく口を開かなかった。
椎名は巧を傷つけたことへの後悔を抱えている。
岩沢もまた、巧が何を思い、何を恐れているのかを知らない。
だからこそ、今は本人から話を聞くしかなかった。
「……なあ、椎名」
「何だ?」
「乾って、今も意識があるんだよな?」
「……時折、目を覚ましている。だが、私が声を掛けても、ほとんど話そうとしない」
「……そっか」
岩沢は俯いた。
助けようとしても、巧はそれを拒んでいる。
それでも、放っておくわけにはいかなかった。
「……ほんと、あいつらしいよな」
「……乾らしい?」
「いや、何でもない」
岩沢は小さく息を吐いた。
巧とは、まだ知り合ってそれほど長いわけではない。
それでも、これまでの出来事を思い返すと、あいつがどういう奴なのか、少しずつ分かってきた気がする。
口は悪いし、愛想もよくない。
こっちが何か言っても、素直に受け入れるとは限らない。
けれど、誰かが困っていると、結局は放っておけない。
「……あいつ、アタシが罠にかかったときも助けてくれたんだよ」
椎名が振り返った。
「……そうなのか?」
「ああ。あの時は、まさか自分が庇われるなんて思ってなかったけどさ」
岩沢は、少しだけ苦笑した。
助けたあとも、特別なことをしたような顔はしていなかった。
まるで、それが当たり前だとでもいうように。
椎名は黙って聞いていた。
「こっちは何も知らなかったけど、あいつは、一人で戦ってたんだよな」
岩沢は前を向いた。
「……まあ、今思えば、あいつが何もかも話してくれるような奴じゃないのは分かるけどさ」
そう言って、岩沢は小さく笑った。
しかし、すぐに表情が曇る。
「……アタシが成仏しかけたときも、色々あった」
あのとき、自分は歌を歌った。
ずっと胸の中に抱えていたものを、ようやく歌にできた。
巧は、その歌を聞いてくれた。
そして、自分はこの世界に残ることを選んだ。
もちろん、あの選択をしたのは自分自身だ。
それでも、あのときの巧との出来事は、今でも心に残っている。
「……あいつには、助けられてばっかりだな」
岩沢はぽつりと呟いた。
「だから、いつか借りを返さなきゃって思ってたんだけどさ……」
そこで、言葉が途切れた。
今、自分は何をしているのだろう。
助けてもらった相手が苦しんでいる。
それなのに、本人は誰にも頼ろうとせず、一人で抱え込んでいる。
「……何やってんだよ、あいつ」
岩沢の声に、苛立ちが混じった。
「自分が何をしたのか分からないって悩んでるなら、話せばいいだろ……」
拳を握る。
「アタシたちだって、何も知らないんだ。あいつが何を見たのかも、本当に何があったのかもさ」
椎名は、何も言わなかった。
「それなのに、勝手に自分だけで答えを出して、勝手にいなくなるなんて……」
岩沢は唇を噛んだ。
心配だった。
無事でいてほしかった。
それなのに、巧は自分たちを遠ざけようとしている。
まるで、もう二度と関わるつもりがないとでもいうように。
(……無責任に助けんじゃねぇよ、バカ)
吐き出した言葉は、雨音に紛れて消えた。
椎名は、隣を歩く岩沢をちらりと見た。
「……あいつが何をしたのかなんて、アタシには分からない。話も聞かずに決めつけるつもりはないよ」
少しだけ、声が強くなる。
「それに、あいつが自分のことをどう思ってるのかは知らないけどさ。自分だけで全部決めて、アタシたちから離れれば済むなんて思ってるなら……」
岩沢は言葉を切った。
怒りが込み上げる。
けれど、その奥には、それ以上に強い心配があった。
「……そんなの、勝手すぎるだろ」
椎名は俯いた。
自分もまた、巧の気持ちを知らないまま、勝手に判断してしまった。
そして、取り返しのつかないことをしてしまった。
岩沢は、それ以上何も言わなかった。
今は、巧に会いたかった。
何を見たのか。
何を恐れているのか。
そして、なぜ自分たちを遠ざけようとしたのか。
ちゃんと話を聞きたかった。
「……椎名、まだか?」
「ああ。もうすぐだ」
椎名は足を速めた。
