奴の言っていることが、どうしても理解できなかった。
あの結界からは逃げられないはずだ。それに、つい先ほどまで奴の姿は確かにそこにあった。――また適当なことを言って煙に巻こうとしているのか。
「『私の影魔法の特性は、あらゆる影を手中に収め、意のままに変幻自在へ操れること。影を用いて生物を生成することも可能ですが、それだけではありません。私自身を、他の影へ移動させることもできるのです』」
「?! どういうことだ……?」
「『その特性を使って逃げたのですよ。彼の影へ』」
「っ?!」
一見すると荒唐無稽な話だ。
だが――あの戦いを見ていた自分には、なぜか理解できてしまった。
この言葉に嘘はない、と。
他の影への移動。
つまり、他者の影へ潜り込むことも可能だということ。
父が背後から貫かれた事実を思い返せば、背後の影へ移動した――そう考えると、全てが繋がる。
「じゃ、じゃあ……あの時の魔法は……」
「『魔法? ああ、あれはただのブラフですよ』」
「……な、に?」
「『影を集めて、それっぽい形に成形しただけの塊です。どうでした? それなりに“強大な魔法”に見えたでしょう?』」
言葉を失った。
あれほど巨大な影を一瞬で集める魔力量も異常だが、それが攻撃魔法ですらなかったという事実が、さらに常識を破壊する。
「『彼の実力を認めていたのは事実です。だからこそ、正面から戦うのは危険だと判断しました。ならば、いかに欺いて殺すかを考える。中途半端な陽動は通じない相手でしたからね』」
魔物は淡々と語る。
「『そこで私は、“全力で戦っているフリ”を演出した。魔法と言葉を操り、彼に信じ込ませたのです。――正々堂々と渡り合える相手だと』」
「……っ!」
「『案の定、彼は私の真意に気づかぬまま、全力の魔法を放った。――そちらにいたのは分身体だというのに』」
「くっ……!」
歯が軋む。
もしこの言葉が真実なら、父は実力で負けたわけではない。
勝てていたかもしれない戦いを、“欺き”によって奪われたのだ。
「『彼の敗因は、相手の言葉を受け入れてしまったこと。ただそれだけです。殺し合いの場では、その“わずかな隙”が死へと直結する』」
魔物の視線が、まっすぐこちらを貫く。
「『君にとっては、良い学びになりましたね。――まあ、だから何だという話ですが』」
「っ?!」
魔物は語り終えると、こちらへ歩み寄り――そのまま通り過ぎた。
どこへ向かう――?
「きゃあああああっ!!」
母の悲鳴。
「っ?! 母さん!」
振り向けば、巨体の魔物が母の髪を掴み、地面へ押さえ付けていた。
しまった。父の死の衝撃に囚われ、母の存在を忘れていた――!
「『さて。この勝負、私の勝利ということで』」
「や、やめ――ぐっ?!」
駆け出そうとした瞬間、背後から強烈な蹴りが叩き込まれ、前のめりに倒れ込む。
いつの間にか、他の魔物たちが周囲を取り囲んでいた。
「くっ……そ……っ、があっ?!」
背中の痛みに耐えながら起き上がろうとするが、複数の魔物に押さえ付けられ、身動きが取れない。
魔力では劣るはずの相手に、純粋な腕力で完全に制圧されていた。
「『戦利品は、この村のすべて。元々略奪目的で来たのです。勝ち負けなど最初から存在しません』」
魔物は愉快そうに続ける。
「『もっとも――君が私を倒せるなら、話は変わりますがね』」
「くっ……!」
煽られても、何もできない。
今の自分にできるのは、ただ涙を流すことだけだった。
こうして、自分たちの平和な日々は突然終わりを告げ、地獄の時間が幕を開けた。
――転生勇者が死ぬまで、残り8169日。