ヤチヨが彩葉と出会うまでの前日譚   作:リミナル

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海のお姫様

 

 

「ただいま」

 

 俺の声が部屋中にこだまする。返事をする者はいない。

 配送の力仕事を終えて帰宅した俺は、息付く暇もなくそそくさと夕飯の準備を始める。

 最近は自炊をすると中々に体力が持っていかれるため、コンビニ弁当でもいいんじゃないかと思い始めている。

 

 今夜の献立は生姜焼き。

 いただきますと両手を合わせた後、がっつく。

 朝のゴタゴタもあって今日は何だか一段と疲れていたため、すぐに平らげてしまった。

 

「ご馳走様でした」

 

 食器を洗いながら、流れてくる汗を拭う。

 やっぱりこの部屋は超がつくほど暑い。扇風機は回しているが、それでもごまかせないほどに。

 そうとなれば、行くのはあそこしかない。

 片付け、布団の準備など諸々の作業を終わらせて俺は家を出た。

 

 

 

 

 家から持参してきた、キンキンに冷えているコーラ二本を片手に、俺は早朝と同じベンチに腰掛ける。近くの街灯が時折チカチカと点滅するのが見える。

 プシュ、と缶の蓋を開ける音が爽快に鳴る。

 やはり水辺は少し気温が下がって涼しい。

 引っ越してきてから約三年、なんの代わり映えのしない光景だったが、俺はここに居ると心から安心できた。……はずだったのに。

 

(……ぬるくなっちまうな)

 

 足りない。

 いつもなら、どこからともなく幻のように現れて隣に一緒に座るあの人物が。

 

 あまりにも、突然だったな。

 突然過ぎて朝のアレは俺の見た夢だったんじゃないかと、そう思っていたが、現実だったらしい。

 現実と認識するや否や、どうしようもない消失感に襲われる感覚がした。

 三年間の内の、たったの二ヶ月だけ居た人物が居なくなった、それだけの事なのに。

 

 思えば、三年前まではここへは毎日来るほどではなかった気がする。せいぜい一週間に一回あるかないか。

 

「…………」

 

 それがここ最近、増えていた。

 自覚はあった。

 俺は、彼と会うのを楽しみにしていた。

 色々質問しなかったのは、そうすると、居なくなってしまいそうな予感があったから。

 実際には何を聞かないでも、自ら話し始めて、そして消えてしまったのだが。

 彼はいつの間にか、俺の日常の一部になっていたのだ。

 

 ふと、ポケットに手を入れてみる。

 指先に触れるのは、早朝貰ったプラスチックのケース。

 

「そういえば、これ……」

 

 去っていく姿が強烈で、ポケットにしまい込んだままであることを忘れていた。

 同時に、ケースの裏側に付箋が貼ってあることにも気がつく。

 付箋には

『押し込んでみて 目を閉じれば新たな世界が広がる!』

 という文言と、とあるマンションの住所が書かれていた。

 なるほど。どうしたものか。

 ケースとにらめっこしてみる。

 彼を疑っている訳では無いが、全く意図が読めないせいで何か変なことに乗せられている感が半端ない。

 しかしまあ、頼まれた(一方的に押し付けられただけではあるが)ことをほっぽり出す訳にもいかないだろう。

 そんな逡巡の後、俺はひとまず先にこのマンションに行ってみることにした。

 

 

 

 

 電車を乗り継いでたどり着いたそこは、何の変哲もないただのマンションで、付箋に書いてある番号の部屋は、ただの一室のように見えた。

 無駄足だったかな、と思いながらドアノブに手を伸ばし、ドアを開けてみると。

 次の瞬間、そんな考えは否定された。

 

「これは……」

 

 俺の予想とは裏腹に、中は一般的な内装ではなかった。

 扉を開けると共に、部屋の中に籠っていたのであろう熱が夜の空へと飛び出す。

 俺を迎えるのは大量のPCと、よく分からない電子機器の数々。

 そして部屋の中心で一際異彩を放つのは、

 

「タケノコ……?」

 

 エアレーションしている謎の液体で満たされた水槽と、そこにプカプカと浮かぶタケノコの姿。

 理解の追いつかないまま、近くのパソコンの方に目をやると、英語の文字列がずらっと進行形で生成されていた。

 

(CIAとはいえ、一体何をしているんだ……?)