岩沢も、その後を追う。
やがて、二人は人目につかない場所へとたどり着いた。
「……っ!」
人目につかない場所で、巧は意識を失ったまま倒れていた。
その胸元には、椎名の小太刀が突き刺さっている。
「……乾」
椎名は膝をつき、巧の顔を覗き込んだ。
何度呼びかけても、返事はない。
普段なら、どれだけ不機嫌そうな顔をしていても、何かしら言い返してくる男だった。
それなのに、今は目を開ける気配すらなかった。
「……岩沢。気を失っているうちに、急いだ方がいい」
「ああ。分かってる」
岩沢は険しい表情で頷いた。
以前、椎名が小太刀を抜こうとした時、巧はそれを拒んだ。
だが、今は意識を失っている。
このまま放っておくわけにもいかなかった。
二人は慎重に小太刀を抜き、巧の様子を確かめた。
「……近くに小屋があったはずだ。そこまで運ぼう」
「ああ」
岩沢が巧の上半身を支え、椎名が足元を持つ。
二人は巧を抱え、雨の中を歩き始めた。
普段なら、誰かに肩を貸されることさえ嫌がりそうな男だ。
本人が目を覚ましていたら、きっと文句の一つも言っただろう。
けれど、今はそんな声も聞こえない。
「……乾」
岩沢が小さく呼びかけた。
返事はなかった。
「……ほんと、手のかかる奴だな」
いつもの調子で言ってみたものの、笑うことはできなかった。
隣を歩く椎名も、何も言わなかった。
自分が傷つけた相手を、今度は自分の手で助けている。
その事実が、重くのしかかっていた。
・
・
・
・
・
小屋に着くと、二人は巧を床に寝かせた。
岩沢は巧の様子を確かめ、椎名も濡れた身体を拭くのを手伝った。
「……目を覚ますかな」
岩沢が呟く。
「……分からない」
椎名は正直に答えた。
「そうか……」
岩沢は巧の顔を見つめた。
数日前まで、いつも通りに話していた相手だ。
それなのに、今はこうして目を覚ますのを待つことしかできない。
「……椎名。悪いけど、食べ物と水を持ってきてくれないか?」
「ああ。分かった」
椎名は頷くと、すぐに小屋を飛び出した。
足の速い椎名なら、拠点まで戻って食料を調達するのも早い。
岩沢はその背中を見送ると、再び巧に視線を戻した。
「……まったく。何やってんだよ、アンタは」
返事はない。
「……早く起きろよ」
岩沢は、巧のそばに座り直した。
しばらくして、椎名が戻ってきた。
手には、おにぎりと汁物、それから水の入ったボトルを持っている。
「……持ってきたぞ」
「お、ありがとな」
岩沢は受け取ると、食べ物を傍らに置いた。
「これだけあれば、とりあえず大丈夫だな」
「ああ」
椎名は再び巧のそばに座った。
二人は食べ物と水を用意したまま、巧が目を覚ますのを待った。
どれくらい時間が経ったのか。
巧が、ゆっくりと目を開けた。
「……っ」
ぼやけた視界。
見慣れない天井。
身体を起こそうとしたところで胸元に痛みが走り、巧は顔をしかめた。
「……目が覚めたか?」
聞き覚えのある声がした。
視線を向ける。
そこには岩沢が座っていた。
そして、その隣には椎名もいる。
「…………」
巧は二人を見たまま、黙り込んだ。
なぜ、ここにいる。
どうして、二人が自分を見ている。
考えるまでもなかった。
助けられたのだ。
自分が意識を失っている間に。
「……」
巧は何かを言おうと口を開いた。
だが、声が出てこなかった。
岩沢と目が合う。
気まずい。
どういう顔をすればいいのか分からない。
謝ればいいのか。
礼を言えばいいのか。
それとも、何も言わずに目を逸らせばいいのか。
考えれば考えるほど、言葉が出てこなくなった。
「……乾?」
岩沢が心配そうに顔を覗き込む。
「……いや」
ようやく出た声は、それだけだった。
「……そっか」
岩沢は、それ以上問い詰めなかった。
今はまだ、巧が何を考えているのか分からない。
それに、身体も相当弱っているはずだ。
「……とりあえず、何か食べよう」
岩沢は、持ってきたおにぎりと汁物を巧の前に置いた。
「水もあるからな」
「……いらねぇ」
