転生勇者が死ぬまで10000日   作:慶名 安

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第6章ー56

 「はあ……はあ……はあ……」

 

 当時十五歳だった俺は、一つ年上の姉とともに、近くの山へ山菜採りに出かけていた。

 

 家は両親共働きで、決して貧乏というほどではない。だが、贅沢ができるほど裕福でもなかった。だからこそ、山で山菜を採り、川で魚を捕まえて食費を浮かすのは、俺たちにとって珍しいことではなかった。

 

 山や川に野生の魔物が出る危険性は、子供でも知っている常識だ。

 

 だが、俺たちが足を運んでいた村近くの山には、“タリスターの花”が自生している。魔物が嫌うその花のおかげで、そこは安全地帯として知られていた。

 

 ――少なくとも、そのはずだった。

 

 「……っ」

 

 山菜採りに夢中になっていた、その時だった。

 

 気配を感じて顔を上げた瞬間、目の前に現れたのは――

 

 【飢えた大狼《スターグウルフ》】

 

 巨大で、獰猛なウルフ系統の魔物。

 

 奴は涎を垂らしながら低く唸り、今にも飛びかかってきそうな体勢を取っていた。

 

 頭が真っ白になる。

 

 何故、こんな場所に――?

 

 タリスターの花があるはずの山に、どうしてこんな危険な魔物がいる?

 

 理解が追いつかない。だが、それ以上に――恐怖で身体が動かなかった。

 

 後に分かったことだが、本来群生していたタリスターの花は、何者かによって根こそぎ抜かれていたらしい。

 

 だが、あの時の俺たちがそんな異変に気付けるはずもない。

 

 当たり前に存在していたものが、ある日突然すべて消えているなど――普通は想像すらしないのだから。

 

 「――っ!」

 

 動けない俺を見て、奴は真っ先にこちらへ狙いを定めた。

 

 その瞬間。

 

 「下がって!」

 

 姉の声が響く。

 

 次の瞬間、重力が圧し掛かるようにして魔物の動きが鈍った。

 

 姉の魔法――重力操作。

 

 完全に使いこなせていたわけではない。相手を自在に浮かせ、叩き落とすほどの精度はなかった。

 

 それでも、地面へ押さえつける程度なら可能だった。

 

 だが、それはあくまで時間稼ぎに過ぎない。

 

 魔物との戦いは、最終的に“魔力の押し合い”になる。純粋な力で勝る相手を、長く拘束し続けることなどできない。

 

 「くっ……!」

 

 案の定、魔物は強引に抵抗を始めた。

 

 そのうえ、奴の咆哮が山に響き渡る。

 

 「グルァアアアアアアッ!!」

 

 その圧に、姉の身体がわずかに揺らいだ。

 

 ――まずい。

 

 抑え込みが、崩れる。

 

 助けを呼んでも間に合わない。

 

 そう悟った姉は、俺に向かって叫んだ。

 

 「逃げて!」

 

 「でも……!」

 

 見捨てるようで、足が動かない。

 

 だが――俺が残ったところで、何もできない。

 

 その現実を、嫌というほど理解してしまった。

 

 「……っ!」

 

 歯を食いしばり、俺は背を向けて走り出した。

 

 山を転げ落ちるように駆け下りる。

 

 怖かった。

 

 魔物の存在が。迫り来る死が。どうしようもない無力さが。

 

 すべてが、心を押し潰していく。

 

 「はあ……はあ……! だ、誰か……助けて……!」

 

 声を張り上げたいのに、息が続かない。

 

 かすれた声が、情けなく空気に溶ける。

 

 「お願いだ……誰か、来てくれ……!」

 

 涙で視界が滲む。

 

 その時だった。

 

 「グルルルルルルルル……!」

 

 「……えっ?」

 

 目の前の道を塞ぐように、再び奴が現れた。

 

 足が止まる。

 

 頭が、真っ白になる。

 

 さっきまで姉に抑えられていたはずの魔物が、どうしてここにいる?

 

 別個体――?

 

 いや、違う。

 

 奴の口元には、血と涎が混じっていた。

 

 ついさっき、何かを喰ったばかりのような痕跡。

 

 ――嘘だ。

 

 そんなはずはない。

 

 そうであってほしくない。

 

 「ガアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 咆哮とともに、奴が飛びかかってくる。

 

 終わった。

 

 逃げられない。

 

 抵抗もできない。

 

 ――死ぬ。

 

 膝から崩れ落ちる。

 

 妙に冷静な思考が、頭の中をよぎる。

 

 どれくらい痛いのか。

 

 どれくらいで意識が途切れるのか。

 

 どうせ助からないのなら、せめて恐怖を紛らわせたい――そんな逃避じみた考えすら浮かんでいた。

 

 その時。

 

 「創造せよ。すべてを退ける鉄壁の防壁を」

 

 声が、聞こえた。

 

 「……?」

 

 幻聴かと思った。

 

 だが次の瞬間。

 

 「【要塞の壁《フォール》】」

 

 轟音とともに、巨大な鉄の壁が出現した。

 

 「キャンッ?!」

 

 突進してきた魔物は、そのまま頭から激突し、情けない悲鳴を上げる。

 

 「……な、何が……」

 

 状況が理解できない。

 

 その間に、ひとりの男が軽やかに壁を飛び越え、俺の前へと降り立った。

 

 「ふう……間に合ったようだね。大丈夫かい?」

 

 青い長髪を揺らしながら、男は穏やかな声でそう言った。

 

 「ッ……あ、あんたは……?」

 

 驚きと困惑が入り混じる中、俺は問いかける。

 

 すると男は、わずかに微笑み――

 

 「私はリーフ・エンドレッド。しがない旅行者さ」

 

 そう名乗りながら、こちらへ手を差し伸べてきた。

 

 ――リーフ・エンドレッド。

 

 この男との出会いが、俺の人生を大きく変えることになるなど――

 

 あの時の俺は、まだ知る由もなかった。

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