## 【BLEACH × 宝鐘マリン】第五部:地下空間の絶望と、沈黙する海
### 第一章:目覚めと、絶望の淵に立つ者たち
微かな消毒液の匂いと、規則的な秒針の音。
宝鐘マリンが重い瞼を開けると、そこは見慣れない木造の古い天井だった。
「……っ、あ……」
体を起こそうとした瞬間、全身の骨が軋むような激痛が走り、マリンは顔をしかめて布団に倒れ込んだ。腹部には分厚い包帯が巻かれており、少し動くだけで焼け焦げるような痛みが走る。
阿散井恋次に蹴り飛ばされた記憶。そして、圧倒的な力の前に朽木ルキアが連れ去られ、血の海に沈んだ黒崎一護の姿が脳裏にフラッシュバックする。
「一護……!」
痛みを堪え、マリンがベッドから転げ落ちるように這い出した時、ふすまがスパーンと勢いよく開いた。
「おお! お目覚めですか、宝鐘マリンお嬢様!」
そこに立っていたのは、角刈りにエプロン姿、筋骨隆々の大男――握菱テッサイだった。
「ひっ!? な、何者!?」
「怪しい者ではございません! 私は浦原商店の店員、テッサイと申します。ささ、お怪我の具合は……おや? もう起き上がれるとは、驚異的な回復力ですな」
テッサイに抱え上げられ、マリンは浦原商店の奥の間へと連れて行かれた。
そこには、全身に包帯を巻かれ、虚ろな目で天井を見つめている一護の姿があった。彼の命の危機は脱したようだが、その瞳からはかつての強い光が完全に失われていた。
「一護……よかった、生きて……」
「……マリン」
一護の声は掠れていた。
「……俺は、ルキアを護れなかった。それどころか、死神の力まで全部……失っちまった。俺は……」
自身の無力さに絶望する一護。マリンもまた、俯くことしかできなかった。
大虚(メノスグランデ)の襲来時、自分はあんなにも強大な力を引き出せたというのに、白哉と恋次の前では子供扱いだった。その力の片鱗すら呼び覚ますことができず、ただ見ていることしかできなかったのだから。
「――おやおや、お通夜みたいな顔してますねェ」
不意に、カラカラと下駄の音を鳴らして、緑色のストライプ帽子を目深に被った男が現れた。
この怪しげな駄菓子屋の店主であり、ルキアの義骸を用意した張本人――浦原喜助だ。
「浦原……さん」
「一護サン、そしてマリンサン。アナタたち、このまま泣き寝入りして、朽木サンが処刑されるのを指を咥えて見てるつもりスか?」
浦原の言葉に、一護とマリンは弾かれたように顔を上げた。
「……処刑、だと?」
「ええ。人間に死神の力を譲渡するのは、尸魂界(ソウル・ソサエティ)では重罪スからね。あのままじゃ、朽木サンは間違いなく殺されます」
浦原は扇子で口元を隠し、鋭い眼光で二人を見据えた。
「……助けに行きたいスか? 尸魂界へ」
「当たり前だ!!」
一護がベッドから身を乗り出して叫ぶ。マリンも力強く頷いた。
「私だって行く! ルキアちゃんは、大事なダチだもん!」
「結構。……ただし、今のままでは死にに行くようなものス。十日。私が十日間、みっちりとアナタたちを鍛え直して差し上げますよ」
### 第二章:地下修練場と、残酷な宣告
浦原に連れられてやってきたのは、浦原商店の地下に広がる、巨大な空間だった。
空には青空の書き割りが広がり、岩山や荒野がどこまでも続いている。現世の地下にこんな空間が存在すること自体が異常だった。
「す、すっご……。なにここ、秘密基地?」
