悪役令嬢の私が追放された先の世界で機械人形に乗って無双しますわ~! 作:エスカド
プリシラ・ハレヴィを見送り、ステーション「クラネア」の擬似夜景が灯り始めた大通りを、レタリアは一人歩いていた。
先ほどまでの騒がしいマーケットの熱気は冷め、人通りも疎らになっている。頭上の磁気レールを走るコンテナの駆動音だけが、等間隔に響いていた。
ふと、レタリアは足を止める。
この世界の「時間」の概念には、まだ完全に慣れたわけではない。だが、少しの足の疲れが、休息の必要性を告げていた。
「……そういえば、わたくし、今日はどこで眠ればよろしいのかしら?」
セルディアでは、ミレアたちが用意してくれた居住区の一室があった。だが、ここは未知のステーション。勝手が違う。
そんな不安を察したかのように、手首のブレスレットが正確なタイミングで震えた。
『――レタリア。もう夜よ、探索は満足したかしら?』
モニターに映るミレアは、相変わらず無機質な空間である「ラボ」の中にいた。
「ミレア。ちょうど良いところに。……視察は概ね終了いたしましたわ。ですが、一つ問題が発生しましたの」
『問題? 何かトラブルにでも巻き込まれた?』
「いいえ。……この地には、わたくしが止まる『宿屋』が見当たりませんのよ。わたくし、野宿をするつもりはありませんわよ?」
(宿屋……?)
ミレアは一瞬考える。
『ああ、ホテルのことね』
ミレアは呆れたように肩をすくめた。その表情には「やっぱりね」という色が透けて見える。
『やっぱり宿泊先を確保していなかったのね。……安心なさい、私が事前に手配しておいたわ。今からナビゲートを送るから、そこへ行きなさい』
「あら。用意周到ですわね。礼を言いますわ」
『ふふ、どういたしまして。あなたのような「お姫様」のために、クラネアでも最高級のベッドがある部屋を用意してあげたわよ』
「……お姫様ではありませんわ! わたくしは公爵令嬢ですの!」
元気よく言い返しながらも、レタリアの心は少しだけ温かかった。自分では気づかなかった細かな生活の基盤を、遠く離れた場所から支えてくれる存在。それがミレアだった。
◆◆◆
ナビに従って辿り着いたのは、クラネアの中心部から少し離れた、静かな居住エリアに建つ高層ホテルだった。
先ほどまで見ていたマーケットの「ごみごみとした」雰囲気とは一線を画す、洗練された白磁の壁と自動扉。
フロントでブレスレットをかざすと、自動音声が優雅な声でレタリアを歓迎した。
「お待ちしておりました、レタリア・アーデニアム様。最上階のスイートルームへご案内いたします」
エレベーターを降り、重厚なドアが開く。
「……まあ」
レタリアは思わず感嘆の声を漏らした。
そこは、セルディアで与えられていた機能的だがいささか手狭な部屋の、倍以上の広さがある空間だった。床には深みのあるカーペットが敷かれ、壁一面の透過ガラスからは、クラネアの鉄の街並みが光り輝く星の海のように見下ろせる。
『気に入ったかしら? 私たちシンセ・フィブラの人間がクラネアに出張するときは、ここを経費で使っているのよ』
通信を繋ぎっぱなしのミレアが、少し誇らしげに語る。
「けいひ……?
へぇ~……。ミレアたちも、ここを使うのですのね。ふふ、ようやくわたくしの身分に相応しい場所を見つけたようですわ」
レタリアは柔らかいソファに身を沈め、大きく息を吐いた。
護衛依頼での緊張、初めてのクラネア探索、そしてプリシラとの出会い。凝り固まっていた体が、高級ホテルの静寂に解けていく。
◆◆◆
シャワーを浴び、備え付けのガウン(これまたセルディアのものより肌触りが良い)に着替えたレタリアは、寝台の上で再びブレスレットを操作した。
時刻は深夜。だが、通信の向こう側の景色は、数時間前と変わっていなかった。
「ミレア。あなた……まだ、その『ラボ』におりますの?」
『ええ、そうよ。護衛任務で得られたアーデンの戦闘データ、ちょっと他のデータを照合しているの。これが終わらないと、明日のスケジュールが組めないわ』
画面の中のミレアは、コーヒーを啜りながら、淡々とキーボードを叩き続けている。
「……あと、どのくらいかかりますの?」
『そうね……あと三時間くらいかしら。その後、一時間だけ仮眠して、朝の定例会議に出るわ』
「まあ!」
レタリアはわざとらしく、しかし本気で呆れたような声を上げた。
「あなたいつも、そういう事をしておりますわね! お休みなし、夜更かし、乙女としてのたしなみが決定的に足りませんわよ! 美しさを保つには、良質な睡眠が必要であると、わたくしの教育係(キアラ)も口を酸っぱくして言っていましたわ!」
ミレアは手を止め、うわ……という顔で画面を凝視した。
『……ちょっと。それは私の勝手でしょう。私は研究者なの。データが新鮮なうちに処理するのは義務なのよ。あなたも無茶しているでしょう、私には何も言え……』
「いーえ! いつもわたくしに小言を言い、規則正しくしろと仰るあなたが、それを守っていないのは教育上良くありませんわ! 言行不一致ですわよ!」
レタリアは画面に映るミレアに身を乗り出し、指を差して追及する。
「それとも、なんですの? また以前のお休みの時のように、『フリフリピンクの素敵なドレス』を召して、わたくしと一緒に街を歩いてもらいますわよ? 今度はクラネアの大通りで、わたくしの侍女として引きずり回して差し上げますわ!」
『……っ!!』
ミレアの動きが止まった。
以前着せられた、あの気恥ずかしいフリフリのドレス。その記憶は、冷静沈着なミレア・イチノセにとって唯一の、そして最大の弱点だった。
『……わ、分かったわよ。わかったわ。……今すぐ、シャットダウンするわよ』
「おーっほっほっほ! 分かればよろしいんですわ! さあ、今すぐにお眠りなさいな!」
『ええ、そうするわよ。おやすみなさい、お姫様』
「お姫様ではありませんと言っていますでしょう! ……おやすみなさい、ミレア」
通信が切れる。
静かになった部屋に、レタリアの微かな笑みが残った。
◆◆◆
レタリアは室内の照明を落とした。
天井が透き通り、設定された「人工夜空」が映し出される。それはセルディアから見るものとは違う、もっと遠い、けれど確かな輝きを放つ星々だった。
(……不思議な方ですわね、ミレアは)
利用し、利用されるだけの関係だと思っていた。
けれど、こうして遠いステーションで独り眠りにつくとき、彼女の声が聞こえるだけで、自分を縛る「孤独」という名の重力が少しだけ軽くなる気がした。
レタリアは目を閉じる。
沈んでいく意識の中で、懐かしい香りが鼻を掠めた。
それは、この鉄と火花の世界には存在しないはずの、初夏の花の香り。
(……キアラ……)
夢の中に現れたのは、厳しい顔をしながらも、優しく髪を梳かしてくれる侍女の姿。
「お嬢様。背筋を伸ばしてくださいませ。貴女は、どこへ行ってもアーデニアムの誇りなのですから」
そう。わたくしは、公爵令嬢。
たとえ、どれほど遠い星の海に放り出されたとしても。
レタリア・アーデニアムは、安らかな寝息を立て始めた。
クラネアの夜は更け、人工の星々は彼女の眠りを守るように、静かに瞬き続けていた。