「う゛っ……う゛お゛ぇっ……!」
喉の奥から込み上げてくるものを抑えきれず、俺はその場で嘔吐した。
胃の中のものをすべて吐き出してもなお、吐き気は収まらない。視界は滲み、呼吸は乱れ、足元すらおぼつかない。
――無理だ。
こんなもの、直視できるはずがない。
「……これは、あまりにも惨いな」
背後で、リーフが低く呟いた。
「魔物とはいえ、少女一人にここまでの仕打ちをするとは……。本当に、見るに堪えない光景だ」
その声には、静かな怒りが滲んでいた。
だが、俺にはその感情すら遠かった。
怒りよりも先に、吐き気と恐怖と拒絶がすべてを支配していた。
視界に映るのは――変わり果てた姉の姿。
栗色の長い髪。整った顔立ち。村の中でも評判の美人で、男連中からもよく声を掛けられていた。
そんな面影は、もうどこにも残っていない。
鼻はへし折られ、顔面は血で塗り潰され、原形を留めていなかった。
腹部は無惨に裂かれ、内臓が露出している。
人だったものが、“モノ”に変わってしまったかのような光景。
「……う、ぅぅ……」
喉から漏れるのは、言葉にもならない声だった。
「君、大丈夫かい?」
リーフがそっと近づき、静かに声をかけてくる。
だが、返事をする余裕などない。
涙と吐瀉物でぐちゃぐちゃになった顔のまま、俺はただその場に崩れ落ちた。
――何もできない。
ただ、泣きながら縋ることしかできなかった。
そんな俺に、リーフは何も言わず、ただ寄り添ってくれた。
急かすことも、無理に立たせることもせず、ただそこにいてくれる。
その静かな優しさが、逆に胸を締めつけた。
「……ひとまず、彼女を連れて帰ろう」
やがて、リーフが静かに口を開いた。
「このままでは、また別の魔物に荒らされる可能性もある。埋葬は村で行った方がいいだろう」
そう言うと、彼は魔法で大きな布を創り出した。
姉の遺体をなるべく外に晒さないよう、丁寧に全身を包み込む。
顔も見えないように覆い、そのまま布の端を自身の身体に固定して背負った。
そして――
「立てそうかい?」
俺に手を差し伸べる。
だが、足に力が入らない。
それを見た彼は、何も言わずに俺の身体を抱き上げた。
まるで子供を扱うかのように、軽々と。
そうして俺たちは、山を下り始めた。
道中、リーフはぽつりぽつりと事情を説明してくれた。
どうやら、帰りが遅くなった俺たちを心配した両親が村で騒ぎになっていたらしい。
その話を偶然耳にした彼が、代わりに山へ探しに来てくれたのだという。
今日は他に山へ入った者はいなかったため、すぐに俺たちだと見当がついたそうだ。
言われてみれば、確かに時間はかなり経っていた。
山に入ってから、どれくらい経ったのかも分からない。
下山する頃には、すでに日が傾き、空は夕焼けに染まり始めていた。
――あの時間帯。
魔物が活発に動き始める時間だ。
本来なら、野犬や野狼程度の出現でも警戒すべきだった。
それすら怠っていた自分に、今さらながら気付く。
完全な油断だった。
村へ戻ると、リーフが俺に代わってすべてを説明してくれた。
魔物に襲われたこと。
そして――姉が死んだこと。
両親の顔が、みるみる青ざめていく。
やがて、崩れるように泣き出した。
その光景は、今でも鮮明に焼き付いている。
だが――
俺は、何も言えなかった。
何も感じたくなかった。
それ以降、しばらくの間、両親と顔を合わせることすら怖くなっていた。
翌日。
姉は村の外れに埋葬された。
村の人々も皆、心から弔ってくれた。
優しい言葉をかけられ、肩を叩かれ、何度も励まされた。
数日間は、誰もが俺に気を遣ってくれていた。
――誰一人として、俺を責める者はいなかった。
だが。
だからこそ――
あの時の俺には、それが何よりも恐ろしかった。