「私の個人的な修練場スよ。さぁて、まずは一護サンからですが……」
浦原は杖を構えると、有無を言わさずに一護の魂を肉体から弾き出した。
一護の魂魄には、死神の証である「鎖結(さけつ)」と「魄睡(はくすい)」が破壊された無惨な傷跡が残っていた。浦原は一護に対し、自らの魂の底に眠る「死神の力」を自力で取り戻すための過酷な試練、『絶望の縦穴(シャッタード・シャフト)』へと彼を突き落とした。
因果の鎖が尽きる七十二時間以内に死神の力を取り戻さなければ、一護は虚と化してしまうという恐ろしい修行だ。
「い、一護!!」
穴の底へ落ちていく一護を見て、マリンは青ざめた。
「よそ見してる暇はありませんよ、マリンサン」
振り返ると、浦原が冷たい目でマリンを見下ろしていた。
彼の手には、刃の潰れた木刀が握られている。
「アナタには、一護サンとは別の、非常に『厄介な』修行をしてもらいます」
「……厄介な、修行?」
「ええ。マリンサン、アナタ……自分がどれほど危険な爆弾を抱えているか、自覚してますか?」
浦原は杖の先端で、マリンの胸の辺りをトントンと叩いた。
「大虚が現れた時、アナタは一時的に斬魄刀の形を引き出し、強大な力を振るいました。……ですが、アレは『始解』ではありません」
「えっ……でも、私、刀の名前を……『紅海月』って」
「それは、アナタの魂の底にいる『別の何か』が、無理やり死神の力を喰い破って表に引きずり出しただけス。言ってしまえば、虚の力に当てられただけの『暴走状態』ですよ。現にあの時、アナタの顔には虚の仮面が浮かびかけていた」
浦原の宣告は、マリンにとって残酷な真実だった。
自分が手に入れたと思っていた力は、己の力ではなく、内なるバケモノの力だったというのだ。
「尸魂界は、虚を絶対に許さない。もし向こうでアレと同じ力を使えば、アナタはルキアサンを助けるどころか、護廷十三隊全員から『虚』として即座に処刑されるでしょう」
浦原は帽子を目深に被り直す。
「アナタの修行は、己の内にある『虚』の力を完全に封じ込め、純粋な『死神の力』だけで斬魄刀の声を聴くこと。……それができなければ、尸魂界への同行は許可しません」
### 第三章:血と汗の刃禅、立ちはだかる小さな壁
「それじゃあ、修行の相手を紹介するス。ウルルちゃーん!」
「……はい、店長」
浦原の呼びかけに応えて現れたのは、おさげ髪の大人しそうな少女、紬屋ウルルだった。彼女の細い腕には、彼女自身の背丈よりも大きなミサイルランチャーのような巨大な武器が抱えられている。
「……え? ウルルちゃんが、私の相手?」
「はい。ウルルちゃんの攻撃を躱しながら、刀の声を聴く『刃禅(じんぜん)』を行ってもらいます。さぁ、始め!」
浦原の合図と共に、ウルルの瞳から感情が消え失せた。
「殺戮(さつりく)モード、起動」
ドシュゥウウウウウウッ!!!
ウルルの構えた砲身から、容赦のない爆撃が放たれた。
「はぁっ!?」
マリンは間一髪で横へ飛び退くが、爆風に巻き込まれて岩肌に激突した。
「ゲホッ、ゴホッ……! ちょっと待って、殺す気!?」
「修行ですからねェ。死に物狂いで刀に語りかけないと、本当に死にますよ?」
浦原が離れた岩の上から扇子を仰ぎながら笑う。
マリンは渡された浅打(刃のついていない素体の刀)を両手で握りしめ、ウルルの猛攻から逃げ惑った。
(刀の声……刀の声……!)
