ヤチヨが彩葉と出会うまでの前日譚 作:リミナル
「朔───! 朔───!!!」
囁く誰かの声で目を覚ます。
ぼんやりとした頭をゆっくり起こしながら、自分の枕元を見てみる。先程まで俺の耳元で名前を呼んでいたのはウミウシ状態のヤチヨ────ではなく。
「起きろ、朔! ヤチヨが変なんだ」
ヤチヨの相棒、FUSHIだった。
ツクヨミが世界中に公開されてから、十年の月日が流れた。アラサーだった俺がもうアラフォーとなる時期だ。
ヤチヨの初ライブはつつがなく終了、その後彼女は予告通り動画配信サイトにてゲーム実況や雑談配信など、多くの人とコミュニケーションを取ったり、何度もツクヨミ内でライブを行ったりなど着々とアイドルとしての覇道を進んでいた。
そんな彼女とは打って変わって、俺の出る幕がなくなっていったのは言うまでもないだろう。ツクヨミリリース直後はバグ修正や追加の検証、その他ツクヨミ内でのゲームの実装に伴う補助的な役割はあったものの、ヤチヨが実装したいと考えていたものは一通り実装し終えた今、俺の仕事は奇しくも十年前に俺を誘うためにヤチヨから伝えられた仕事内容のみになっていた。
約七年前から、昨日までは。
今日は慌てた様子のFUSHIが、それもここ六年くらいは現実でほぼ活動状態になかったウミウシの姿で俺を叩き起した。
「FUSHI? 珍しいですね、なにかありました?」
「ヤチヨの元気がないんだ、管理室に入ってきて欲しい!」
「ヤチヨが?」
"ヤチヨ"と"元気がない"という有り得ない組み合わせに驚きつつ、時計を見てみる。
本来なら定期の雑談配信が始まる一時間前だ。俺は急いで隣の部屋のサーバールームへと向かう。
ツクヨミ自体は何処からでもアクセス可能にはなったものの、仮想世界の管理関連及びヤチヨに会うには、未だにこの部屋を介さなければならない。
俺とFUSHIは同時にツクヨミ内にログインした。
久しぶりに訪れる、世界全体を一望可能なヤチヨの特等席。ツクヨミ内の最高高度に位置する場所に、いつも通り仮想世界を眺めるヤチヨがいた。
肩にFUSHIを乗せたまま、静かに隣に座る。
「さっくんヤオヨロ〜。遊びに来てくれたところ悪いけどさ、もうすぐ配信だからあんまり話せないよ?」
「いえ。雑談配信前の、雑談練習をしに来ただけですよ。……最近は配信、どうですか」
「別にどうもしないかな〜、いつもと変わらない電子の歌姫ヤッチョだよ!」
「そうですか」
ヤチヨはおちゃらけたように笑う。
二人で夜景を見ながら、沈黙は続いた。
空を飛ぶ飛行船、空はライトアップで彩られ、あちこちに建つ建物の光は、決して消えることはないだろう。祭りのような活気のある景色。
ヤチヨはここからの景色がたまらなく好きなのだと、そう言っていた。
「やりたかったこと、出来てますか?」
「……もう、変なこと聞くな〜さっくんは。ずーっと昔に言ったよ〜? それは気のせいだって」
思わず、十二年前を思い出す。
あの日見た朝焼けを。
カーターの横顔を。
開くことのなかった缶コーラを。
今の俺になら、分かるはずだ。
「俺には、ヤチヨがずっと泣いているように見えます」
「え?」
もう二度と、同じ轍は踏まない。
───────
「FUSHIが教えてくれましたよ、今日のヤチヨは何だか様子がおかしいと」
「FUSHI……」
「人は誰しも、知られたくない過去、話してしまえばもう二度と同じ関係には戻れなくなってしまうような過去がある。だから、深入りせずに現在の関係をダラダラと続けるのが最良、そう思ってたんです。……でも、それじゃダメだって事は、カーターと別れてからしばらくして、ようやく分かりました」
「う、う〜ん、ヤチヨ、そういう難しい話はちょっと……」
「俺は、カーターがいなければここにはいなかった。……母が亡くなって、生きる目標を失って。いつか、あの川の中に落ちるつもりだったんです。でも中々踏ん切りがつかなくて、って本当に芯の無い人間ですよね。
そしたら、そうこうしているうちに彼に話しかけられ、貴方の事を紹介され、気がつけばこんな場所にまで来てしまった。彼には本当に、救われたんです」
「……」
「それが偶然なのかは今でも分かりません。ただ、感謝と同時に後悔もしてるんです。
カーターは最後、俺を信頼して自分のことを打ち明けてくれた。未来を示してくれた。それなのに俺は、最後まで感謝の言葉など口に出さず、過去を話さなかった」
自分でも驚くほどスラスラと言葉が出てくる。その度に、体が軽くなっていく気がした。
あの時彼を信頼していれば、ここにカーターはいたのだろうか。
「……目を背けるのはやめました。これが俺の知られたくなかった過去です。ヤチヨはどうですか。ヤチヨの事、もっと教えてくれませんか」
「……」
「ヤチヨは、辛いときこそ笑ってやるんだと言っていましたよね。……たまには、泣いてみてもいいんじゃないですか?」
「……貴方には…………」
両手で口を抑え、続くはずの言葉を飲み込むヤチヨ。
またも長い沈黙が続いた。
……もし。もし本当にヤチヨが八千年も生きているのだとしたら、全て話してもらうのはほぼ不可能だ。
あ、そうだ。
俺はツクヨミ内部の事をよく知っている。
