ギルド降下作戦の翌日。
地下から無事に地上へ戻った巧は、ゆりに呼び出されて地下オペレーションルームへ向かった。
部屋の扉を開けると、他のメンバーもいる。
ただ中央で、岩沢が静かにアコースティックギターを抱えて立っていた。ゆりは腕を組んだまま、その前に佇んでいる。
「遅かったわね、乾くん。そこに座りなさい」
ゆりは振り返りもせずに言う。巧は文句を言う気力もなく、壁際のパイプ椅子に腰掛けた。
岩沢は巧の方をチラリと見ると、小さく微笑んでから、トントンと床を蹴ってカウントを取った。
ジャラン、と切なくも澄んだコードが響き、彼女の歌声が静かな作戦室を満たしていく。
タイトルは『My Song』。
激しいいつものガルデモの曲とは違う、魂を削り出すようなバラード。
理不尽な人生の中で音楽だけが救いだった岩沢の、生前の未練や想いがすべて溶け込んだ旋律が、冷たいコンクリートの部屋に染み渡っていく。
音が消えたあと、静寂が落ちる。
誰もすぐには言葉を出さない。
その空気の中で、巧がぽつりと呟く。
「……なあ」
音無がそっちを見る。
「なんだ?」
巧は岩沢を見たまま、少しだけ間を置く。
「今の歌、なんか……やりきったみたいな顔してなかったか?」
音無は少し考えてから答える。
「やりきった……?」
巧は視線を逸らす。
「いや……そう見えただけかもな」
「……素晴らしいわ」
ゆりが心からの賛辞を送った。
巧も無言のままだった。
音楽のことなど何も分からない。
だが、あの大岩の罠の後に「怖いもんは怖い」と指を震わせていた彼女が、これほどの歌を作ったことに、理屈抜きで胸を打たれていた。
岩沢は少し嬉しそうにギターを抱え直す。だが、ゆりはすぐにいつもの冷徹な作戦指揮官の顔に戻った。
「曲としては文句なしに100点。……でも、次の陽動作戦(トルネード)には使えないわ。却下ね」
その言葉に、音無が「えっ!?」と声を上げ、日向たちも驚きに目を見張る。
「なんでだよゆりっぺ! あんなに凄かったじゃん!」
その言葉に、岩沢は一瞬だけ寂しそうな顔をしたが、すぐに「……そっか。分かった」と静かに頷いた。
「凄いからよ!陽動部隊は学食の一般生徒を熱狂させて、食券を巻き上げるための『竜巻』を起こさなきゃいけないの。」
「こんなにしっとりしたバラードじゃ、生徒たちが聴き入って大人しくなっちゃうでしょ。もっとハジけた、いつものガルデモらしい曲じゃないと作戦に向かないわ」
ゆりの合理的すぎる判断だった。
岩沢は「ううん、褒めてもらえただけで十分」と言い残し、次の曲の選定のためにギターを持って部屋を出ていった。
パタン、と扉が閉まる。
残されたのは、ゆりと巧の二人だけだった。
巧は腕を組んだまま、ゆりの背中に向かってぶっきらぼうに言った。
「お前、相変わらず容赦ねぇな」
「リーダーの仕事よ」
ゆりは振り返り、机の上の資料へ視線を落とす。
「良いものと、作戦に必要なものは違うの。……さて、ガルデモの話はここまで。本題に入りましょうか、乾くん」
「本題?」
「アンタのケースよ。ギルドから無事に回収して、今は応急処置のために森にある『第2ギルド』へ回してあるわ。今から二人で確認しに行くわよ」
巧が少し目を細める。
「……そうか」
二人はオペレーション室を後にし、校舎を外れた森にある臨時の拠点へと移動した。
第2ギルドは、いつもより少しだけ空気が重かった。
机の上には銀色のベルトと、ガラケー型の装置。
乾巧が持ち込んだ“戦力”だった。
それを囲む戦線メンバーの視線は、最初から半信半疑に寄っている。
「それ本当に戦えるの?」「どう見てもガラケーだろ」「おもちゃにしか見えねぇんだけど」
軽口に混ざる、確信のない疑い。
その中心で、仲村ゆりだけが装置から目を逸らさない。
「……天使と戦うのに、それで大丈夫なの?」
乾巧は短く息を吐く。
「うるせぇな」
ガラケー型ファイズフォンを手に取る。
電源を入れると画面が光る。
迷いなく数字を入力する。
5・5・5
Enter
一拍。
空気がわずかに変わる。
『Stand by』
低い機械音がギルドに落ちる。
そこまでだった。
それ以上は動かない。
静かに止まる。
整備班の一人が眉をひそめる。
「……で、それだけ?」
別の職人も腕を組む。
「音だけなら成功って言えなくね?」
空気に“未完成”の感覚が残る。
巧は無言で視線を落とす。
「……分かった分かった!見てろ」
そう呟いて、別の操作を入れる。
カチリ、と金属音。
ファイズフォンが形を変える。
拳銃形態へと展開する。
『Single mode』
低い機械音が短く響いた。
空気が一気に動く。
「……今の何だ?」「今度は形変わったぞ」
「さっきと別物じゃねぇか」
整備班が身を乗り出す。
ゆりは目を細める。
「機能分岐……戦闘用の即応形態ね」
だがその声は、どこか確信に届いていない。
(仕組みが分からない武器……)
そういう分類に落とし込んでいるだけだった。
巧は銃を構える。
引き金を引く。
乾いた発砲音。
金属板に穴が空く。
反動は軽い。
沈黙。
整備班の一人がぽつりと呟く。
