乾巧は死後の世界で目を覚ます。   作:小虎555

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EP2-4

 

乾いた金属音が通路に残響する中、巧の身体はその場に崩れ落ちたままだった。

何本もの槍が深く突き刺さり、動く気配はない。さっきまで普通に歩いていた人間が、まるでその瞬間だけ世界から切り取られたように静止している。

 

岩沢は、気づいた時には駆け出していた。

理屈じゃない。身体が先に動いていた。

「おい……!」

肩を掴む。揺さぶる。呼びかける。

返事はない。

顔を覗き込んでも、瞼は閉じたまま。呼吸の気配すら曖昧だった。

「……乾」

声が掠れる。

胸の奥が嫌な重さで満たされていく。

ここでは死なない。分かっているはずなのに、それでも目の前の“動かない誰か”は現実として重すぎた。

 

遅れて、ゆり達が合流する。

誰もすぐには言葉を出さない。ただ状況を確認する視線だけが交差していた。

やがてゆりが口を開く。

「先に進むわよ。ここに留まる方が危険だわ」

 

正しい判断だった。

ここはまだギルドの内部。次の仕掛けがいつ動くか分からない。

だが岩沢は動けなかった。

膝をついたまま、巧の肩から手を離せない。

「岩沢さん……大丈夫?」

 

ゆりの声は命令じゃない。ただの確認だった。

岩沢はすぐに答えられなかった。

喉の奥が詰まる。

やっとのことで首を振る。

「……すまん。足が動かない」

短い沈黙。

 

ゆりは一度だけ息を吐いた。

責めるでもなく、ただ状況を切るための呼吸。

「なら残ってて」

そして視線を倒れた巧へ向ける。

「ケースは回収するわ」

 

日向が軽く頷いた。

「了解だな」

銀色のケースが持ち上げられる。

それ以上の迷いはない。

 

ゆりは最後にもう一度だけ振り返った。

「……本当に大丈夫?」

今度は確認ではなく最終判断だった。

 

岩沢は、小さく頷く。

「……すまない、行ってくれ」

その一言で決まる。

 

ゆりは目を伏せたあと、短く答えた。

「分かった」

足音が遠ざかっていく。

やがて通路から完全に消えた。

残されたのは、岩沢と、動かない巧だけだった。

 

静けさが一気に落ちてくる。

さっきまでの喧騒が嘘みたいに遠い。

「……アタシなんかのために、無茶しやがって」

呟きは怒りでも感謝でもない。

ただ、整理できない感情の漏れだった。

 

岩沢は息を整え、まず一本目の槍に手を伸ばした。

金属は冷たい。重さがやけに現実的だった。

「……いくぞ」

自分に言い聞かせるように引き抜く。

鈍い抵抗のあと、肉から離れる感触。

次の一本。

また一本。

そのたびに胸の奥のざわつきが形を変えていく。

最後の一本が抜ける。

巧の身体が、わずかに変わった。

完全な静止ではなくなる。

浅く、途切れそうな呼吸。

それでも確かに“生きている側”の気配。

「……何度か見てるけど、本当不思議な光景だな」

この世界では、致命傷を負っても「いつの間にか」元の姿に戻っているのが普通だった。だが、こうして間近でその過程を見るのは初めてだった。

 

 槍が抜けた痕。

 ぽっかりと空いていたはずの傷口が、まるで時間を巻き戻すかのように収縮していく。

 

 血が止まり、肉が盛り上がり、皮膚がひとりでに塞がっていく。じわじわと、だが確実に肉体が形を取り戻していくその様子は、神聖というよりはどこか、生き物としての本能的な恐ろしさすら感じさせた。

 

 やがて、浅かった呼吸が徐々に深く、規則正しいものへと変わっていく。

 冷え切っていたはずの巧の肌に、微かな熱が戻ってくるのを、触れていた指先が感じ取った。

 

岩沢は肩を支え直し、壁際へ寄せる。

そのときだった。

 

 

――意識が、ふっと落ちた。

音が消える。

空気が消える。

感覚が、底のない場所へ沈んでいく。

暗い空間。

そこには“装置”だけがあった。

理由は分からない。

だが、身体だけが正しい動きを知っている。

指が触れる。

迷いはない。

「5」

「5」

「5」

Enter。

『STANDBY』

無機質な音。

空気が変わる。

何かが組み上がっていく圧力。

まだ“人間”だったものが、少しずつ別の形へずれていく。

『COMPLETE』

赤い光。

視界が反転する。

装甲が重なる。

自分の輪郭が書き換えられていく。

戦うための身体。

守るための力。

そこで、途切れた。

冷たい感触。

音。

呼吸。

 

「……ここは?」

かすれた声。

地下通路。

現実。

 

『おいっ!』

遠くから声がする。

その声に引き戻されるように意識が浮上する。

巧のまぶたがわずかに動いた。

ゆっくりと、目が開く。

焦点はまだ曖昧だが、状況は理解し始めている。

「……どこだ?」

「ギルド。罠だらけのとこ」

岩沢の即答。

 

巧は短く息を吐いた。

「……ああ」

それだけ。

 

巧はまだ重い体を無理やり動かそうとするが、膝に力が入らず床へ手をついた。破れた制服の下の肉体は完全に塞がっている。だが、何本もの槍に貫かれた激痛の残滓と精神的な疲労は、そう簡単には消えてくれなかった。

 

「おい、無理すんなって」

 

 岩沢がため息混じりに声をかけ、巧のすぐ横に屈む。

 そして躊躇うことなく、巧の太い腕を自分の華奢な肩へと回した。 

「……おい、何してんだよ」

 

「見れば分かるだろ。介護だよ。ほら、掴まって」

 

「いい、一人で歩ける――」

 

「歩けてないから言ってんだろ。大人しくしとけ」

 

 岩沢の口調は強引だったが、巧を支える手には確かな優しさがあった。

 岩沢の肩に体重を預けながら、巧はなんとか立ち上がる。密着した体から、岩沢の生身の体温が伝わってきた。

 

「歩けるか?」

 

 横から覗き込むような岩沢の視線に、巧は気まずそうに顔を背けた。

「……あぁ、ギリな」

 

「じゃあ、帰るよ。ゆりっぺ達は先に行っちゃったし、この体じゃ追いつけない。一回外に出よう」

 

 まだ全部は戻っていない。ただ“続きにいる”という感覚だけが戻る。

 一歩、一歩と、二人の足音が静かな地下通路に重なる。

 

岩沢は前を見たまま、小さく笑った。

「無茶すんなよ、ほんと」

 

巧は少しだけ困ったように目を伏せる。

 「……悪かったな」

 

 その瞬間、岩沢の歩みがわずかに揺れた。

「……なんでアンタが謝るんだよ」

 

 責めていない。ただ、腑に落ちないだけだった。庇われたのは自分なのに、この男はどこまで不器用なのだろう。

 

 言葉は続かない。

 代わりに、岩沢は巧の腰を支える手に少しだけ力を込めた。 

「……調子狂うんだよ、ほんと」

 

 そう言って、二人は来た道を戻り始めた。

 崩落した天井や大岩の罠を避けながら、暗く湿った通路をゆっくりと、地上へ向かって進んでいく。

 

 やがて、遠くに鉄扉の隙間から差し込む、淡い外の光が見えてきた。

 冷たいギルドの空気から、徐々に普通の夜の空気が混じり始める。

 

 肩を組み合った二人の足音だけが、静かな森の入り口へ向かって、長く響き続けていた。

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