間髪入れずに返ってきた言葉に、岩沢の眉が動いた。
「……は?」
「食欲ねぇんだよ」
巧は顔を背けた。
「……何日も食べてないんだぞ」
「だから何だよ」
「だから、食べろって言ってんの」
「……いらねぇって言ってんだろ」
岩沢は、しばらく巧を見つめていた。
それから、水の入ったボトルを手に取って差し出す。
「じゃあ、せめて水だけでも飲め」
「……いらねぇ」
「乾……」
「放っとけよ」
その言葉に、岩沢の表情が変わった。
「……乾」
声が低くなる。
「いい加減にしろよ」
巧は顔を上げた。
岩沢は、まっすぐに彼を見ていた。
「助けに来たアタシたちの前で、またそうやって全部投げ出すつもりか?」
「……別に、投げ出してなんか」
「じゃあ、何なんだよ!」
思わず声が大きくなった。
椎名がわずかに肩を揺らす。
それでも岩沢は、巧から目を逸らさなかった。
「食べない。話さない。何を聞いても答えない。……アタシらに、どうしろっていうんだよ!」
巧は黙り込んだ。
言い返す言葉が見つからなかった。
岩沢の声には怒りがあった。
「お前がいなくなる前に言ってたよな……自分が大勢を殺したかもしれないって……」
巧は伏せ目になり、無言になった。
あのとき、自分が口にした言葉。
忘れたわけではない。
「……アタシたちは死なないんだよ。どんなにやられたって、しばらくすれば戻ってくる。お前だって、さっきまでそうだっただろ?」
「……だからって」
「……乾」
反論しかけた巧の肩を掴み、椎名が静かに宥めた。
「……」
巧は口を閉じた。
岩沢は、少し息を整えてから続けた。
「化け物みたいに強い天使と、何度も死にながら戦ってきた奴らがいるんだぞ。椎名だってそうだ」
巧は岩沢の話を黙って聞いている。
「アタシらは陽動部隊だから、天使との直接の戦いには参加してないけどさ……」
岩沢は一度、言葉を切った。
「それでも、アイツらは何度も天使と戦ってきたんだ。何度やられたって、戻ってきて、また戦ってる」
「……」
「アンタが自分のことを怖がってるのは分かったよ。でも、それを理由に一人で全部抱え込んで、勝手にいなくなるのは違うだろ」
巧は何も言わなかった。
岩沢は、さらに言葉を続ける。
「お前が本当に暴走するかもしれないって恐れてるなら、アイツらは最悪、天使と組んででもアンタを止めようとするよ」
「……!」
巧が、わずかに顔を上げた。
「ゆりっぺ達をナメるなよ」
岩沢の声は強かった。
「アンタが何をしようとしてるのか分かったら、アイツらだって黙って見てるわけないだろ。自分を危険だと思ってるなら、なおさらだよ」
「……」
「それに、お前が言う化け物ってのも、まだよく分からないけどさ」
岩沢は、巧をまっすぐに見つめた。
「アンタが何を見たのかも、それが何を意味してるのかも、まだ分からないんだよ」
最初は怒鳴るようだった声が、少しずつ揺れ始めた。
「……分からないなら、話してくれればいいだろ……!」
岩沢は唇を噛んだ。
「何が怖いのか。どうして一人で勝手に決めちまったのか……ちゃんと話してくれよ!」
巧は、何も言えなかった。
岩沢は目元を拭おうともせず、言葉を続けた。
「アタシたちだって、お前が何をしたのかも、まだ何も分からない。なのに、勝手にいなくなろうとしたんだろ!」
「……」
「……だから、みんなを信じて、まずは話してくれよ……」
最後の言葉は、ほとんど涙声だった。
怒っている。
本当に腹が立っている。
それなのに、目の前の巧がまた何も言わずに遠ざかってしまうことが、どうしようもなく怖かった。
「……頼むからさ」
岩沢は震える息を吐いた。
「一人で全部決めないでくれよ……」
小屋の中が静まり返った。
巧は俯いたまま、膝の上で拳を握っていた。
自分は、二人に嫌われるつもりだった。
自分が何者なのか分からない以上、近づかない方がいい。
そう考えて、わざと突き放した。
それなのに。
岩沢は怒っていた。
泣きそうになりながら、自分に話せと言っている。