それはもちろん、ツクヨミ"全て"を司ってるヤチヨの本体、タケノコもとい『もと光る竹』のことだって。
それなら、この方法があるはずだ。
「……FUSHI、ヤチヨの歴史全てを見せてください」
「!!それは絶対ダメ!」
「っと、しっかりつかまっててくださいね」
俺を静止しようと肩を掴むヤチヨの手を振り払い、俺は柵を飛び越える。
「さっくん!?」
目まぐるしく視界に映る建物の光と共に、夜景の中へと落ちていく。
全て、過去との決別だ。
「……本当にいいのか?」
「大丈夫です」
「終わった後、生きていられるかどうかも怪しいんだ」
「元々、俺の命なんて無いようなもんですから」
ふわふわの毛を靡かせながら、暫くは自信の無さそうな顔で悩んでいた。しかし俺と目が合った途端、その表情は変わった。
「FUSHI!待って!!」
「行くぞお!」
ウミウシの目から出た赤いレーザーが夜空を照らして、俺の視界と身体は崩れていく。
「ヤチヨ、どっかにいるんでしょ?出てきて……助けて……」
初めてツクヨミに入った時のような、ボンヤリとした感覚。
次の瞬間、頭の中に流れてくるのは八千年間の変遷。俺の意識は
ガンガンと頭の中が鳴っているのが分かる。
「
「逢い見ての のちの心に くらぶれば」
「会いたい者がいるのだろう?」
「ムカつくからさ、つらくても笑うんだよ」
「私には、ここなの」
「君の活躍する時代を俺も見てみたかった」
「極上のワインは時間が経つほど深まる。悪いことばかりじゃないさ」
抗えない運命に従いながら八千年。
前に進むことを、人間を、愛を知って。
命の灯火はすぐに消えてしまうことを、人間の醜さをも知った上で、人々を愛し続けた。
……だからヤチヨは、いつも笑ってみせたんですね。
本当に大切なもののために。
意識が戻る。目を開けるとそこには、再構築された俺の目の前に立つ、顔に心配の二文字が書かれたヤチヨ。FUSHIが気を使って部屋に戻してくれたのだろう。
不思議と頭の中に淀みはなかった。
「これでやっと対等に話せます」
「"対等"、だなんて」
安っぽい同情をする気などさらさら無かったが、初めて経験する理不尽や葛藤の連続の辛さは今、身を持って知った。何度も絶望しただろう。諦めかけただろう。
……あぁ、俺が悩んでいたのはこれだったんだ。
呂律の回らない口から出たその言葉は、十年間溜め込んでいたような気がした。腹の奥底から出たようだった。
「八千年間、よく頑張りましたね」
「八千年……頑張った……」
言葉の意味を反芻していたのか、はたまた思いを馳せていたのかは分からない。
ただ一つ、確かなのは──
「そう、私……私、頑張ったんだよ?」
とめどなく溢れ出る感情を前に、ヤチヨが初めて本当の涙を見せたことだ。
「さっくんも見たでしょ?私、会いたい人がいるの。でも、八千年待って会いたい最愛の人は、彩葉は未だに現れない。
今の私にできるのは漂うように運命に従って生きていることだけなのに、もしかしたらその運命にすら見放されちゃったのかもって、今日、急に不安になった」
「彩葉はこの世界には居ないのかもしれない、どこかで選択を間違えてて私とは一生会わないかもしれない、そんな嫌な想像ばかりが駆け巡って」
「ハッピーエンドを求めて帰ってきたのに、そんなもの、どこにも無かった」
堰を切ったように続く言葉。ずっと誰にも言えず、溜め込んできたのだろう。否、こんなこと普通なら誰にだって言えるわけがない。
「ハッピーエンドはありますよ。誰かがそれを望み続ける限り、いつか必ず」
突然、ハッと気が付く。思い出すのは、十二年前のあの言葉。
「カーターが言っていたんです、こうなっているのは"運命"なのだと。彼が俺に、俺がヤチヨに。そうやって巡り巡る運命」
「さっくんが、私の代わりに祈っているって言いたいの?」
「ええ。でも俺は今、少なくとも誰かに強制されたわけでもなく、自分の意思で貴方を応援したいと思っています」
「…………」
「運命なんてものがあるとは俺は思いませんが、もし有るのなら俺の役割は、ヤチヨの肩の重荷を一緒に背負うことですかね」
「……私ね、彩葉の横顔が好きなの。月には無い、初めて見た顔。これだけは今でも鮮明に覚えてる」
「彼女に出会ったら、何がしたいですか?」
「……もう一回、温もりを肌で感じたい。もう一回、彩葉と一緒にパンケーキを作って、思い出を話しながら食べたい。もう一回、ぎゅーって抱きしめて欲しい!」
背中をポンポン叩く。
ツクヨミでは、味や温度などは未だに感じられないらしいが、それでも、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「これからお互い、嘘偽りはナシです」
その後一通り泣いた彼女は、前を向きながら、いつもとは違う笑顔で言った。
「私、彩葉のためにこれからも歌い続ける!」
「ええ。それがいいと思います。──今の笑った顔、今までとは比べ物にならないくらい綺麗でしたよ」
少し前から分かっていた。
彼女の作る曲は、誰か一人を想って作られたもの。でもそんな曲が、世界の多くの人を支えた。
俺も、もっともっと彼女の曲を聞かせて欲しい。例えその人物が、自分じゃなくとも。