異世界日本の山村もふもふ生活記 ~春夏秋冬の飯テロ暮らし~   作:瑞牆さん

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第4話 苦みの山菜汁

土間の入口に置かれた竹籠は、朝から俺を見張っていた。

 

昨夜、お妙婆が当然のように出しておいたものだ。

籠の横には小刀と手ぬぐい、竹筒に入れた白湯。

準備がよすぎる。

 

外は薄曇りだった。

雪は消えているが、山裾の朝風にはまだ冷たい芯が残っている。家の脇の畑では、昨日張り直した縄が湿った土の上に細い線を作っていた。

 

「今日は山の端だけだぞ」

 

俺が竹籠を背負いながら言うと、くろすけは戸口で尻尾を一度だけ揺らした。分かった、という揺れかもしれない。分かった上で守るとは言っていない、という揺れかもしれない。

 

お妙婆は前掛けを締め、腰に小さな籠を下げている。

 

「奥へは入りませぬ。山菜は、欲張ると毒草まで籠へ入りますでな」

 

山へ向かう道は、沢へ下りる道より少し乾いていた。

それでも日陰の土は黒く湿り、枯れ草の間から薄い緑の芽が顔を出していた。くろすけは先頭で風を嗅ぎ、厚い冬毛を揺らして歩く。

 

山の端に着くと、くろすけが斜面の下で鼻を鳴らした。

その鼻先の向こうに、ふきのとうがあった。少し開きかけた黄緑が土の間から顔を出している。近くには渦を巻いたこごみもいくつか見えた。

 

「これは食えそうだな」

 

俺が手を伸ばすと、お妙婆が横から小刀の背で俺の手首を軽く叩いた。

 

「根元を見て、古すぎぬものを選びなされ。開ききったものは苦みが強うございます」

 

俺は言われた通り、開きすぎていないふきのとうを指でそっと押さえ、小刀で根元を切った。

切った瞬間、青くて苦い匂いが立つ。籠へ入れると、ころん、と小さな音がした。

 

くろすけは少し先の斜面へ移り、前足で地面を軽く押した。

そこには、丸まったこごみが数本まとまっている。

 

「お前、山菜探しは本当にうまいな」

 

くろすけは俺を見上げ、耳を少し前へ向けた。山の中では、台所ほど気を抜かないらしい。

 

お妙婆がこごみを摘み、籠へ分けた。

 

「これは茹でて和え物にもできますな。汁に入れてもよろしゅうございます」

 

くろすけが急に俺の前へ回った。

俺の足元へ鼻先を下げ、次に前足で草の束を押しのける。

一見、柔らかそうな芽だった。俺は少しだけ手を伸ばしかけていた。

 

お妙婆が腰をかがめ、葉の形を見た。

 

「若様、それはやめておきなされ。似ておりますが、食べませぬ」

 

「くろすけ先生、助かった」

 

くろすけは草を押しのけた前足を一度振り、俺の脛へ軽く鼻をぶつけた。叱られた気がする。

 

少し上がったところには、うどの若い芽があった。

土から白っぽい茎がのぞき、薄緑の葉が縮こまっている。お妙婆は太すぎないものを選んで切った。

 

「これは酢味噌でもよいですが、今日は汁へ少し入れましょう。香りが立ちます」

 

「山菜汁か」

 

言った瞬間、腹が少し動いた。朝飯は食べてきたはずなのに、味噌と湯気と青い苦みを想像すると、腹は平然と次の要求を出してくる。

 

「若様、昼までには戻りますぞ」

 

お妙婆の声が、俺の妄想を切った。

 

「分かっている。山で腹を鳴らしても汁は出ない」

 

くろすけが振り返り、俺の腹のあたりを見た。

見なくていい。

 

山の端を一回りする間に、竹籠の底はふきのとうとこごみとうどで軽く埋まった。タラの芽も少しだけ見つけ、お妙婆は枝先を見て、採ってよいものを二つだけ選んだ。

 