走りながら、目を閉じ、己の精神の奥深くへと意識を向ける。
だが、ウルルの放つロケット砲の爆音と、飛び散る岩の破片が集中力を削いでいく。
『——無駄だ』
マリンの脳内に、ひやりとした冷たい声が響いた。
それは、かつて大虚と戦った時に聞いた、あの顔の半分を仮面で覆った「自分自身の影」の声だった。
『私を頼れ。私を解放すれば、あんなガキの攻撃など片手で防いであげるものを。お前は私がいなければ、ただの弱い人間なんだよ』
「……黙れッ!」
マリンは自身の内なる声に怒鳴り返し、足を止めて浅打を構えた。
「私は、アンタの力なんか借りない……! 私自身の力で、アイツらをブッ飛ばすんだから!」
「隙だらけです」
ウルルがマリンの死角から飛び上がり、強烈な回し蹴りを放つ。
マリンは浅打で防御しようとしたが、ウルルの恐るべき怪力の前に木っ端微塵に浅打がへし折られ、そのまま腹部に蹴りを喰らって吹き飛んだ。
「がはぁっ……!!」
地面を何度もバウンドし、砂埃の中に倒れ伏す。
全身の骨が軋み、口の中に鉄の味が広がる。
(ダメだ……声が、聞こえない……)
精神世界への扉を開こうとするたびに、黒く濁った海と、虚の嘲笑が彼女の邪魔をする。清らかな死神の刀は、暗い海のずっと底に沈んでいて、どうしても手が届かないのだ。
### 第四章:監視者の思惑
遠くからその様子を観察していたテッサイが、眉間に深い皺を寄せて浦原に尋ねた。
「……店長。あのお嬢さんの霊圧、いくらなんでも異常すぎやしませんか? まるで、死神と虚の魂魄が、意図的に『融合』させられているような……」
「……ええ。私も最初はただの特異体質かと思いましたが、あのバランスの危うさは自然発生のものじゃない。恐らく……いえ、十中八九、かつての『あの男』の実験の産物でしょうねェ」
浦原の言葉に、テッサイは息を呑んだ。
百年前、尸魂界で起きた忌まわしき事件。死神の虚化実験を行い、浦原たちを現世へと追いやった元凶たる男、藍染惣右介。
「あの子の両親がどういう経緯で亡くなったのかは知りませんが……彼女は間違いなく、黒崎一護という『完成形』が生まれる前に作られた、試験的なプロトタイプ。しかも、極めて不安定な失敗作スよ」
浦原は扇子を閉じ、冷酷な目で倒れるマリンを見つめた。
「彼女の魂は、虚の力に依存しきっている。それを引き剥がして純粋な死神の力だけを抽出するなんて、本来なら不可能なこと。……ですが、それを成し遂げなければ、彼女は遅かれ早かれ内なる虚に喰われて自滅する」
「……残酷なことをなさる」
「ええ。私は嫌な大人スから」
浦原は立ち上がり、砂まみれになってもなお立ち上がろうとするマリンに向かって冷たく言い放った。
「どうしました、マリンサン? 海賊船長が聞いて呆れますね。そんなザマじゃ、朽木サンを助けるどころか、一護サンの足手まといになるだけスよ」
「……うる、さい……!」
マリンは折れた浅打の柄を握りしめ、震える足で立ち上がった。
どれだけ体が傷ついても、彼女の右目と左目のオッドアイは、決して光を失っていなかった。
「足手まといになんか……ならないワゾ……! 私は……ルキアちゃんを、助けるんだ……!」
### 第五章:共鳴する絶望、しかし届かぬ声
修行が始まってから、既に六十時間が経過していた。
地下修練場には、マリンの荒い息遣いと、絶望の縦穴から響く一護の苦悶の叫びだけが響き渡っている。
マリンは満身創痍だった。
ウルルとの戦闘訓練で全身は傷だらけになり、精神は極限まで摩耗していた。何度も刃禅を試み、精神世界へ潜ったが、そこは常に嵐が吹き荒れる暗い海だった。
沈んだ刀(紅海月)を引き上げようと海に手を伸ばすたび、海中から無数の黒い手が伸びてきて彼女を引きずり込もうとする。虚の力だ。
『どうして拒絶する? 私とお前は一つだろう?』
『死神の力などという、ちっぽけなものに縋るな。全てを喰い尽くす力を、お前も望んでいるはずだ!』
「違う……私は、ただ……皆と笑って生きていきたいだけなんだ……!」
