「……リーフさん?」
「サダメ、あの人って……」
白い階段を上っていくその人物の姿を目にした瞬間、俺とミオはほぼ同時に顔を見合わせていた。互いの表情を見れば、言葉にしなくとも分かる。同じ衝撃を受けているということが。
ミオもリーフさんの存在は知っていたらしい。顔をはっきり覚えていたわけではないが、「どこかで見たことがある人」という認識はあったようだ。
それにしても――未だに信じられない。
まさか、あの人がこのソワレル学園の理事長だったなんて。
自分の中では、完全に「学園のスカウト担当」くらいの認識だった。部活をしていた頃、たまにグラウンドの端で見かける、少し変わったおじさん。そんな印象しかなかったのだ。
それが、学園のトップ。
しかも、理事長自ら街に出てスカウトをしていたという事実。
今になって思えば、恐れ多いにも程がある。
無礼なことをした覚えは……たぶん、ない。ないはずだ。
そう自分に言い聞かせつつも、胸の奥にほんの少し罪悪感のようなものが浮かび上がってきた。
『さて』
そんな俺の内心など知る由もなく、リーフさんは朗らかな声で続ける。
『ここで長話をしても退屈するだろうし、そろそろ試験を始めようか』
「えっ?! もう?!」
「つーか、本当にここでやるのかよ?」
「いくらなんでも急すぎだろ!」
「てか、試験って結局なにすんの?」
「こんだけ人がいて大丈夫なのかよ?!」
自己紹介を終えるや否や、いきなり試験開始宣言。
当然のように、受験者達から不満や疑問の声が一斉に噴き出す。
それも無理はない。
試験内容の説明もなく、心の準備をする時間すら与えられていないのだから。
『はっはっは、安心したまえ』
そんな騒然とした空気を、リーフさんは笑い声一つで受け流す。
『ちゃんと説明はするよ。その前に……』
その時、俺は気づいてしまった。
リーフさんの右手が、軽く前に突き出されている。
指を鳴らす――そんな仕草だ。
嫌な予感が、背筋を走る。
『会場の準備を済ませてから、だね』
次の瞬間。
パチン、という乾いた音が響いた。
それと同時に、足元の感覚が一変する。
野原の地面が、まるで生き物のようにぐにゃりと歪み、波打ち始めたのだ。
「な、なにこれ?!」
「うわっ!?」
突然の異変に、受験者達は一斉に悲鳴を上げる。
誰もが素人のサーフィン状態で、必死にバランスを取ろうとしていた。
俺も同じだ。
踏ん張ろうとするが、地面が安定しないせいで、まともに動くことすらできない。
「ミオ! 捕まれ!」
それでも、左手だけはどうにか動かせそうだった。
嫌な予感が胸を締め付ける。せめて、彼女とは離れたくない。
俺は必死に腕を伸ばし、ミオに手を差し出した。
「……うっ、ダメ……動けない……」
ミオは地面に手をつき、姿勢を保つので精一杯の様子だった。
片手を離す余裕など、なさそうだ。
今の彼女は、まるで生まれたての小鹿のように震えている。
それでも――。
「頑張れ、ミオ! ほら、もう少しだ!」
俺は限界まで体を傾け、腕を伸ばす。
足は震え、今にも崩れそうだが、それでも踏ん張る。
ミオも、必死に勇気を振り絞り、ゆっくりと手を伸ばしてきた。
あと少し。
指先が、届きそうで――
「ッ!?」
「キャッ!?」
その瞬間だった。
波打っていた地面が、唐突に――大きな穴へと変貌する。
足場が消え、体が宙に投げ出される感覚。
手と手は、最後まで繋がらなかった。
俺達は、そのまま抗う術もなく、暗い穴の中へと落下していった。