異世界日本の山村もふもふ生活記 ~春夏秋冬の飯テロ暮らし~   作:瑞牆さん

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第14話 春の終わりの台所

草地の柵を直した翌朝、物置横の乾燥棚は、春の終わりの匂いを薄く漂わせていた。

朝日はもう弱々しくない。軒先の板に当たる光は少し白くまぶしくなっている。

乾燥棚の上では、こごみとうどの薄切り、ふきの若い葉が、昨日よりさらに小さく縮んでいた。

お妙婆は棚の前に立ち、山菜を一つずつ指でつまんだ。

 

「若様、これは壺へ移してよろしゅうございます」

 

「乾いたか」

 

「乾きました。ただし、こちらはもう一日でございますな」

 

お妙婆が別の葉を折ると、ぱきりとはいかず、少しだけ曲がった。中心に湿りが残っている。

見た目は似ているのに、指で触ると違う。食べ物の保存は、だいたいこういう地味な差で後から殴ってくる。

 

「全部一緒に壺へ入れたら?」

 

お妙婆は返事の代わりに、乾いた山菜だけを小さな竹ざるへ移した。ざるの底で、軽い葉がかさりと鳴る。

俺は棚の端に手をかざし、生活魔法で残った水気をほんの少しだけ引いた。強くはしない。前にやりすぎて、山菜の青い香りを飛ばした。

 

「このくらいか」

 

「よろしゅうございます。香りが残っております」

 

お妙婆が干したうどを鼻へ近づけた。

俺も一つ嗅ぐ。生の時の青さは薄い。代わりに、土と若葉の匂いが小さく丸まっている。冬の味噌汁に入れたら、椀の湯気の中で戻ってくる匂いだ。

 

くろすけが横から鼻を近づけた。

干し山菜を嗅ぎ、すぐに興味をなくす。

そして棚の隣、軒下に吊ってある薄塩の岩魚へ顔を向けた。

昨日、庄屋から田植え差し入れの礼だと届いたものを、お妙婆が一晩干したのだ。

 

「分かりやすいな」

 

くろすけは岩魚の下に座った。黒い鼻先が、風で揺れる魚の方へ少し上がる。

 

「まだ朝飯前だ。見張っても早くは焼けない」

 

尻尾だけが一度揺れた。

見張りの報酬は要求するが、時間までは曲げられないらしい。

 

もこは家の裏手の草地にいた。

柵の中で若草を食べ、水桶の横を回り、木陰の手前で足を止める。

前は小屋の周りだけを食べ尽くし地面が禿げ上がりそうだったが、草地へ出してからは落ち着きがいい。

丸い背の毛に朝日が乗り、ところどころ乾ききらない毛がふわっと光る。

草を食べ終えると、もこは小屋の入口に近い日向へ移動し、その場で脚を折った。白い毛の塊が、日差しを吸って少し膨らむ。

 

「慣れてきたな」

 

めえ、と短く鳴いて、もこは口を動かした。

草を噛み直しているだけなのに、妙に偉そうである。

 

お妙婆は水桶を覗き、縁を布で拭いた。

 

「水はよく飲みますな。午後にもう一度替えましょう」

 

そう言いながら、お妙婆はもこの足元を見た。昨日置いた枝の目印より先の湿ったところには入っていない。柵の内側にも、畑へ抜けそうな穴はない。

くろすけが草地の山側へ歩き、古い板の隙間を鼻先で確かめた。異常なし、という顔で戻ってくる。

 

「検査役としては優秀だな」

 

くろすけは俺の袖を軽く咥えた。

褒め賃を請求された気がする。

 

自宅畑の木札には、雑穀、豆、芋とだけ書いてある。字面は相変わらず地味だが、土の上はもう地味だけではなかった。

芋の葉は少し広がり、根元に寄せた土の上で落ち着いている。豆は支柱にゆるく結ばれ、風が吹くたび小さな葉を震わせる。雑穀の区画には細い芽がそろい、薄い緑の線が畝に沿って並んでいた。

 

「おお、出ておりますな」

 

声がして振り向くと、庄屋の門田甚兵衛が畑の入口に立っていた。手には空の小壺を二つ抱えている。

 

「庄屋、朝からどうした」

 

「田植えの日の握り飯の礼を、言いそびれましてな。昨日の岩魚はそのつもりでございました。それと、お妙婆様が保存の壺が足りぬかもしれんと女衆に話しておりましたので、使っておらぬものを少し」

 

お妙婆はすぐ頭を下げた。

 

「助かります。春の山菜をしまうのに、ちょうどよい大きさでございます」

 

庄屋は畑へ目を向けた。

田植えの時より顔が柔らかい。畑の芽はまだ腹を満たさないが、土だけだった頃より、話の相手にはなる。

 