「……それ、俺らが作った武器でよくね?」
別の職人がすぐに返す。
「いや、挙動は明らかに違うだろ」「でも理屈は分かんねぇ」
納得と疑問が同時に残る空気。
ゆりはゆっくり息を吐く。
「なんかモヤモヤするけど戦力としては“使える”。それだけよ」
視線を装置に落とす。
「でも仕組みは不明。指揮下での運用前提ね」
つまり——信用ではなく“管理対象”。
そして一拍置いて。
「――じゃあ帰るわよ」
全員が動き出す。
ベルトが完成したあと、巧はふと思い出していた。
岩沢が、飯も食わずに作曲に没頭していると初日に話していた事を。
軽く息を吐き、パンをいくつか買って音楽室へ向かう。
途中の階段で、音無結弦と鉢合わせる。
「乾か。どこ行くんだ?」
「ああ。ちょっとな」
短いやり取りのあと、二人はそのまま並んで音楽室へ向かった。
扉を開けると、岩沢がこちらに気づいて顔を上げる。
「乾と音無?か。何してんだ?」
軽い調子のまま、二人を手で招く。
巧は少しだけ間を置いてから歩み寄った。
「ちょうどお前に用があってな」
そう言って、買ってきたパンを差し出す。
「これ」
「ん……何それ」
「お前言ってたろ。飯抜いて曲作ってることあるってな」
視線を逸らしながら、巧は続ける。
「初日に世話になった分だ」
音無が小さく笑う。
「そんな事もあったのか」
(助けられたのはアタシの方だ)
と少し伏せ目になりながらパンを受け取り、そのままかじった。
ついでのように、机の上のペットボトルを二人へ投げる。
「ほら」
「ああ」
「サンキュ」
空気が少しだけ緩む。
岩沢はふと二人を見て、何でもないように言う。
「乾と音無は二人とも記憶ないんだよな?」
少し間。
音無は頷く。
「まあな」
岩沢はパンを咀嚼しながら、続ける。
「音無はさ、ゆりの生前の話はもう聞いたのか?」
音無が答える。
「ギルドでな」
「そうか。アレはまぁ……壮絶だったよな」
少しの間。
岩沢はパンをかじりながら、何でもないように言う。
「アンタら、アタシの生前の話も、聞いとけよ」
音無が少しだけ姿勢を正す。
「いいのか?」
と少し気まずそうに聞く。
「別に。隠すようなもんでもねぇし」
岩沢はギターに軽く触れながら、ぽつりと語り始める。
「アタシさ、家、最悪だったんだよ」
両親の喧嘩が絶えない家庭。逃げ場なんてどこにもなかった。
ずっと、自分の殻に閉じこもっていた。
でも音楽だけは違った。
“SAD MACHINE”の音。
それが初めての救いだった。
気づいたら音楽にのめり込んでいた。
雨の日のゴミ捨て場で拾ったアコースティックギター。
それがすべての始まりだった。
歌い始めると、世界が少しだけ変わった。
進学は捨てた。
音楽の道しか見えなくなった。
卒業後は家を出て上京し、オーディションを受けたりストリートで歌ったりした。
それしかなかった。
岩沢の指が、無意識にギターの弦に触れる。
「でもさ」
声が少しだけ落ちる。
「最後はさ」
父親との衝突。頭部打撲。脳梗塞。
アルバイト中に倒れ、そのまま。
目を覚ました時には、もう声が出なかった。
「……歌えなくなったんだよ」
静かに落ちる言葉。
音無は息を呑む。
「……そうだったのか」
巧は何も言わない。
ただ、わずかに拳を握る。
岩沢はパンをもう一口かじり、少しだけ視線を上げる。
「いつの間にかさ」
「この世界で仰向けになって目を覚ました」
最初は夢だと思った。
気づいたら音楽室を探していた。
ギターを見つけて、そのまま持ち出した。
声が出た。人が集まった。
それが、ただただ楽しかった。
ひさ子に見つかって、ここが死後の世界だと知った。
「この世界に来てさ…やっと歌えるようになった」
少しだけ間。
巧はパンを見ながら呟く。
「……重い話だな」
それだけ言って、視線を逸らす。
音無も少し黙ってから、
「でも、それで終わりって感じでもないんだな」
その言葉が落ちた瞬間。
巧の中で、ひっかかるものが生まれる。
(……やっと、か)
頭の中でだけ反復する。
意味は分かる。
分かるはずだ。
なのに、どこか引っかかる。
ふと、数日前のことがよぎる。
地下で倒れていた自分。
気づいた時には、もう戻っていた。
その横に、岩沢がいた。
それと、さっきバラードを演奏していた時のやりきったような顔…
その記憶だけが妙に引っかかる。
「……おい、お前…」
そこまで言いかけて、飲み込む。
「ん?どうした?」
岩沢はキョトンとしたような顔をする。
「いや、なんでもない」
と巧は咄嗟に誤魔化した。確信じゃない。
でも、戦場で何度も感じてきた“ズレ”。
(……なんか、引っかかる)
言葉にはならない。
ただ、その感覚だけが胸に残る。
岩沢はまだ、何も知らないままパンをかじっていた。
空気だけが、少しだけ変わっていた。
音無は少しだけ岩沢を見て、何か言いかけてやめた。
巧も同じように、口を開きかけて閉じる。
結局、誰もそれを言葉にできなかった。
音無は少しだけ岩沢を見て、視線を逸らし巧も同じように、何も言わず天井を見上げる。
――その違和感だけが、二人の間に残っていた。