転生勇者が死ぬまで10000日   作:慶名 安

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第6章ー68

 「ま、まじんさま?」

 

 耳を疑いながら、俺は思わず聞き返した。今、確かに“魔神”と言ったのか。それとも“マジン”という別の神の名なのか――だが、その淡い期待は次の言葉であっさりと打ち砕かれる。

 

 「はい。魔神アスラ様こそ、愚かな人類をお救いくださる真の救世主だと、私は考えております。いえ、考えるまでもなく――あの御方こそが救世主なのです」

 

 「ッ?! 魔神アスラって……童話や絵本に出てくる、あの魔神アスラのことか?」

 

 彼女は躊躇いもなく頷いた。その瞬間、俺の中で確信が固まる。この女は本気で、あの“魔神”を崇拝している。

 

 魔神アスラ――それは魔物を統べる存在として、数多の物語に登場する象徴的な存在だ。多くの場合、世界を脅かす“悪”として描かれ、子どもですらその名を聞けば恐怖を覚えるような存在である。魔物の祖とも言われ、この世界に災厄をもたらした張本人だという説すらある。

 

 だが、目の前の女は違った。そんな存在を“救世主”だと言い切ったのだ。

 

 「そうです。アスラ様が魔物をこの世界に生み出したのは、人類を正しく導くためなのです」

 

 「……どういう意味だ?」

 

 彼女は相変わらずの笑顔のまま、滔々と語り始める。人間の傲慢さ、欲深さ、他の生物を顧みない支配欲――それらを抑制するために、魔物という脅威を生み出したのだと。

 

 そして最後に、彼女は迷いなく言い放った。

 

 「人類は一度、アスラ様の手によって粛清されるべきなのです」

 

 「粛清って……それはつまり」

 

 「皆殺しです」

 

 あまりにも狂った結論だった。救済のために滅ぼす――理屈として成立しているようで、その実ただの破綻した思想だ。

 

 だが、それ以上に俺の中で引っかかったのは別のことだった。

 

 ――タリスターの花。

 

 彼女が差し出したそれを見た瞬間、全てが繋がった。あの日、山から消えていた魔物避けの花。あれがなければ、魔物が活発になるのは当然だ。そして――姉が死んだ理由も。

 

 「……お前らのせいだ」

 

 気づいた時には、声が漏れていた。次の瞬間には、抑え込んでいた感情が一気に爆発していた。

 

 俺は彼女の腕を掴み、怒鳴り散らす。姉の死、学園での挫折、自分の人生が壊れたこと――その全ての原因が目の前にいると理解した瞬間、理性など消し飛んでいた。

 

 首を締め上げ、殺意に任せて力を込める。もうどうなってもいい。ただ、この女だけは――。

 

 だが、次の瞬間。

 

 「くださいっ!!」

 

 首筋に鋭い痛みが走った。針のようなものが突き刺さり、身体が焼けるように熱くなる。

 

 「ぐあああああああっ?!」

 

 全身が内側から燃えるような感覚に襲われ、力が抜ける。地面に崩れ落ち、呼吸すらまともにできない。

 

 ――毒か?

 

 そう思ったが、彼女は違うと言った。

 

 「安心してください。それは毒ではありません。タリスターの花から抽出した薬――“魔薬《マラック》”です」

 

 魔薬。違法な薬物。だが、その効果は絶大だった。

 

 荒れ狂っていた感情が、嘘のように静まっていく。呼吸が整い、思考がクリアになっていく。代わりに、身体の奥から妙な力が湧き上がってくる感覚があった。

 

 「どうです? 力が満ちてくるでしょう?」

 

 確かに、その通りだった。今まで感じたことのない魔力の高まり。自分が別人になったかのような錯覚。

 

 その状態で、彼女は提案してきた。

 

 タリスターの花を集めれば、この力を与える、と。

 

 危険な取引だという自覚はあった。だが――その時の俺には、それを拒む理由がなかった。

 

 「……わかった。その話、乗る」

 

 そう口にした瞬間、自分の中で何かが決定的に変わった気がした。

 

 彼女は、初めて心から嬉しそうに笑った。

 

 それからの俺は、変わった。

 

 魔薬を使い、力を手に入れ、タリスターの花を刈り尽くす日々。やがて仲間が集まり、集団となり、気づけば周囲から恐れられる存在になっていた。

 

 最初は花を集めるだけだった。だが次第に、それだけでは足りなくなった。

 

 金を奪い、食料を奪い、女を奪い――ついには命までも奪うようになった。

 

 他人から奪う快感。それは、想像以上に甘美だった。

 

 泣き叫ぶ声も、命乞いも、すべてが心地よく響く。

 

 かつて自分が奪われた側だったことなど、もうどうでもよかった。

 

 ――奪われるくらいなら、奪う側になればいい。

 

 その単純な理屈が、今の俺の全てだった。

 

 そして俺は、笑っていた。かつての自分では考えられないほど、心の底から。

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