「来年も出ますからな。全部取るものではございませぬ」

 

山菜採りは、見つけた分だけ勝ちではない。採らずに残す分を決めるのも仕事だった。

 

帰り道、斜面の湿った土で草履がずるりと流れた。すぐ横に来たくろすけの黒い肩が俺の膝に当たり、その重さで体が止まった。

 

「助かった」

 

くろすけは何も答えず、鼻先で俺の竹籠を押した。早く帰れ、ということらしい。

 

家に戻り、籠を低い台に置くと、ふきのとうの苦み、こごみの青さ、うどの少し土っぽい香りが混じって立つ。お妙婆はすぐ大きなざるを出した。

 

「若様、洗いを頼みます」

 

「了解。泥落とし係だな」

 

俺は桶に水を張り、指先に生活魔法を薄く通した。

水面に薄い揺れを作り、ふきのとうをそっとくぐらせる。泥がふわりと離れ、桶の底へ沈んだ。

 

「若様、ふきのとうはそちら。こごみはこちら。うどは皮を少し見ます」

 

お妙婆は、ふきのとうを開き具合で分け、こごみの傷んだところを外し、うどの硬い皮を薄く剥いた。

タラの芽は根元の硬いところだけを落とし、小皿へ避けておく。やはり知識ではかなわない。

 

「これ、全部今日食べるわけじゃないよな」

 

「もちろんでございます。少しは湯がいて水気を取ります。明日も食べられますし、もっと多く採れるようになったら干せるとよいのですが」

 

「干すか」

 

俺は土間の梁を見上げた。むしろを広げる場所はあるが、春は雨もあるし、土間ではくろすけの尻尾が危ない。

 

「乾燥棚がいるな。雨を避けて、風が通って、くろすけの尻尾が届かない高さ」

 

入口近くで伏せていたくろすけの耳がぴくぴく動いた。

 

「お前を疑っているわけじゃない。過去の実績を評価しているだけだ」

 

お妙婆が小鍋に湯を沸かしながら言う。

 

「若様、言い方を変えても同じでございます」

 

くろすけの尻尾が止まった。

 

湯が沸くと、山菜を順に入れた。ふきのとうは苦い香りを立て、こごみは緑を濃くする。うどは薄く切り、汁へ入れる分を残す。

俺は弱い乾燥魔法で、湯がいた山菜の表面の水気を取った。

水玉が葉の縁から落ち、ざるの上でつやが残る程度で止めた。

 

「加減が難しいな」

 

「早く済ませようとすると、だいたいまずくなります」

 

「耳が痛いな」

 

お妙婆は知らぬ顔で味噌壺を開けた。

かまどでは鍋が温まり、昨日汲んだ沢水がふつふつと泡を立て始める。だしは干した小魚を少し。そこへうどを入れると、土間の空気が急に春になった。

タラの芽は汁へ沈めず、味噌を薄く塗って火の縁で炙ることになった。油を張らず、表面の味噌が少し乾くくらいで止めるらしい。

 

味噌を溶くと、香りが丸くなる。

白い湯気に味噌の塩気と小魚のうまみ、ふきのとうの苦みが混じった。

お妙婆は最後にこごみを落とし、火を弱める。

 

くろすけが椀を覗きに来た。鼻先が湯気へ近づき、ひくひく動く。

 

「熱いから駄目だぞ」

 

言い終わる前に、お妙婆の手がくろすけの鼻先をやんわり押し戻した。

 

「くろすけ様には、別に冷ましたものを用意いたします。味噌の濃いものはなりませぬ」

 

くろすけは不満そうに耳を伏せたが、下がった。

神狼にも、台所の順番待ちはある。

 

ちょうどその時、戸口から源爺が顔を出した。山菜やきのこに詳しい老人で、手には細い枝を束ねたものを持っている。

 