「春の間に、ずいぶん形になりましたな。芋、豆、雑穀。若様の家だけとはいえ、見ておくと村でも話がしやすい」

 

「話だけだぞ。まだ食えるところまで行ってない。芽だけ見て村中で真似したら、俺の胃が痛くなる」

 

「胃が、でございますか」

 

庄屋は少し笑った。

 

「では、収穫して、食い方が分かってからですな」

 

「そうしてくれ。米を捨てる話でも、田吾作爺の田へ口を出す話でもない。米を助けるものが、家の畑で少し育つか見ているだけだ」

 

台所の方から、お妙婆の声が飛んできた。

 

「若様、育てるなら食べ方まで考えてくだされ。干すも煮るも、台所で詰まれば続きませぬ」

 

庄屋が頷いた。

 

「お妙婆様の言う通りで。村の者も、腹に入る形でなければ動きませぬ」

 

「秋まで宿題だな」

 

「宿題というには、ずいぶん腹の鳴る宿題でございますな」

 

庄屋は畑を見終えると、壺を置き、くろすけへ少し離れて頭を下げた。くろすけは岩魚のある軒下を一度見てから、庄屋へ尻尾を動かした。

挨拶より魚が気になるらしい。

 

昼前、乾いた山菜は小壺へ移した。

底へ薄く和紙を敷き、山菜を崩さないよう重ねる。お妙婆は蓋をする前に、もう一度匂いを確かめた。

 

保存食置き場へ壺を運ぶと、桑の実ジャムの小さな壺と、実山椒を包んだ紙が並んでいた。大きな倉ではない。村を救う量でもない。

ただ、棚に物が一つ増えると、冬に向かう準備が着実に進んでいる感じがして、精神衛生上たいへんよろしい。

 

夕飯は、干し山菜の味噌汁と、薄塩の岩魚だった。

お妙婆は小壺へ入れたばかりの山菜から、ほんのひとつまみだけ取り出した。保存分を減らすのは惜しいが、味を確かめないまま冬へ送るのも怖い。

ぬるい湯に浸すと、縮んでいた葉がゆっくり開いた。湯の色が少し青くなり、干した山菜の丸い匂いが台所へ戻る。

味噌を溶いた鍋へ入れると、湯気に春の山の匂いが混じった。

 

岩魚は炭で焼いた。

一晩干しただけで身は少し締まり、皮に薄く塩が浮いている。炭の上で温まると、皮が張り、ぱちりと音を立てた。脂は多くない。それでも、干した分だけ旨味が中へ寄っている。

くろすけは土間の端で伏せ、鼻先だけを焼き魚へ向けていた。尻尾が床を叩かないのは、お妙婆に叱られたくないからだろう。

 

「待てる神狼は偉い」

 

くろすけは耳だけ動かした。

 

「褒めても増えませぬ」

 

お妙婆が魚を返しながら言った。

 

膳には、白飯を少し、干し山菜の味噌汁、焼いた岩魚が一匹ずつ。

椀を持つと、湯気が顔に当たった。味噌の香りの奥に、戻した山菜の青い苦みがいる。生の山菜より静かで、けれど薄くはない。噛むと、葉の端が少しきしみ、汁を吸ったところから春の匂いが戻る。

 

「うまい」

 

素直に出た。

冬用の試しだが、今食ってもうまい。

 

岩魚は箸を入れると、身がほろりと外れた。生のまま焼いた時より水気は少なく、塩の入り方も穏やかだ。口に入れると、炭の香ばしさが先に来て、後から身の甘みがじわっと出る。

白飯を少し口へ入れる。

米の甘さが、干した魚の塩気を受け止めた。

 

「これは米が助かる飯だな」

 

「進みすぎては助かりませぬ」

 

「そこが難しい」

 

くろすけには、冷ました岩魚の身を少しほぐしてやった。器を置くと、黒い鼻先が静かに近づき、一瞬でなくなった。

もこは小屋の入口で干し草を噛んでいる。魚の匂いに一度だけ鼻を動かしたが、すぐ草へ戻った。日中に草地で食べ、日向で丸くなり、夕方には小屋で干し草を噛む。

家の仕事が一つ増えたのに、その姿を見ると不思議と腹は立たない。

面倒の中にも、たまに柔らかいものが混じる。

 

食後、外へ出ると、畑の木札が夕風に揺れていた。

乾燥棚は空になり、軒下には魚の匂いが少し残っている。草地では、くろすけが山側を一回りしてから戻ってきた。もこは小屋の奥で、白い毛を丸めている。

 

春の間に、畑へ芽が出た。

乾燥棚は働いた。

保存壺が少し増えた。

もこは草地に慣れ、くろすけは相変わらず魚に正直だ。

 

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