2-2
野田を失った一行は、そのまま通路の奥へ進んでいた。
誰も、さっきの事には触れない。
どうせ後で復活する。
それは全員分かっている。だが、目の前で巨大な鉄塊に潰される瞬間を見せられた直後では、軽口を叩く気にもなれなかった。
湿ったコンクリートの匂いが鼻につく。
靴音だけがやけに大きく反響し、その音が逆に周囲の静けさを強調していた。
通路の先は暗い。
どこまで進んでも同じ景色が続いている。
(武器庫ってより処刑場だろ、ここ……)
巧は前を見たまま、小さく眉をひそめた。
先頭を歩くゆりも普段より口数が少ない。後ろの日向や音無も無駄話をせず、ガルデモのメンバー達も周囲を警戒しながら進んでいた。
誰もが、次の罠を意識している。
それほどまでに、このギルドという場所は悪意に満ちていた。
そんな中、どこからか低い音が聞こえ始める。
ゴロ……
最初は誰も気に留めなかった。
地下施設なら機械音くらい鳴るだろう。
だが音は消えない。
むしろ少しずつ大きくなり、足元へ微かな振動まで伝わってくる。
ゴロゴロゴロ……
その瞬間、ゆりが足を止めた。
表情が変わる。
「後ろ!!」
鋭い声が通路へ響いた。
全員が反射的に振り返る。
暗闇の向こう。
そこから現れたのは、巨大な大岩だった。
人の背丈を遥かに超える岩石が、通路を埋め尽くす勢いで転がってくる。壁を削り、床を震わせながら迫る姿は、もはや罠というより災害だった。
「走れ!!」
日向の叫びと同時に、全員が前へ飛び出す。
誰も振り返らない。
立ち止まれば死ぬ。
それだけは全員理解していた。
轟音が背後から迫る。
空気そのものが震えていた。
巧も走りながら周囲を見ていた。
逃げ道を探しているわけじゃない。
この通路じゃ逃げ切れない。
必要なのは別の生き残り方だった。
その時だった。
視界の端で、岩沢の動きが止まる。
床の僅かな段差。
足を取られ、体勢が崩れる。
ほんの一瞬。
だが致命的だった。
大岩はもう近い。
岩沢の顔から血の気が引く。
巧は考えるより先に動いていた。
壁際を見る。
大岩と壁の間に、僅かな隙間。
立ったままじゃ無理だ。
だが伏せれば、可能性はある。
巧は岩沢の腕を掴んだ。
「っ!?」
そのまま強引に引き寄せる。
二人まとめて床へ倒れ込んだ。
直後。
巨大な大岩が真横を通過する。
轟音。
耳が潰れそうになる。
岩とコンクリートが擦れる音。風圧だけで髪が激しく揺れる。
ほんの数センチ上を、死が通り過ぎていった。
やがて轟音が遠ざかり、通路へ静寂が戻る。
岩沢はしばらく動けなかった。
呼吸が浅い。
耳鳴りがする。
「……おいっ!」
低い声。
顔を上げると、巧が立っていた。
「生きてるか?」
「……っ、あぁ」
巧はそれだけ確認すると、何事もなかったみたいに前を向く。
その背中を見ながら、岩沢はようやく自分が助かった事を理解した。
視線を動かす。
そして違和感に気付く。
人数が減っていた。
さっきまで後ろにいたガルデモのメンバーがいない。
入江も関根も見当たらない。
他にも、何人か消えている。
大岩に巻き込まれたのだろう。
岩沢は無意識に拳を握った。
自分も、本来ならあっち側だった。
「……ありがと」
ようやく出た声に、巧は振り返りもしない。
「たまたまだ」
その言葉を、岩沢は信じなかった。
巨大な大岩の罠を抜けた後も、一行の足取りは重かった。
復活する。
それは知っている。
だが、だからといって何も感じなくなるわけじゃない。
ついさっきまで隣を走っていた仲間が消え、自分達だけが先へ進んでいる。
その事実は、地下通路の湿った空気より重く、一行へ圧し掛かっていた。
通路には靴音だけが響いている。
普段なら騒がしい戦線メンバーも、今は誰も無駄口を叩かなかった。
そんな中、岩沢は黙ったまま歩いていた。
頭の中では、さっきの光景が何度も繰り返されている。
迫ってくる大岩。消えていく仲間。
自分もあと少し遅れていれば、確実に死んでいたという事実。
気付けば呼吸が少し浅い。
ふと視線を落とす。
指先が小さく震えていた。
無意識だった。
慌てて拳を握り締める。
だが、一度気付いてしまえば誤魔化せない。
怖かった。
何度見ても。
何度死を見ても。
怖いものは怖い。
「おい、岩沢」
不意に隣から声が飛ぶ。
顔を上げると、巧がこちらを見ていた。
「ん?」
「大丈夫か?」
短い言葉。
岩沢は一瞬だけ首を傾げる。
だが、巧の視線が自分の手元へ向いている事に気付き、慌てて拳を握り直した。
「……別に」
反射的にそう返す。
