その出来事が起きたのは、翌日のことだった。
別の町へと流れ着いた俺は、噴水広場に設置されたベンチに腰掛け、ぼんやりと空を見上げていた。
澄み切った青空。
人々の笑い声。
子どもたちのはしゃぐ声。
――どれも、自分とは無関係なもののように感じられた。
「……はあ」
小さく、ため息がこぼれる。
「これから……どうすっかな」
独り言のように呟く。
頭の中では、これからの生活についての考えがぐるぐると巡っていた。
このまま、今のような生活を続けるのか。
野宿を繰り返し、日銭を稼ぐこともなく、ただ生き延びるだけの毎日。
――そんな人生でいいのか?
自分に問いかける。
だが、答えは出ない。
この先、何十年も続く人生。
こんな生き方が続くとは、とても思えなかった。
かといって、何かを変える勇気も湧かない。
結局、何もできないまま――
ただ、悶々とした感情だけが胸の中に積もっていく。
「もし、何かお困りごとのようでしたら――」
「……あん?」
不意に、背後から声がかかった。
視線を向けると、一人の女が立っていた。
白い修道服に身を包んだ、シスターだった。
「先ほどから空を見上げて、随分とお辛そうなご様子でしたので」
柔らかな声音。
だが、その口元にはどこか貼り付いたような笑みが浮かんでいる。
「もしよろしければ、お話をお伺いしますよ?」
「……」
少しだけ、迷う。
誰かにこの気持ちを吐き出したい――そんな衝動は、確かにあった。
だが。
相手がシスターというのが、どうにも引っかかる。
こういう連中は、綺麗ごとばかり並べて、結局は何も解決してくれない。
下手をすれば、宗教勧誘に巻き込まれる可能性だってある。
正直、関わるのは面倒だった。
「……別に。なんでもないっすよ」
結局、そう言って視線を逸らす。
「あら、そうですか?」
シスターは表情を崩さない。
まるで最初からそう答えられることを見越していたかのように。
これ以上関わるのはまずい。
そう判断した俺は、ベンチから立ち上がり、その場を離れようとした。
「お待ちになって」
「……なんすか。俺、忙しいんで」
しかし、予想通り。
背後から腕を掴まれた。
振り払おうとする。
だが――力が入らない。
ここは人目の多い広場だ。
無理に振りほどけば、周囲の視線を集める。
それが、怖かった。
結果として、俺は強く抵抗することができずにいた。
「貴方の気持ち……よく分かります」
「……は?」
その一言で、思考が止まる。
「酷い目に遭われて、人間不信に陥ってしまっているのでしょう?」
「ッ……?!」
心臓が、強く跳ねた。
――なぜ分かる?
当てずっぽうか。
それとも、顔に出ていたのか。
どちらにせよ、その言葉はあまりにも的確だった。
身体が、わずかに強張る。
「大丈夫ですよ」
シスターは、優しく微笑む。
「私も、似たようなものですから」
その言葉には、どこか奇妙な説得力があった。
「もしここでは話しづらいのであれば……場所を変えましょうか」
穏やかな口調で続ける。
「ちょうど、落ち着いてお話しできる場所を知っていますので」
「……」
まずい。
頭の中で警鐘が鳴る。
完全に、相手のペースに飲まれている。
さっきの一瞬の動揺で、向こうは確信したのだろう。
俺が“そういう状態”にあると。
逃げるべきだ。
関わるべきじゃない。
そう分かっているのに――
「……分かりました」
気がつけば、そう口にしていた。
拒絶する力が、もう残っていなかった。
シスターは満足そうに微笑み、俺の手を引く。
そのまま俺は――
導かれるように、広場から人目の少ない場所へと連れていかれるのだった。