 

 目の前に広がる光景は、超常的な何かへのアプローチにしか見えなかった。

 なにかヒントは無いかとポケットから付箋とケースを取り出して舐めるように付箋全体を見回すが、書いてあることは変わらない。

 

 最後の望みはこのちっぽけなケースに託されたようだ。

 俺はケースの蓋と思われる場所を付箋の指示通り押し込んでみる。

 するとカチッという音とともに中身が顕になる。

 

「コンタクト、レンズ?」

 

 中に入っていたのは、洗浄液に浸されたふたつのコンタクトレンズ。

 それを認識した途端、俺は反射的にそのコンタクトレンズを装着する。

 何かが変わったような様子はない。

 

(『 目を閉じれば新たな世界が広がる!』だっけ……)

 

 付箋の言葉を思い出しながら、目を閉じる。

 その瞬間、目を開けていないにも関わらず、新たな世界は眼前に広がり始めた。

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

 宇宙空間の中で無数の光に包まれながら奥の方へと引き込まれると、やがて着地する。

 夢を見ているような感覚なのにも関わらず、意識は鮮明で、両手足には感覚がある。

 地平線まで果てしなく広がる、澄んだ海の上を歩いていた。

 

(一体どこなんだ、ここ……あ、流れ星)

 

 空を見上げると、入道雲があちらこちらに見え、その奥には円形に流れる無数の流れ星。

 幻想的という言葉がこれ程似合う景色もないだろう。

 

「あれあれ〜?君がカーターの言ってた子かな〜〜〜?」

 

 そんな風景に感動していると、この空間全体に反響する声が俺を現実に引き戻す。

 辺りを見回しても声の主らしき人物は見つからない。

 

「あ、ヤッチョならここにいるよ」

 

 キョロキョロとしていると、そんな声と同時に目の前に和傘を広げたある少女がどこからともなく現れる。左右で輪のようにまとめた独特な白髪のツインテールに、着崩した着物。

 途端に何故か、未亡人という言葉が頭をよぎった。

 

(っていやいや!え?誰?どっから出てきた??)

 

 状況が一向に掴めない困惑の中、俺はなんとか捻り出した質問を彼女に投げかける。

 

「貴方が彼の……カーターの言っていた友人?」

 

「だいっせいかーい! 

私の名前は〜〜月見(るなみ)ヤチヨ! 齢八千歳の、仮想空間『ツクヨミ』の管理人なのです!」

 

 どんどんぱふぱふーと口で言いながら、どこからか現れたクラッカーを十数個鳴らす。

 中々の歓迎っぷりに頭痛がした。今日は厄日だ。

 

「俺、俺の名前は有明 朔(ありあけ さく)……」

「さっくんか〜、色々何の説明もなくて困ってるでしょ?」

「さっくん!?」

 

「まあまあそんな呼び方のことは一旦置いておいて〜〜、ここに呼んだのには色んな理由があるの〜

まずここは、電子の歌姫である私が作り出した仮想空間で、現実でスマコン……あ、コンタクトレンズのことね、アレをつけることでこのもう一つの現実に入り込むことができるのです!」

 

「な、なるほど……?だからあんなに沢山のパソコンが置かれてたわけですか」

 

 今日だけで十分なほど不思議な体験をした俺は無敵だった。脳が理解を拒まない。

 恐らく今後の人生、もう何があっても驚くことはないだろう。

 

 

「早速理解してもらったところで!これからさらに詳しい説明を〜〜……する前に!一回、目を開けてもらえるかな?」

「目を?開けたら現実に戻っちゃうんじゃ……」

「いいからいいから〜〜☆」

 

 言われるがままに目を開けると、神秘的なあの風景は崩れ、熱気のこもった部屋の中へと戻される。

 コンタクトレンズを通してでの仮想空間、というのは眉唾ではないようだ。

 そして、実は今もしかして、中々ヤバい事に立ち会っているんじゃないかと不安になってきた。

 だ、だいじょぶ……だよね? 