(……何やってんだ、俺は)
巧は、ゆっくりと食事へ視線を落とした。
「……分かったよ」
小さな声だった。
「……食えばいいんだろ」
岩沢は目を見開いた。
「……ああ」
それ以上は言わなかった。
ここでまた何か言えば、せっかくの返事を引っ込めてしまいそうだったからだ。
巧は、差し出された器を受け取った。
まずは水を一口飲む。
それから、おにぎりを手に取った。
しばらく手元を見つめる。
それから、ようやく一口、口に運んだ。
「…………」
味が、よく分からなかった。
それでも、もう一口。
さらに、もう一口。
何日もまともに食べていなかった身体には、少しずつ食事が入っていく。
「……っ、げほっ!」
急に咳き込んだ巧が、口元を押さえた。
「お、おい、大丈夫か!?」
岩沢が慌てて身を乗り出す。
巧は返事をしようとしたが、咳が続いて言葉にならない。
椎名がすぐに隣へ移動した。
「……乾、少し落ち着け」
背中に手を添え、ゆっくりとさする。
巧は苦しそうに咳を繰り返したが、やがて少しずつ呼吸を整えていった。
「……っ、はぁ……」
「……大丈夫か?」
椎名が尋ねる。
「……ああ。悪い」
巧は気まずそうに顔を背けた。
椎名は手を止めた。
「……謝る必要はない」
短く答えて、そっと手を離す。
岩沢も、ほっと息を吐いた。
「……ったく。焦らず食えって」
「……ああ」
いつものような返事だった。
ほんの少しだけ、いつもの巧が戻ってきた気がした。
岩沢は目元を拭い、苦笑した。
「……よし。食べ終わったら、話してくれるか?」
巧はしばらく黙っていた。
それから、小さく頷いた。
食事を終えた巧は、空になった器を傍らに置いた。
水も、少しずつ飲んだ。
まだ顔色は悪い。
身体にも力が戻ったとは言い難かった。
それでも、さっきまでのように目を逸らし続けることはなかった。
岩沢と椎名は、急かさずに待っていた。
「……直井に、記憶を見せられたんだ」
巧が、ぽつりと口を開いた。
「催眠術みたいなもんだった。……あいつが、俺の中にある記憶を引っ張り出した」
岩沢は黙って頷いた。
「……そこで、妙な光景を見た」
巧は言葉を探すように、ゆっくりと話した。
「周りに、人が倒れてた。……それで、自分の手が……いや、身体が人間じゃない……白い化け物みたいな姿になって、血まみれになってた」
椎名の表情が、わずかに強張る。
岩沢も、すぐには言葉を返せなかった。
「……あれが何だったのか、俺にも分からねぇ。いつの記憶なのかも、どういう状況だったのかも、はっきりしない」
「……その前の記憶が抜けていて、その光景だけが見えたということか?」
椎名が尋ねると、巧は戸惑うように「ああ」と答えた。
巧は自分の手を見つめた。
「でも……俺が何かをしたように見えた。大勢を襲ったのかもしれないって、そう思ったんだ」
「……それで、自分が化け物かもしれないと思ったのか?」
岩沢の問いに、巧は頷いた。
「……ああ」
短い返事だった。
「俺は、自分のことを何も覚えてねぇ。何者なのかも、どうしてここにいるのかも分からない。そんな状態で、あんな記憶を見せられたら……」
巧は言葉を切った。
「……自分が何をしたのか、分からなくなった」
小屋の中に、沈黙が落ちた。
「もし、本当に俺が大勢を襲ってたんだとしたら……」
巧は俯いた。
「そんな奴が、お前らのそばにいていいわけねぇだろ」
岩沢も椎名も、すぐには答えなかった。
巧は俯いたまま、しばらく黙っていた。
「……だから、俺は……」
一度、言葉が途切れる。
それでも、巧は続けた。
「……お前らと、距離を置こうと思ったんだ」
岩沢も椎名も、黙って聞いていた。
「俺が本当に危険な奴だったら……お前らまで巻き込むかもしれねぇだろ」
巧は俯いたまま、ぽつりと続けた。
「だったら、最初から近づかない方がいい。嫌われた方が、まだマシだと思ったんだよ」
自嘲するように、口元がわずかに歪む。
「……勝手な話だよな」
それでも、巧は二人から目を逸らさなかった。