精神世界でマリンが叫ぶ。だが、彼女の純粋な想いは、圧倒的な虚の漆黒に塗り潰されていく。
その時だった。
『――アアアアアアアアアアアッ!!!』
地下空間の空気をビリビリと震わせる、悍ましい咆哮が響き渡った。
絶望の縦穴から吹き上がる、赤黒く禍々しい巨大な霊圧の柱。
「一護……!?」
マリンが穴の方へ顔を向ける。
一護の因果の鎖が尽き、彼が虚へと堕ちようとしているのだ。
その圧倒的な虚の霊圧の奔流は、マリンの魂に致命的な「共鳴」を引き起こした。
「あ……がっ……!?」
マリンは心臓を鷲掴みにされたような激痛に襲われ、その場にうずくまった。
彼女の魂の奥底で封じ込められていた内なる虚が、一護の虚化の霊圧に当てられ、狂喜乱舞して暴れ出したのだ。
「マリンサン!!」
浦原が血相を変えて飛び出そうとするが、それよりも早く、マリンの体に異変が起きた。
彼女の右目が完全に赤黒く染まり、顔の右半分から白い石膏のような物質が滲み出し、ドクロの仮面を形成し始めたのだ。
「がァアアアアアッ……!!」
マリンの口から、彼女自身のものとは思えない、獣のような低い唸り声が漏れる。折れた浅打を握る右手が黒い霊圧に包まれ、空間そのものを歪ませていく。
「マズい……! テッサイサン、拘束具を!」
「はっ!」
暴走しかけたマリンに向かって、テッサイが強力な鬼道を放つ。
「縛道(ばくどう)の六十一『六杖光牢(りくじょうこうろう)』!」
六つの光の帯がマリンの体を貫き、その動きを強制的に封じ込める。しかし、虚化しかけたマリンの怪力は凄まじく、光の帯にミシミシとひびが入り始めた。
「だめ……! いやだ、私を……乗っ取らないでッ!!」
マリンは自身の顔に張り付いた仮面を、左手で無理やり引き剥がそうと掻きむしった。
指から血が流れ、仮面の破片がボロボロと崩れ落ちる。激痛と恐怖。自分が自分でなくなっていく絶望。
その中で、マリンは必死に自身の「核」を保とうともがいた。
「私は……宝鐘マリンだ! 海賊船長だぞ……こんな、暗い海の底で……沈んでたまるかァアアアアッ!!」
バリィイインッ!!
自らの爪で仮面を完全に砕き割った瞬間、マリンは白目を剥き、糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
全身から吹き出していた黒い霊圧が、嘘のように霧散していく。
「……はぁ、はぁ……」
テッサイが冷や汗を拭いながら、気を失ったマリンを見下ろす。
「間一髪でしたな、店長。あと少し遅ければ、彼女の魂魄は完全に虚に飲み込まれていました」
浦原は無言のまま、倒れたマリンの元へ歩み寄り、彼女の脈を測った。
「……ギリギリで、自我が虚の侵食を跳ね除けましたね。さすがは海賊船長、凄まじい精神力ス」
しかし、浦原の表情は険しいままだった。
暴走は食い止めた。だが、結局のところ、彼女は『純粋な死神の力』を引き出すことには失敗したのだ。虚の力を押さえ込むのに精一杯で、斬魄刀の声を聴くどころではなかった。
「……さて。どうしたものスかねェ」
浦原が呟いたその時、絶望の縦穴から凄まじい爆発音が響き、黒装束を纏い、死神の力を取り戻した一護が飛び出してきた。
「よォ、浦原さん。待たせたな」
巨大な斬魄刀を肩に担ぎ、不敵に笑う一護。
しかし、彼の視線が足元で気絶しているマリンに向けられた瞬間、その笑顔は凍りついた。
「マリン!? おい、どうしたんだよ浦原さん! マリンに何があった!?」
一護が血相を変えて駆け寄る。
「……修行の反動スよ。彼女は、まだ自分の力と上手く向き合えていないようです」
浦原は帽子を目深に被り、静かに告げた。
「一護サン。アナタは無事に死神の力を取り戻した。次は私との実戦訓練ス。……ですが、マリンサンは、今のままでは尸魂界には連れて行けません」
その宣告は、冷たく、残酷に、地下修練場に響き渡った。
刀の真の名前を呼べないまま、宝鐘マリンの修行は、行き場のない暗礁に乗り上げてしまったのである。