 

 精神を削りつつ、今度はツクヨミに入る前はいなかったある生物が水槽の前に居るのが目に映る。

 

「う、ウミウシ??」

 

 そう、ウミウシだ。海洋生物の。

 そのウミウシが、必死に身体をよじっていた。

 

 

「ス……コン……ボ…………ン!」

 

 ウミウシは、たどたどしいながらも何かを喋っていた。

 いや、ウミウシは喋る生き物じゃないことは百も承知だが。でもだって喋ってるし。

 えっと、なんて言ってるんだ……? 

 

「スマコン、ボタン……か?」

 

 数分後、なんとか解読を済ませる。

 言われるがままスマコンを取り出してみると、付箋が貼ってあって気が付かなかったが、どうやら底の方になにかボタンらしきものが一つ付いているのが分かった。

 早速思い切って押し込んでみる。だが、特に劇的に何か変わった感じはしない。

 俺の解読ミスか……? 

 それならもうお手上げだと思いながら顔を上げると、

 

「や〜っと見えるようになったか、関心関心♪」

 

 ホログラムのヤチヨがパソコンだらけの部屋の中に立っていた。

 俺は唖然と立ち尽くすのみ。

 

「それじゃ、詳しい説明を始めるね」

 

 果たして、現状を納得させられるような説明がこの世に存在するのだろうか。

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

「───ってな感じなんだけど、どうかな?」

「いやもう、何が何だか……」

 

 ある程度話をまとめてみることにしよう。

 この部屋は先程の仮想空間ツクヨミを作り出すためのサーバールーム、その一つらしい。そして、ウネウネ動いていたウミウシは現実世界のヤチヨなのだと。

 ホログラムで見えたヤチヨの姿はスマコンのAR機能によるもので、実際に触ったりすることは不可能。

 水槽に浮かぶタケノコはカーターが用意したスーパーコンピュータで、これが主に仮想空間を構成しているらしい。

 

 カーターが去り際に言っていた、友人と成し遂げたすごいことは恐らくこれだろう。

 友人であるウミウシのヤチヨを救うべく、スパコンを作って仮想空間を生み出し、自由にすることに成功した。あくまでツクヨミの中での話だが。

 

 重要なのは、ヤチヨは実質的に仮想空間でしか行動することが出来ない人物ということだ。ウミウシであるせいでほとんど現実に干渉できない。

 最初の準備はカーターがしてくれたから良いものの、彼が日本を去った今、ウミウシ状態のヤチヨの食事だったり部屋や各機器のメンテナンス、現実方面での行動に誰かが必須となることは明白。

 そこで俺に白羽の矢が立った。大体こういうことらしい。

 大まかには掴めてきた気がするが、それにしても、あまりに説明不足すぎるんじゃありませんかねカーターさん? 

 

 

「しかし、何故俺なんですか?業者にでも頼めばそれで安泰な気が」

 

「う〜〜ん、業者の人がおいたをしないとも限らないし、それにカーターが、さっくんは信頼できるって言ってたからかな?そんなに深く考えないでいいよ〜☆」

 

「そんな適当な理由で……?」

 

「ででで!どうする?やる?それともやらない?」

 

「…………」

 

 大体のことは説明してもらったが、それでもまだ謎は多い。ヤチヨの正体とか、カーターのこととか、ウミウシとか、ウミウシとか。

 一応仕事ということで、相応のお金は出してくれるらしい。月給だが、時給換算しても今やってるバイトの三倍は下らないレベル。

 良い。良い条件すぎる。

 

「ねえねえ〜」

 

 だが、さっきからずっと言っているが、如何せん突拍子も無さすぎて信用出来ない。そんな二つ返事で簡単にはいと言って良いものだろうか。

 怪しいヤツじゃないよな? 

 

「ねえってば〜〜〜」

 

 カーターのやつ、実はなんかの回し者なんじゃないか?? 

 ……うん。やっぱりこの話は持ち帰ってじっくり考えた方がいい気がしてきた。

 とりあえず今はやんわり断っておこう。そうしよう。

 

 

 

 

「やります!」

「そうこなくっちゃ〜〜☆」

 

 

 口が勝手に動いていた。

 

 

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