異世界日本の山村もふもふ生活記 ~春夏秋冬の飯テロ暮らし~   作:瑞牆さん

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第6話 もこ小屋と温かい乳

夕方の物置横は、昼よりも風が冷たかった。

 

山の影が畑の端へ伸びてくると、春とはいえ空気の芯がきゅっと締まる。昼間はのんびり干し草を噛んでいたもこも、古いむしろの上で丸くなり、鼻先だけを毛の中から出していた。

見た目は綿の塊だが、中身は弱った生き物だ。見た目だけで安心すると、痛い目を見るのは俺ではなく、もこなので困る。

 

「若様、このままでは夜露が当たりますな」

 

お妙婆が、物置の軒と山から下りる風の向きを見比べて言った。

俺も同じところを見る。物置の横は風は抜けて寒そうだ。乾燥棚にはよさそうだが、弱った綿角を寝かせる場所としては心もとない。

 

「乾燥棚候補、仕官先が変わったな」

 

「棚は逃げませぬ。もこは冷えます」

 

俺は土間から古い板と短い杭、余っていた竹、傷んだむしろを引っ張り出した。まずは一晩、冷えと雨風を避け、湿気がこもりすぎない箱でいい。

 

「入口はこっちでいいか」

 

俺が物置の壁側へ板を立てかけると、お妙婆がすぐに首を振った。

 

「若様、そちらでは風が吹き込みます。入口は少し畑側へ向けて、むしろを垂らした方がよろしゅうございます」

 

なるほど。

 

くろすけは物置横をぐるりと歩いた。鼻先を地面に近づけ、薪小屋の陰、草むら、沢へ下りる道の方まで確かめる。

途中で一度だけ耳を立て、山の暗い方を見たが、すぐにこちらへ戻ってきた。

危ない獣の匂いは、今のところないらしい。くろすけは報告書を書かないので、俺が勝手にそう読むしかない。

 

「見張りは頼む」

 

くろすけは返事をしない。ただ、物置横の少し高い場所へ座った。黒い体が夕方の影に混じり、金色の目だけがゆっくり動く。

頼もしい。少し怖い。山暮らしでは、その二つがたまに同じ顔をしている。

 

俺は板を二枚、物置の壁と杭に渡して、低い屋根の形を作った。隙間には竹を横に通し、古いむしろを内側に掛ける。

生活魔法の簡単な修繕で、割れた板のささくれを押さえ、杭のぐらつきを少し締める。

魔法と言っても、材木が急に新品になるわけではない。

緩んだところ・割れ目を直す、縄の結びをほどけにくくする程度の魔法だ。

それでも手だけでやるよりは早い。

 

「若様、下が冷えます」

 

「むしろを二枚重ねるか」

 

「その上に乾いた草を薄くするのがよいでしょう」

 

「綿角の寝床思ったより大変だな」

 

もこは、俺たちの作業を少し離れたむしろの上から見ていた。

人の仕事を理解している顔ではない。鼻をひくひく動かし、時々干し草に口を伸ばし、めえと小さく鳴く。

毛の中に夕方の冷たい匂いと干し草の甘い匂いが混じっていた。

 

小屋の形がどうにか立つと、俺は内側へ手を入れて風を確かめた。山側の隙間から細い風が抜ける。

完全に塞げば温かい。だが湿気もこもる。湿ったまま夜を越したら、毛の奥で冷えそうだ。

 

「ここ、少しだけ開ける」

 

「開けすぎると冷えます」

 

「分かってる。換気口というほど立派じゃないけど、息と湿気の逃げ道だ」

 

お妙婆は中を覗き込み、指で風の通りを確かめた。

 

「このくらいなら、よろしゅうございます。夜に冷えたら、むしろを一枚足しましょう」

 

認可が出た。

俺は小屋の入口に低い水桶を置き、奥に干し草を少し入れた。水桶は倒れにくいように、石を二つ寄せて支える。器は洗浄魔法で丁寧に洗い、ぬるい湯を少しだけ入れておく。

冷たい水はうまいが、今のもこには腹に悪そうだった。

 

「もこ、入れるか」

 

もこは鼻先を上げ、干し草の匂いに気づいたのか、ゆっくり立ち上がった。足元はまだ頼りない。歩くたびに毛の固まりが揺れ、泥を落とした部分だけがふわりと軽そうに見える。

手を伸ばすと、もこは袖をもそりと噛んだ。

 

「お?案内してほしいのか?」

 

もこは袖を噛んだまま、一歩、また一歩と小屋へ近づく。

くろすけが入口の横へ回り、前足で地面を一度押した。もこは一瞬止まったが、干し草に鼻を突っ込むと、急にやる気を出した。

もそもそ。

顔が半分、草に埋まる。

 

「寝床より飯か」

 

「落ち着いた証でございます」

 

そういうものか。

もこは小屋の奥で干し草を噛み、しばらくしてから足を折った。

丸くなると、また綿の塊が落ちているようだ。

白灰色の毛がむしろの上でふくらみ、鼻先だけが小さく動いている。

 

くろすけは入口の外で伏せた。

 

「くろすけ、そこで寝るなよ。お前まで冷える」

 

くろすけは尻尾の先だけを動かした。

寝る気だ。

俺はため息をつき、古い布を一枚持ってきて、くろすけの背に掛けようとした。

くろすけはするりと避けた。

 

「心配はされたいが布はいらないのか」

 

お妙婆が笑いをこらえながら、土間へ戻っていく。

 

夕飯は、山菜の残りと豆を少し入れた味噌汁だった。

かまどの火が土間を赤く照らし、鍋の中で味噌の香りが立つ。干し小魚の出汁に、こごみの青い香りと、豆の匂いが混じった。

椀を持つと、指先まで温かい。

外ではもこがときどき干し草を噛む音を立て、くろすけが入口の横で静かに見張っている。

 