何が真実なのかは、まだ分からない。
それでも今は、二人に自分の恐れていたことを話せた。
それだけが、これまでと違っていた。
巧は壁に背を預け、静かに休んでいた。
岩沢と椎名は、その向かいにいる。
先ほどまで、巧は自分が見た記憶について話していた。
自分の身体が人間ではない何かに変わっていたこと。
周囲には大勢の人間が倒れていたこと。
そして、自分の手が血に染まっていたこと。
それがいつの出来事なのかも、本当に自分が何をしたのかも分からない。
ただ、あの光景だけが頭から離れなかった。
「……とりあえず、アンタがこうなった原因を確かめないとな」
沈黙を破ったのは岩沢だった。
巧は顔を上げる。
「……原因って言われてもな。俺にも分かんねぇよ」
「だから確かめるんだろ?」
岩沢は腕を組んだ。
「お前がこうなった原因はアイツだろ? なんなら、記憶喪失も治せるかもよ」
「……直井か」
「ああ。あいつの催眠術で、あんな記憶を見たんだ。だったら、もう一度何かできるかもしれないだろ」
「……そう簡単にいくかねぇ」
巧は頭をかいた。
記憶が戻れば、何かが分かるかもしれない。
けれど、あの光景をもう一度見ることになるのなら、素直に喜ぶこともできなかった。
「……それに、何が分かったところでな」
「何だよ?」
「……いや、何でもねぇ」
巧は言葉を濁した。
岩沢は少しだけ眉をひそめたが、無理に聞き出そうとはしなかった。
代わりに、椎名へ視線を向ける。
「……椎名はどう思う?」
「私も、確かめた方がいいと思う」
椎名は静かに頷いた。
「何が起きたのか分からないままでは、また同じことになるかもしれない」
「……だな」
岩沢は巧へと視線を戻した。
「もちろん、アンタが何を思い出すかは分からない。でも、分からないからって放っておくわけにもいかないだろ。それに、何かあってその化け物とやらになっても、ゆりっぺ達がなんとかするさ」
「……他人任せだな」
巧が呆れたように言う。
すると、岩沢はすぐに言い返した。
「他人任せじゃない。アイツらを信頼してるんだ」
その言葉に、巧は口を閉じた。
「それに、そうなったらアタシも参加する」
椎名は、二人のやり取りを黙って見つめていた。
巧に対して、本気で怒っている岩沢。
それでも、岩沢は巧を突き放そうとはしなかった。
何を思い出したのか分からなくても、何が起きるのか分からなくても、向き合おうとしている。
……凄いな。
椎名は、そう思った。
自分は、巧の強さを知りたかった。
けれど、岩沢は違う。
巧がどれほど強いかではなく、今の巧自身を見ている。
……自分には、できなかったことだ。
岩沢は、いつものような軽い調子ではなかった。
ゆりやSSSの仲間たちが、何かあったときにどう動くのか。
これまで一緒に過ごしてきたからこそ、信じているのだろう。
「……アイツらなら、何とか出来るって?」
「そういうこと。もちろん、何でも簡単に解決できるとは思ってないけどさ。何かあったら、みんなで対処すればいいだろ」
岩沢は巧をまっすぐ見つめた。
「だから、まだ何が起きたのかも分からないうちから、一人で全部背負おうとするなよ」
「…………」
巧は視線を落とした。
自分が本当に人間ではない何かに変わっていたのなら。
あの記憶が、自分の過去を示しているのなら。
仲間たちに何かしてしまう可能性は、否定できない。
それでも岩沢は、最初から自分を遠ざけようとはしていなかった。
「……まあ、直井に相談するのはいいとして」
岩沢は一度言葉を切った。
「その前に、ちょっと考えないといけないことがあるんだよな」
「……何だ?」
「他人の記憶を見るってことさ」
巧の表情が、わずかに変わった。
岩沢は続ける。
「死後の世界じゃ、自分が生きてた頃の話をするのは別に禁止されてない。話したい奴が、自分から話す分にはな」
巧は黙って聞いていた。
「でも、他人の過去を勝手に聞き出すのはタブーみたいになってるだろ?」
椎名が小さく頷いた。
