「ふぅー!」
馬車に揺られることしばし。学園の宿舎から少し離れた場所にある、ソワレルの公衆浴場へとやって来た。
銭湯など、前世では行ったことがあったかどうかすら怪しい。ほとんど縁のない生活を送っていたはずだ。まさか人生初――いや、おそらく初めての銭湯が異世界になるとは思いもしなかった。この世界でも同様の施設は滅多に見かけなかったし、なかなか貴重な体験である。
初めての銭湯に、期待と緊張が半々といったところだったが、実際に来てみれば造りは驚くほどシンプルだった。勝手が分からず戸惑うようなこともなく、普通に入浴できたのはありがたい。
番台らしき場所で入浴料を支払い、男湯の暖簾をくぐる。空いているロッカーを適当に選び、着替えと脱いだ服を放り込めば準備完了。あとは浴場へ向かうだけだ。
――案外、あっさりしたものだな。
もっと複雑な作法でもあるのかと身構えていた自分が少し恥ずかしい。もっとも、この世界と前世の常識が完全に同じとは限らないのだが。
浴場にはそれなりに人がいた。おそらく自分と同じ受験者たちだろう。宿舎に風呂がない以上、身体を洗いたければこうした場所に来るしかない。需要は相当なものに違いない。この時期はきっと繁盛していることだろう。
「はあー……銭湯も、たまには悪くないな」
ひとっ風呂浴びた俺は、店内に置かれた木製のベンチに腰掛け、瓶入りの牛乳をぐいっとあおりながらミオを待っていた。
火照った身体に冷たい牛乳が染み渡る。喉を通るたび、じんわりと全身の熱が引いていく感覚が心地いい。思わず小さく息が漏れた。
贅沢を言うなら、この流れでアイスも食べたいところだ。だが、このあと夕飯を食べに行く予定なのだから我慢しよう。ここで余計なものを腹に入れてしまっては本末転倒だ。
「あっ、サダメ。もう上がってたんだ?」
背後から声をかけられ振り向くと、そこには風呂上がりのミオが立っていた。
濡れた髪が肩に張り付き、ほんのりと上気した頬がいつもより柔らかい印象を与える。湯気をまとっているせいか、どこか艶やかで――思わず一瞬だけ視線を奪われた。
……気のせいだろうか。教会の風呂に入ったときより、妙に大人びて見える。
「おう」
余計なことを考えないよう、短く返事をする。
「よし。あんまり時間もないし、メシ食いに行くか」
「うん」
本当は、風呂上がりのこの気だるい時間をもう少し味わっていたい。だが外はすでに日が沈んでいる。馬車にも最終便があり、それを逃せば宿に戻れなくなる可能性すらある。最悪、野宿だ。それだけは避けたい。
腕時計型の魔道具に目を落とす。表示されている時刻は七時十五分。最終便は九時だから余裕があるように見えるが、のんびり夕食を楽しめるほどではない。すぐに食べられそうな店を探す必要がある。
急がなくては。
「ん?」
銭湯を出ようとしたそのとき、ミオの持っていた手提げ籠から何かがぽとりと落ちた。
さっきから少し中身がはみ出しているように見えていたが、どうやらそれが滑り落ちたらしい。
「……これは……」
拾い上げる。
三角形の白い布。ハンカチでもバンダナでもない。
嫌な予感がした。
「ミオー」
「ん?」
彼女を呼び止め、落ちていたものを差し出す。
「このパンツ、お前のだろ? 落ちてたぞ」
「……ッ!?」
形といい、手触りといい、どう見ても下着だった。脱いだ服や使ったタオルをまとめて籠に放り込んだのだろう。運が悪ければ、他の誰かに拾われていたかもしれない。
もし拾ったのが男だったら――などと考えた、その瞬間。
「んぐえっ!?」
強烈な衝撃が腹にめり込んだ。
ミオのボディーブローである。
呼吸が一瞬止まり、俺はその場に膝から崩れ落ちた。
なぜ殴られたのか理解できず、うずくまりながら混乱する。洗濯物を干すときに彼女の下着など何度も目にしているはずなのに、なぜ今さら――。
「晩御飯、全部奢ってよね?! あと、明日の分も!」
怒りに頬を赤く染めたミオは、それだけ言い残してさっさと店を出ていく。
「……な、んで……?」
理由も分からぬまま、俺は食事代を負担することが確定したのだった。
――転生勇者が死ぬまで、残り4114日。