「ここです」
「……ここは、教会か?」
彼女に連れられて辿り着いたのは、古びた教会だった。建物は長い年月放置されていたのか、外壁には苔がびっしりと張り付き、足元には雑草が好き放題に生い茂っている。明らかに人の出入りは途絶えており、もはや廃墟と呼んでも差し支えない有様だ。
この町には、もっと整備された別の教会があったはずだ。となると、ここは移転後に放棄された旧施設なのだろう。どのみち、こんな場所に好んで訪れる物好きなどいないはずだ。
「で? わざわざこんな場所まで連れてきて、お悩み相談ってわけじゃないよな?」
警戒心を隠さず問いかけると、彼女は相変わらず張り付いたような笑みを崩さないまま、ゆっくりと口を開いた。
「まあまあ。まずは自己紹介から始めましょう。私はリコリス。リコリス・マンジュシャゲと申します」
「……ホープだ」
どこか圧を感じる視線に押され、仕方なく名乗る。まともに目を合わせるのが妙に怖くて、自然と視線が逸れてしまった。
リコリス――確かヒガンバナの別名だったはずだ。縁起の良い名前とは言い難い。もっとも、この女の纏う雰囲気を考えれば、妙にしっくりくる気もした。あるいは偽名の可能性も高いが。
「私、ホープさんを一目見た時から感じておりました。人間に対する憎悪と疑念を。それで、お声を掛けさせていただいたのです」
「……そんなに顔に出てましたかね」
「それもありますが、私は人の負の感情に敏感でして。そういうものを抱えた方を見ると、どうしても放っておけないのです」
「それは神様のお告げってやつですか? それともあんたの性分で?」
「半々、といったところでしょうか。私は負の感情を抱く人々を導くことこそ、神から与えられた使命だと考えています。負の感情は人を醜く、卑しく、浅ましくしてしまうものですから」
「はっ、まあそうでしょうね。シスター様からすれば見てられな……」
適当に相槌を打って話を流そうとした、その時だった。
「ですが、それこそが人間の本性なのです!」
「……は?」
言葉を遮るように、彼女は声を張り上げた。さっきまでの穏やかな口調とは打って変わり、目の奥に異様な熱が宿っている。
「今の世の中は間違っている! 倫理観という名の詭弁を盾にして、己をいかに綺麗に見せるかばかりを考える……そんな人間の姿は醜悪極まりない!」
彼女は一歩踏み出し、興奮した様子でまくし立てる。
「人はもっと狡猾に生きるべきです。獣のように争い、血を流し、敗者からすべてを奪い取る――それこそが本来の姿! 憎悪、嫉妬、傲慢、殺意、絶望、恐怖、憤怒……それらを欲望のままに解き放つことこそ、人間のあるべき姿だとは思いませんかぁ?!」
「は、はあ……」
あまりに突飛な思想に、まともな返答などできるはずもなかった。
鼻息を荒くし、両手を強く握りしめながら同意を求めてくる彼女。その様子は、もはや敬虔なシスターというより、何かに取り憑かれた狂信者そのものだった。
――ヤバい。
直感が警鐘を鳴らす。
この女、思っていた以上に危険だ。
宗教勧誘どころの話じゃない。価値観そのものが根本から歪んでいる。
俺はとんでもない相手に捕まってしまったのかもしれない――。
そんな不安が、じわじわと胸の奥に広がっていった。