だが巧は即座に返した。
「別にじゃねぇだろ…手、震えてるぞ」
図星だった。
言葉が詰まる。
しばらく黙り込んだあと、岩沢は小さく息を吐いた。
「……情けないよな」
苦笑混じりだった。
「何回も見てるはずなんだけどさ」
そう言いながら、自分の手を見る。
震えはまだ止まり切っていない。
「やっぱ怖いもんは怖い」
静かな声が落ちる。
巧は少しだけ黙った。
だが、気の利いた慰めを言う男じゃない。
「普通だろ」
返ってきたのはそれだけだった。
岩沢が顔を上げる。
「え?」
「怖くねぇ方が変だ」
ぶっきらぼうな声。
でも馬鹿にしている感じはしない。
ただ、当たり前の事を言っているだけだった。
岩沢は思わず小さく笑った。
「なんだよそれ」
「事実だろ」
相変わらず愛想がない。
それでも、胸の奥に張り付いていた重さが少しだけ軽くなった気がした。
そんな二人の様子を見ていた日向が、前を歩きながら振り返る。
「お前らいつからそんな話す仲になったんだ?」
いつものニヤニヤした顔。
「うるせぇ」
巧が即答する。
「別にそんなんじゃない」
岩沢も同時に返した。
「ほら見ろ、息ぴったりじゃねぇか」
「日向、今はそういう空気じゃないだろ……」
高松が呆れたようにため息を吐く。
「だから重ぇんだって!」
そんなやり取りを交わしながら、一行はさらに奥へ進んでいく。
やがて、今までとは明らかに雰囲気の違う広い空間へ辿り着いた。
天井が高い。
横幅も広い。
向こう側には出口らしき扉まで見えている。
だが、ここまでギルドを進んできた誰も、その光景を素直に信用しなかった。
何もない。
だからこそ怪しい。
全員が自然と足を緩める。
そんな中、一人だけ堂々と部屋の中央へ歩いていく男がいた。
松下五段だった。
腕を組み、自信満々に周囲を見回す。
「ふむ――」
その瞬間、日向が頭を抱えた。
「嫌な予感しかしねぇ……」
高松も何かを察したように目を閉じる。
音無は苦笑し、ゆりは警戒を解いていない。
だが当の松下五段だけが、周囲の空気に気付いていなかった。
その時。
壁の一部が赤く光る。
ゆりの目が鋭く細まった。
「伏せなさい!!」
叫びと同時に、一筋の赤い光が部屋を横切る。
全員が反射的に床へ飛び込んだ。
頭上をレーザーが通過する。
反対側の壁へ到達すると、そのまま消えた。
静寂。
誰も被弾していない。
日向が恐る恐る顔を上げる。
「……あれ?」
次の瞬間。
再び壁が赤く光る。
今度は腰の高さ。
「跳べ!!」
ゆりの声。
全員が飛ぶ。
レーザーが足元を通り抜け、そのまま消える。
再び回避成功。
「なんだよ、避けられるじゃ――」
日向の言葉が止まる。
壁全体が赤く発光していた。
一本じゃない。
二本でもない。
無数の赤い線が、縦横無尽に部屋を走る。
格子。
巨大な檻。
誰も声を出せなかった。
避けられない。
その事実だけが、一瞬で理解できた。
松下五段の顔からも余裕が消える。
「……ふむ」
「だからその"ふむ"は何なんだよ!!」
日向の叫び。
そして次の瞬間。
格子状のレーザーが部屋を横断した。
「ぬおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
絶叫。
ほんの一瞬だった。
レーザーが消える。
静寂。
さっきまでそこにいたはずの松下五段の姿は、どこにもなかった。
誰もすぐには動けない。
岩沢も息を呑みながら、その方向へ視線を向けかける。
その瞬間。不意に、目の前が塞がれた。
「見るな」
低い声。
巧の手だった。
ぶっきらぼうで、強引な塞ぎ方。
でも、その手は最後までどかなかった。
岩沢は何も言えなかった。
見なくても分かる。
悲鳴だけで十分だった。
しばらくして、ゆりが慎重に部屋の安全を確認する。
壁の赤い光は消えていた。
「……もう大丈夫よ」
その言葉で、ようやく全員が動き出す。
巧の手が離れる。
岩沢はゆっくり前を向いた。
結局、最後まで松下五段のいた場所は見なかった。
ただ、背後から聞こえてきた日向の叫びだけは耳に残る。
「松下五段ーーーーーーーっ!!」
その声だけが広い部屋へ反響し、長く響き続けていた。
誰も返事をしない。
返ってくるはずもない。
そうして一行は再び歩き始める。
だが今度は、さっきまで以上に口数が少なかった。
大岩の時とは違う。
あまりにも近くで、あまりにも一瞬だった。
重い沈黙を引きずったまま部屋を抜ける。
再び細長い通路。
湿った空気。
響く足音。
そして、その沈黙を破るように――
前方で、微かな金属音が鳴った。