「はえー……どこもかしこも広いなー」
寮を出て少し歩いただけだというのに、視界に入る建物はどれも規格外だった。
思わず首を上げる。
いや、上げるというより、見上げる。
高い。とにかく高い。
石造りの塔のような校舎がいくつも立ち並び、その高さはもはや高層ビルと言って差し支えないレベルだ。それが一棟や二棟ではない。あっちにも、こっちにも、当たり前のように建っている。
視線が落ち着かない。上を見たり、左右を見回したり、忙しなく辺りを観察してしまう。
……傍から見れば完全に田舎者だろう。
まあ、事実その通りなのだが。
この学園は、良い意味で異常だ。
もはや“学校”というより一つの都市だ。これだけの建造物を当然のように維持・管理しているのだから、規模も資金も常識外れである。
「これだけあると、しばらくは迷子になりそうだな……」
歩きながら呟く。
似たような外観の建物も多い。塔、講堂、研究棟らしきもの、用途不明の巨大施設。案内板が丁寧に設置されているのが唯一の救いだ。
……学園に案内板って。
大学かここは?
思わず苦笑する。
しばらく歩き続けていると、じわじわと首に違和感が出始めた。
「うぅ……なんか首痛くなってきた……」
無意識に上を見続けていたせいだろう。高い建物が視界に入ると、反射的に見上げてしまう。もはや癖になっている気がする。
左手で首筋を押さえながら考える。
「一度戻るか……? いや、まだ朝方だしな」
日は出たばかり。空気は澄んでいる。
寮の食堂は時間制で、まだ利用できない。部屋に戻っても特にすることはない。
それに――。
上を見上げただけでへばるなど、学園の生徒としてどうなのか。
……いや、別にそんな基準はないのだが。
リーフさんの言葉がふと頭をよぎる。
“困難な壁が立ちはだかった時は他者を頼れ”。
……いや、これは首の話ではないな。
そんなことを考えていると、不意に視界の端に違和感が映った。
「ん? あれは……」
少し脇へ逸れた場所に、木々が生い茂る細い道がある。
森の入り口のように、緑が重なり合い、その先はほとんど見えない。
学園の中心部とは明らかに空気が違う。
「……まあ、ずっと見上げてるよりはマシか」
小休憩も兼ねて、そちらへ足を向けた。
舗装された道から外れると、足元は土の感触に変わる。林道は思いのほか長く、整備もあまりされていないようだ。
落ち葉が積もり、枝が所々に転がっている。
普段、あまり人が通らないのだろう。
貴族の子息令嬢が好んで歩く道には思えない。自分のような物好きでもなければ、わざわざ入らないはずだ。
「まさかこんな所に道があるなんてな……」
さらに進むと、微かな音が耳に届いた。
さらさら、と。
「……水の音?」
立ち止まり、耳を澄ます。
湧き水にしては音が大きい。流れがある。
どうやら小川らしい。
あれだけ巨大な建造物群のすぐ近くに、こんな自然が残っているとは思わなかった。
木陰のせいか、空気も少しひんやりとしている。さっきまでの首の違和感も、いつの間にか薄れていた。
林道を抜けると、視界がぱっと開ける。
「へー……なんか、風情を感じるな」
そこには小川が流れていた。
川幅はそれほど広くないが、思ったより水深はありそうだ。澄んだ水が陽光を反射してきらきらと揺れている。
整備されていない道とは裏腹に、水は驚くほど綺麗だった。
自然と息を吐く。
――いい場所だ。
そう思った、その時。
「……おろ?」
間の抜けた声が、川の向こう側から聞こえた。
どこかとぼけた響き。
ついこの間、耳にした覚えがある。
「……おまえ……」
恐る恐る声の方向へ視線を向ける。
そして――時間が止まった。
川辺に立っていたのは、白く艶やかな肌を惜しげもなく晒した少女。
朝日に照らされ、水面の反射がその身体を淡く彩る。
マヒロ・トーエンが、そこにいた。