廊下を歩く足音が、静かな校舎に響いていた。
熱々の鍋焼きうどんとの死闘を終えた巧は、岩沢とひさ子に連れられるまま歩いている。
「……一杯食うのに時間かけすぎだろ」
前を歩きながら、ひさ子が呆れた声を出した。
「仕方ねぇだろ。あれは熱いとかじゃなくて兵器だ」
「鍋焼きうどんを兵器扱いするやつ初めて見たわ」
岩沢が横で少し笑う。
巧は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「お前ら普通に食ってたけど、絶対舌イカれてるだろ」
「アンタが弱すぎんだよ」
「いやアレは普通じゃねぇ」
そんなやり取りをしながら歩いていると、少し先に二人組の姿が見えた。
青髪の青年と、もう一人。
どちらも制服姿だ。
「……あっちの片方、見ない顔だな」
岩沢が目を細める。
「新入りかもな」
窓の外には森が広がっている。
学校の廊下のはずなのに、外だけ別世界みたいだった。
巧はその景色を眺めながら、小さく呟く。
「学校って感じはするのに、中身が妙なんだよな……」
「死後の世界だからな」
ひさ子が当然みたいに返す。
「慣れるしかない」
「その“慣れる”って言葉、便利だな」
巧がぼやく。
少し歩いたところで、前の二人がある部屋の前で止まり、そのまま中へ入っていった。
岩沢が軽く顎を上げる。
「やっぱあいつらも拠点行きか」
「拠点?」
巧が聞き返す。
「校長室」
ひさ子が答えた。
その瞬間、巧の足が少し止まる。
「……校長室?」
「正確には“元”な」
ひさ子がニヤッと笑う。
「今はゆりっぺが勝手に占領してる」
「無理やり奪ったから可哀想だったな」
岩沢が淡々と補足する。
巧は少し黙る。
(占領、ねぇ……)
まるでヤクザのアジトみたいだな、と心の中で思った。
「ほら、ここ」
ひさ子が扉の前で止まる。
「入るぞ」
扉が開いた。
中にはすでに何人か集まっていた。
校長机の前には、食堂で見た少女――ゆり。
その後ろには、本来校長が座るはずだった椅子。
完全に乗っ取っている。
壁際には、さっき見かけた青髪の青年。
さらに奥には、制服姿の少女が静かに立っていた。
空気が妙に張っている。
(……ほんとにアジトじゃねぇか)
巧がそんなことを考えている間に、ひさ子は勝手にソファへ座り込んだ。
「ふぅ、疲れた」
岩沢も近くの椅子へ腰掛け、持ち歩いてたギターを手に取る。
軽く弦を鳴らす音。
その自然さが逆に異常だった。
「来たわね」
ゆりが歩み寄ってくる。
「連れてきたぞ、新入り」
ひさ子が軽く手を振る。
壁際の青髪の青年も笑った。
「よろしくな」
ゆりが視線を向ける。
「名前は?」
「乾巧」
「……音無だ」
少し遅れて、もう一人の青年も名乗った。
「俺は日向」
青髪の青年が軽く親指を立てる。
「よろしくな、新入り二人」
「雑だなその括り」
巧が即座に返す。
日向は笑った。
「いいじゃねぇか。同期ってやつだ」
ゆりは軽く息を吐いてから、本題へ入る。
「ここは死後の世界」
音無がわずかに目を細める。
巧は腕を組んだまま黙って聞いていた。
「そして生徒会長――天使が、この学校のルールを管理している」
その瞬間。
部屋の奥の少女が小さく口を開いた。
「……浅はかなり」
音無が思わずそっちを見る。
「喋った」
「失礼だな」
日向が苦笑する。
「椎名さんはちゃんと喋るぞ」
「……浅はかなり」
「ほらな」
「同じことばっかじゃねぇか」
巧が小さく呟いた。
岩沢が吹き出す。
少しだけ空気が和らいだ。
ゆりは説明を続ける。
「私たちは“天使”に抗う組織。死んだ世界戦線」
「随分物騒だな」
「実際物騒よ」
ゆりは即答した。
そしてそのまま、巧へ視線を向ける。
「あと乾くん」
「……なんだよ」
不機嫌そうにゆりの方を見る。
「鍋焼きうどん一つ食べるのに時間かけすぎ」
「まだ言うのかよ」
部屋の何人かが笑う。
ゆりは呆れたようにため息を吐いたあと、続けた。
「でも、天使の攻撃を防いだ件は聞いてるわ。変なケースで」
「変な言うな」
巧が即答する。
ひさ子が吹き出した。
「いや確かに変だろアレ」
ゆりはそのケースを見る。
「戦線に入るかは自由。でも、アナタには少し興味があるわ」
巧は眉をひそめる。
「……面倒事の匂いしかしねぇな」
「正解」
ゆりは即答した。
そのやり取りのあと、少しだけ間が空く。
ゆりはふと視線を落とし、続ける。
「それともう一つだけ」
空気がわずかに変わる。
音無が小さく目を細める。
「この世界ではね、“未練が消えた人間”はここからいなくなる」
巧が視線だけ向ける。
ゆりは淡々と続けた。
「それは死ぬって意味じゃないわ。ただ、“ここに居られなくなる”だけ」
ひさ子が軽く肩をすくめる。
「要は成仏みたいなもんだ」
ゆりは頷く。
「そうね」
「満足した、やり切った、もういいって思った。そういうので消える」
巧は少しだけ眉をひそめる。
「満足って、例えば?」
ゆりは少し考えてから答える。
「この世界でもうやり切った、とか…やることが全部終わった、とかそういう感覚ね」
音無がぽつりと口を挟む。
「じゃあさ、やり切ったって気づかないまま消えるやつもいるってことか?」
一瞬、空気が止まる。
ゆりは否定しない。
「……そういうこともあるわ…自分で気づかないまま終わる場合もね」
巧が小さく呟く。
「気づかないまま終わるのかよ」
ゆりは静かに頷き
「そういうこともあるって話よ」
ゆりは続ける。
「それと、恋愛関係も同じよ」
巧が眉をひそめる。
「想いを伝えた瞬間に消えるやつもいるし、何も起きないやつもいる」
「成功したか失敗したかは関係ないわ。返事がどうであれ、“伝えきったかどうか”で終わることがある」
音無が小さく呟く。
「……伝えただけで、か」
ゆりは頷く。
「ええ…むしろ、それが区切りになることもある」
日向はそれを聞いても軽く肩をすくめるだけで、深くは踏み込まない。
「戦線に入るかは自由。でも、アナタには少し興味があるわ」
巧は眉をひそめる。
「……面倒事の匂いしかしねぇな」
「その通りよ」
ゆりは即答した。
その返しに、今度は岩沢が少し笑った。
そして説明が終わる頃には、最初より部屋の空気は少しだけ軽くなっていた。
解散後
巧と音無は並んで廊下を歩いていた。
さっきまで騒がしかった空間が嘘みたいに静かだ。
しばらく無言が続いたあと、音無がぽつりと口を開く。
「なぁ」
「なんだよ」
「お前も……記憶、ないのか?」
巧はすぐには答えなかった。
廊下の先、自販機の光がぼんやり点いている。
その光を見ながら、小さく息を吐いた。
「……あぁ」
短い返事。
「気づいたら、ここにいた」
音無は少しだけ安心したように笑う。
「そっか。俺だけじゃなかったんだな」
巧は何も返さない。
ただ、自販機の灯りをぼんやり見ていた。
その光だけが、この世界で妙に現実っぽかった。