「ッ?!」
マヒロが刀に手を掛けた、その瞬間だった。
周囲の空気が、ざわりと震える。
生徒たちの制服の裾が揺れ、野原の草が波打つ。
ただ雰囲気が変わった、という比喩ではない。明らかに“何か”が変化している。
次の瞬間、彼女の黒髪がゆっくりと色を失い――鮮やかな緑へと染まっていった。
同時に、彼女を中心として強い風が巻き起こる。
それはまるで、ミオの風魔法を凝縮したかのような自然な暴風だった。
「はあっ!!」
鋭い気合いと共に、マヒロは居合の構えから一息で刀を抜き放つ。
閃光のような一閃。
だが刃が斬ったのは空間そのものだった。
目に見えぬ風の刃が、地面すれすれを一直線に駆け抜ける。
その速度は視認すら困難。
遅れて、一直線に草が宙へと舞い上がる。
刃は触れていない。
それでも、通過した軌道上の草は、正確に断ち切られていた。
「ふぅ」
風の刃が遠く地平線の彼方へ消えていく頃には、マヒロはすでに刀を鞘へと収めていた。
周囲を包んでいた暴風は収まり、緑に変わっていた髪も、いつの間にか元の黒へと戻っている。
――あれが、魔剣・魔妖。
髪色の変化は、おそらく自然魔法との同調現象。
剣を媒介に、風を極限まで洗練させているのだろう。
ミオの風魔法とは対照的だった。
荒々しく力任せに魔力を放出するのではない。
制御され、研ぎ澄まされ、無駄がない。
一太刀に込められた密度が、まるで違う。
「……魔剣は扱いそのものが難しい。それをここまで使いこなすか」
先生が珍しく感心した声を漏らす。
「文句なしの合格だ」
「はあ。よかったでござる」
マヒロは胸を撫で下ろしながらも、どこか余裕を崩さない。
今のところ、合格者は彼女一人。
厳しい先生が即断するのも無理はない。
実力も、体力も、明らかに一段上だ。
――だが。
「けれど、拙者は走り込みも好きでござる」
「……何?」
「よい鍛錬にもなる。拙者も共に走ってよいでござるか?」
まさかの申し出だった。
「……まあ、接近戦主体なら魔法より肉体強化の方が効率はいいか。好きにしろ」
「かたじけない!」
合格を自ら放棄するような発言。
これでは結局、全員走ることになるのではないか。
このテストの意味とは一体――と、思わず遠い目になる。
「あっ、見つけたでござるー!」
次の瞬間、視界いっぱいにマヒロの顔が迫った。
「ッ!? マヒロ!?」
彼女は勢いよく駆け寄り、そのまま躊躇なく自分へダイブしてくる。
衝撃で後ろに倒れそうになるのを、どうにか踏みとどまる。
「拙者も走り込みに参加するゆえ、一緒に鍛錬するでござる!」
「あ、ああ……分かった。分かったから、ちょっと離れて……」
甘えるように抱きつく彼女を引き剥がそうとするが、思った以上に腕力が強い。
小柄な体のどこにそんな力があるのか。
――この状況をミオに見られたら、また風魔法で吹き飛ばされるのでは。
嫌な予感がして、そっと視線を向ける。
「……」
だが、彼女はこちらを見ていなかった。
体育座りのまま俯き、微動だにしない。
さきほどの先生の言葉が、相当堪えているのだろう。
あの辛辣な指摘。
“論外”という一言。
彼女は、誰よりも努力してきたはずだ。
「……ミオ……」
声をかけようと、立ち上がりかける。
けれど、足が止まる。
何を言えばいい?
慰めか。励ましか。それとも叱咤か。
どれも、今の自分には軽すぎる気がした。
さきほど火球を霧散させた自分に、彼女を支える資格があるのか。
胸の奥が、じわりと重くなる。
結局、自分はその場に立ち尽くしたまま、何一つ言葉を見つけられなかった。