「……ああ。自分から話すのと、他人に聞かれるのは違う」
「そういうこと」
岩沢は肩をすくめた。
「記憶を見るってのも、結局は同じようなもんだろ。本人が話したくないことまで、こっちが知ることになるかもしれない」
小屋の中に、再び沈黙が落ちた。
巧は視線を落としたまま、何も言わなかった。
岩沢は、そんな巧を見つめる。
「……でもさ。アタシは知りたいんだよ」
巧が顔を上げる。
「お前が何を見たのか。何があって、あんなふうになったのか。ちゃんと知りたい」
岩沢は、少しだけ表情を曇らせた。
「……こっちだって、結構心配したんだからな」
「……悪かったよ」
「謝れって話じゃねぇよ」
岩沢はすぐに返した。
「ただ、何も分からないままじゃ納得できないんだ。アンタが一人で抱え込んで、勝手にいなくなろうとするなら、なおさらな」
巧は口を閉じた。
岩沢は視線を椎名へ移す。
「……椎名も、そうだろ?」
「……ああ」
椎名は静かに答えた。
「私は、乾を傷つけた」
その言葉に、巧の眉がわずかに動いた。
「……あれは俺が――」
「違う」
椎名が遮った。
普段の彼女にしては、珍しく強い口調だった。
「お前が何と言おうと、私がしたことだ。私は、そのことをなかったことにはできない」
椎名は一度目を伏せた。
「……だから、知りたい。乾が何を抱えていたのか。なぜ、あんな目をしていたのか」
それ以上、椎名は多くを語らなかった。
自分が何を知りたいのか。
それだけで、十分伝わっていた。
巧は二人を見比べた。
岩沢は心配している。
椎名は、自分を傷つけたことを悔やんでいる。
二人とも、ただ面白半分で過去を知りたいわけではない。
それは分かっていた。
だからこそ、断りにくかった。
「……いや、悪いとは思ってるけどよ。記憶って……まさか見たいって話か?」
「そうだ。椎名も、聞くだけじゃスッキリしないだろ?」
「……まあ」
「はぁ? だからって……」
巧は言いかけて、言葉を止めた。
自分の過去だ。
自分の知らない自分が、何をしていたのか。
それを他人に見られる。
自分ですら受け止めきれていないものを、二人に見せることになるかもしれない。
「うるさい!」
岩沢が声を上げた。
「アタシにも迷惑掛けてるし、椎名にも罪悪感を植え付けてるんだぜ!」
「……だからって……お前なぁ、それとこれとは……」
「お前なぁ、じゃない!」
岩沢は巧を睨んだ。
「アンタ、自分がどれだけ周りを振り回してるか分かってんのか? 心配させて、いなくなって、今度は一人で全部抱え込もうとしてさ!」
「……分かってるよ」
「だったら、こっちにも知る機会くらいよこせ!」
巧は言葉に詰まった。
岩沢は怒っている。
けれど、その声には心配していたことも、ずっと探していたことも滲んでいた。
「……それは、分かってるけどよ。だからって……」
「全部じゃなくていい」
岩沢は少しだけ声を落とした。
「キッカケになった記憶だけだ。お前があの時、何を見たのか。それだけなら、アタシたちにも見せられるだろ?」
「……」
「アタシたちも、お前が勘違いしそうな場面があったら、その記憶の証人になれる。お前が何を見たのか、一緒に確かめられるだろ」
椎名も、小さく頷いた。
「……私も、それでいい。お前のすべてを無理に知りたいわけではない」
巧は二人を見つめた。
正直、気は進まない。
自分でも受け止めきれていない記憶を、誰かに見せることになるのだから。
それでも、二人の言葉を聞いていると、いつまでも拒み続けるわけにもいかないと思えた。
「……分かった」
二人が巧を見る。
「……ただし、あの時の記憶だけだ。それ以外は勝手に見ようとすんなよ」
「……ああ!」
岩沢の表情が、ようやく少し和らいだ。
「分かってるって。そこはちゃんと守るよ。まあ、そもそも直井にどこまで出来るかもまだ分からんけどな」
「…………」
巧は、じとっとした目で岩沢を見た。
まるで、できなければいいのに、とでも言いたげな顔だった。
「……何だよ、その目は」
「……別に?」