「生き物が増えると、飯の音も増えるな」

 

「若様の仕事も増えます」

 

「そこは聞こえないことにしたい」

 

「聞こえなくても、朝には水桶が汚れております」

 

現実は耳を塞いでも近づいてくる。

俺は味噌汁をすすった。山菜の苦みが味噌に包まれ、豆の甘さが後からくる。腹のあたりからじわりと温まった。

 

夜、寝る前にもう一度もこ小屋を見に行った。

もこは丸くなって寝ていた。小さく腹が上下し、毛の奥からぬくい匂いがする。入口のむしろは半分だけ下ろし、風が直接当たらないようにした。

くろすけは小屋の外で伏せている。俺が近づくと顔を上げたが、すぐ山の方へ目を戻した。

 

「交代制を理解してくれる相手じゃないよな」

 

俺は諦めて、くろすけの近くに干し草を少し敷いた。布は嫌がるが、地面よりはましだろう。

くろすけはしばらくそれを見てから、ゆっくり前足を乗せた。

勝った。なんの勝ちなのかわからないが...

 

 

翌朝、もこ小屋のむしろには白い息が薄くかかっていた。

空は晴れているが、畑の土はまだ冷たい。足裏から湿った冷えが上がってくる。

もこは起きていた。干し草に鼻を突っ込み、昨日より少ししっかりした足取りで入口まで出てくる。俺を見ると、めえと鳴いて、当然のように袖を噛んだ。

 

「とにかく袖を噛むの、どうにかならないか」

 

もこは袖を噛んだまま、足踏みする。

くろすけが横から鼻を近づけると、もこは毛を少し膨らませた。くろすけは一歩引き、何でもない顔で山の方を見た。

何でもない顔をしているが、もこの毛に少し負けているように見えるぞ。

 

お妙婆は小さな木椀を持って小屋へ来た。

 

「若様、少しだけ乳が取れました」

 

「もう搾ったのか」

 

「張っておりましたからな。無理には取りませぬ」

 

木椀の底に、白い乳が薄くたまっている。記憶にある牛乳より少し濃く、青草と獣の温かさが混じった匂いがした。

俺はすぐに土間へ戻り、小鍋と器を洗浄魔法で念入りに清めた。木椀の乳を小鍋へ移す。

 

「焦がすな、と顔に書いてある」

 

「書かずとも分かってくださいませ」

 

「はい」

 

火にかけるほどの量ではない。俺は小鍋を湯の上に浮かべるようにして、弱い加熱魔法を添えた。熱を急がせず、指先で鍋肌の温度を確かめる。

白い表面がゆっくり揺れ、甘い匂いが少し立った。草の匂いの奥に、柔らかい乳の香りがある。慣れた牛乳とは違うが、嫌な癖ではない。

 

お妙婆が小さく頷いた。

 

「これなら飲めますな」

 

「まずは毒見か」

 

「若様」

 

「分かってる。大事に味見する、じゃない毒見する」

 

小さな椀に分けて、口をつけた。

熱すぎない。舌に乗ると、少しだけ青い匂いがあり、そのあとに丸い甘みが来る。喉を通ると胸のあたりがじんわり温まった。

春の朝には、妙にありがたい。

 

「うまいな」

 

お妙婆も少し口をつけ、目元をゆるめた。

 

「癖はありますが、温めればよろしゅうございます。粥に少し入れても合いましょう」

 

「乳粥か。米を増やさず腹持ちがよくなるなら悪くない」

 

そう言ってから、俺は小鍋の底に残ったわずかな白を見た。

くろすけが土間の入口から鼻を突き出した。

匂いに釣られたらしい。

 

「飲むか」

 

ほんの一滴、指先につけて差し出す。くろすけは慎重に舐めた。

そして、ゆっくり俺を見た。

肉はないのか、という顔だった。

 

「分かりやすいな、お前」

 

くろすけは台所の隅に置いてあった焼き魚の端へ視線を向ける。

はいはい。

神狼の評価基準はぶれない。

 

朝飯は、昨日の粥を温め直し、少しだけもこの乳を落とした。味噌ではなく塩をほんの少し。湯気の中に、米と雑穀の甘い匂い、乳の丸い香りが重なる。

口に入れると、粥の粒がいつもより柔らかく感じた。雑穀のぷつぷつした歯触りの間に、乳の甘みが薄く広がる。腹に落ちる温かさが、味噌汁とはまた違う。

 

「これは冬に強そうだ」

 

「その前に、毎日の世話でございます」

 

お妙婆の声は優しいが、内容は重い。

俺は椀を持ったまま、外のもこ小屋を見た。もこは入口近くで干し草を噛み、くろすけは焼き魚の端をもらって満足そうに座っている。

 

毛と乳。

冬支度の言葉としては頼もしい。

だが、目の前にあるのは、汚れる水桶、減る干し草、直す小屋だ。

 

「暮らしが楽になる前に、まず手間が増えるの、世の中というものか...」

 

「手をかけた分だけ、返ってくるものもございます」

 

お妙婆はそう言って、畑の方を見た。

昨日まで後回しにしていた畝が、春の朝日に薄く照らされている。雑穀、豆、芋。そちらも植えたら終わりではない。

世話がいる。

 

俺は粥を最後まですすった。

乳の甘みが、まだ舌に残っている。

 

「まずは、もこの水桶を洗ってから畑か」

 

くろすけが尻尾を一度振った。

もこは干し草に顔を突っ込んだまま、めえと鳴いた。

 

返事をしたわけではない。

けれど、春の別宅に、やることが一つ増えたのは確かだった。

 

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