「もう時間がない。いくぞ!」
「うん!」
球体との距離は、もはや残りわずか。悠長に作戦を説明している余裕などない。俺は最低限の指示だけをミオに伝えた。彼女はそれを即座に理解したのか、何も問わず力強く頷く。こういう場面での判断の速さには、本当に助けられる。
「押し返せ、逆境の風よ――【追い風の軌跡《テイルド・ローカス》】!」
ミオは右手を横へ突き出し、左手一本で俺の身体を支えながら詠唱を放つ。次の瞬間、彼女の掌から荒れ狂う暴風が巻き起こった。先ほどの無詠唱とは比べものにならない規模の嵐――だが、それすらも球体は容易く飲み込み、まるで存在ごと消し去るかのように吸収してしまう。
「くっ……!」
それでも、完全に無力化されたわけではなかった。ほんの僅かに残った風圧が、俺たちの身体を支える。その力を利用し、俺はミオを抱き寄せたまま、左へとじりじりと移動を開始した。
足を上げれば、その瞬間に引きずり込まれる。ならば、地面を擦るように進むしかない。
「あ゛ん? 横に逃げて時間稼ぎのつもりか?」
ホープが嘲笑を浮かべる。
「無駄だっての。どうせ魔力切れ狙いだろ? だがな――魔薬で底上げした俺の魔力量は通常の三倍だ。このペースなら三十分は余裕で持つ。お前らがそれまで耐えられるわけねぇだろうが!」
「……」
図星ではあった。確かに魔力切れも視野には入れていたが、この距離では到底持たない。結果的にその選択を捨てたのは正解だった。
もっとも――この作戦とて、成功が保証されているわけではないが。
狙いはただ一点。ホープと球体が重ならない位置。ほんの一瞬でも、その隙が生まれればいい。
「……もう少しだ。あと少し踏ん張れ、ミオ!」
「くっ……うぅ……!」
彼女の声が震える。それでも風は途切れない。
じわり、じわりと距離を詰め、ついに狙いの位置が見えてきた。
――今だ。
「……ミオ、頼む!」
「押し返せ、逆境の風よ――【追い風の軌跡《テイルド・ローカス》】!!」
その瞬間、俺は左手に握っていた“切り札”――迅雷を逆手に構え、振りかぶる。
やり投げの要領で、一気に投擲する構えだ。
狙いはホープ本体。あの球体に飲まれる前に、意識を刈り取る。
だが問題は明白だった。普通に投げれば、確実に球体に吸われて終わる。
だからこそ、この一瞬に賭ける。
ミオの風が、ほんの一瞬だけ奴に届いた。ならば、その刹那に合わせれば――通る。
だが、問題はそれだけではない。
迅雷は、魔力を流して初めて真価を発揮する武器だ。手放せば、その力は激減する。
――ならば。
魔力を“流した状態”で、投げればいい。
俺は咄嗟に詠唱を紡ぐ。
「爆ぜる焔よ、火の球として聚合し――眼前の標的へ猛る一投を撃ちかけん!」
火球の魔力を、発射せずに掌へと圧縮する。
次の瞬間、反動が左手を焼いた。
皮膚が裂けるような熱。骨まで焦がすような激痛。それでも――構わない。
今はただ、この一撃を通すことだけだ。
「【火球《フレェール》】ゥゥゥッ!!」
燃え上がる左手から放たれた迅雷は、炎を纏いながら一直線に駆ける。
狙うはただ一人――ホープ。
すべてを賭けた、その一投が、今、放たれた。