「ふーん……」
岩沢が呆れたように声を上げる。
「お前、今『できなきゃいいのに』って思っただろ?」
「思ってねぇよ」
「顔に出てんだよ!」
「生まれつきだ、ほっとけ!」
「便利な言い訳だな」
岩沢は思わず吹き出した。
椎名も二人を見比べ、少しだけ首を傾げる。
「……直井にできなければ、記憶を見せずに済むと?」
「……椎名、お前は余計なこと言うな!」
「……そうか。すまない」
素直に引き下がる椎名。
その横で、岩沢はまだ笑っていた。
「ま、できるかどうかは直井に聞いてみないとな。できるってんなら、ちゃんと約束どおり、あの時の記憶だけ見せてもらおう」
「……分かってるよ」
巧は不満そうに答えた。
自分で了承した以上、今さら文句を言うつもりはない。
……ないのだが。
「…………」
巧は、もう一度岩沢を見た。
「……だから、その目をやめろって!」
「うるせぇな!」
小屋の中に、二人の言い合う声が響く。
椎名はそんな二人を眺めながら、静かに息を吐いた。
まだ、何も解決していない。
あの記憶が何を意味するのかも分からない。
それでも、今度は一人で抱え込むのではなく、二人と一緒に確かめる。
巧は、そう決めたのだった。
「……ところでさ」
話がひと段落したところで、岩沢が鼻を動かした。
「……ん?」
「お前、臭うぞ……今日は戻って風呂入れ」
「分かってんだよ! いちいちハッキリ言うな!」
「いや、だって事実だし」
「うるせぇ!」
岩沢は声を上げて笑った。
椎名も、少しだけ首を傾げる。
「……確かに、少し臭うな」
「お前まで言うんじゃねぇ!」
「……すまない」
そう言いながらも、椎名の表情にはほんの少し笑みが浮かんでいた。
張り詰めていた空気が、ようやく緩む。
「……じゃあ、今日は戻るか」
岩沢が立ち上がった。
「ああ。明日、音無に話してみよう。直井に取り次いでもらうんだ」
「……分かった」
椎名も頷いた。
巧はまだ胸に痛みの名残を感じながらも立ち上がり、二人の後に続いた。
まだ不安は残っている。
それでも、少なくとも今は、一人で逃げ続ける必要はない。
そう思えたことが、少しだけ救いだった。
翌日
SSSの拠点。
椎名は、ゆりの姿を見つけると足を止めた。
「……ゆり」
「ん? 椎名さん?」
ゆりは少し意外そうに顔を上げた。
「どうしたの? あなたから話しかけてくるなんて、珍しいわね」
「……直井はどこにいる?」
「直井くん?」
ゆりは眉を上げた。
「……椎名さんが、直井くんに用事?」
「ああ。少し、頼みたいことがある」
「ふーん……」
ゆりは腕を組み、少し考えるような仕草をした。
「探してるのは分かったけど、アイツ、音無くん以外の言うこと聞かないわよ」
「……そうなのか?」
「そうなのよ。あたしが何を言っても反抗するし、ほかのメンバーにも相変わらずだしね」
ゆりは小さくため息をついた。
「音無くんが言えば別だけど。あの二人、変なところで信頼関係ができてるみたいだから」
「……なら、音無に頼めばいいのか」
「まあ、そうなるわね」
ゆりは椎名の顔を見た。
「……それで、何を頼むつもりなの?」
「……それは、本人に話す」
椎名は短く答えた。
ゆりは一瞬だけ目を丸くしたが、それ以上は追及しなかった。
「そっか。まあ、音無くんに話すなら、食堂か教室を探せば見つかるんじゃない?」
「……分かった。ありがとう」
椎名は軽く頭を下げ、その場を離れた。
ゆりは、遠ざかる背中を見送りながら首を傾げる。
「……椎名さんが誰かに頼み事ねぇ」
何か事情があるのだろう。
けれど、本人が話す気になるまでは、無理に聞くこともない。
ゆりはそう判断し、再び自分の席へ着いた。
直井に直接頼んでも、話を聞いてもらえない。
ならば、音無に間に入ってもらうしかない。
「……音無」
椎名は小さく呟いた。
巧の記憶を確かめるために。
そして、あの日の自分が何を見落としたのかを知るために。
今度こそ、逃げずに向き合おうと決めていた。
6-2から4を変更しました。