「源爺、どうした」

 

「山の端に若様とくろすけ様の足跡があったものでな。採りすぎておらんか、見に来ただけでございます」

 

「信用がないな」

 

「山菜は、若い衆でも欲張りますからな」

 

源爺は土間に広げたざるを見て、ふむ、と頷いた。

 

「これならよろしい。こごみはもう少し出ます。沢の向こうは、今年はまだ遅いですな」

 

「沢の向こうは行かない。今日は山の端だけだ」

 

「それがよろしい。若様は山道で転びそうなお顔をしておられる」

 

「顔で足腰を判断されるのか、俺は」

 

源爺は笑い、お妙婆から山菜汁の小椀を受け取ると、湯気に目を細めた。

 

「春の匂いですな」

 

俺も椀を受け取る。

熱い椀を両手で包むと、指先にじんわりと温かさが戻った。汁には、こごみの緑とうどの白、刻んだふきのとうが少し混じっている。

まず、汁をすする。

味噌の塩気と小魚のだしの後、ふきのとうの苦みが舌の奥へ上がった。

苦い。

けれど嫌な苦さではない。冬の間、鈍くなっていた体の内側を、軽く叩いて起こすような苦みだ。

うどはしゃくりと歯に当たり、香りが鼻へ抜ける。こごみは柔らかく、青さが少し残る。

 

「……うまい」

 

素直に出た。

 

お妙婆は何も言わず、椀に少しだけ粥を添えた。

粥を一口食べてから汁をすすると、米と雑穀の甘みが苦みを受け止める。味噌の香りが腹へ落ち、冷えていた背中まで温まる。

春の山は、口の中で思ったより賑やかだった。

 

小皿のタラの芽にも箸を伸ばす。

薄く塗った味噌が端で少し焦げ、青い香りに香ばしさが混じっていた。噛むと、ほろ苦さが先に立ち、あとから味噌の塩気と芽のほくっとした甘みが来る。

 

くろすけには、味を薄くして冷ました汁と小魚のほぐし身が出た。山菜の味は好みではないらしいが、少しもらえたことには満足したのか、器の横で伏せた。

 

源爺は椀を空にし、手の中で温めるように持ったまま言う。

 

「米もよいが、春はこういう苦みで腹を起こすものでございます。山のものは腹いっぱいにはなりませぬが、粥に添えると心が違う」

 

 

俺は椀の底に残った汁を飲み干した。

味噌の粒が少し舌に残り、ふきのとうの苦みが後を引く。腹の中が温かい。

 

食後、ざるには湯がいた山菜が少し残っていた。

お妙婆はそれを見て、指先で水気を確かめる。

 

「今日はこのまま使えます。けれど、採れる時に少し干せれば、冬の汁に戻せますな」

 

「乾燥棚か」

 

俺は土間の外へ目を向けた。

物置の横なら雨は避けられ、風も通る。棚の高さはお妙婆の腰に合わせたい。材料は、細い枝と竹で足りるかもしれない。

考え始めた時点で、めんどくささと工作のわくわく感がある。

 

「若様、顔が仕事を見つけた顔でございます」

 

「違う。仕事に見つかった顔だ」

 

お妙婆は少しだけ笑った。

源爺も喉の奥で笑い、持ってきた枝の束を置いた。

 

「乾かすなら、風の道を塞がぬようになされ。枝は、これが軽くてよい」

 

「助かる。だが今日は作らないぞ」

 

くろすけが伏せたまま、尻尾を一度だけ床に当てた。

とん、と乾いた音がした。

 

俺はその音を聞きながら、椀を洗うために立ち上がった。

春の山菜汁はうまかった。

うまかったが、うまいものは必ず次の手間を連れてくる。

 

明日はきっと、物置の横の風通しを見ることになる。

山菜の苦みが、腹の中でまだ温かく残っていた。

 




明日から毎日1話昼に更新予定です。
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