「……えっ?」
海岸へ戻ろうとしていたミオに説教していた、その時だった。
何かを言いかけた彼女の身体が、不意に宙へと浮かび上がる。
「なっ!?」
思わず目を見開く。
だが、それは浮いたのではない。
次の瞬間、自分は異変の正体を理解した。
ミオの身体に巻き付いているもの。
それは巨大な白い触手だった。
まるで蛇のようにうねるそれが、彼女の腰へ絡み付き、そのまま軽々と持ち上げていたのだ。
一瞬、思考が停止する。
何が起きたのか理解できない。
理解が追い付かない。
頭の中が真っ白になる。
だが、その混乱も束の間だった。
白い触手はミオを捕らえたまま、凄まじい速度で海岸方向へと引きずり始める。
「ッ!?」
ようやく我に返る。
海岸から伸びている。
そう理解した瞬間、全身から血の気が引いた。
ここは海岸から二百メートル以上離れているはずだ。
それなのに届くのか?
あれほどの距離を?
まさか、もう魔物が上陸しているのか。
それとも伏兵か。
次々と疑問が浮かぶ。
だが――
違う。
今考えるべきことはそんなことじゃない。
「ミオォォォォォッ!!!」
叫びながら駆け出す。
全力で。
砂を蹴り上げながら。
ただ彼女へ向かって。
「サダメェェェェッ!!!」
ミオも必死に手を伸ばしていた。
触手に捕らわれながら、それでもこちらへ腕を伸ばしてくる。
自分も限界まで腕を伸ばす。
あと少し。
あと少しで届く。
そう思った。
だが――
届かない。
距離は縮まるどころか、逆に開いていく。
触手が引き戻す速度が速すぎるのだ。
「くそっ……!」
追い付けない。
このままでは絶対に追い付けない。
頭の中で必死に方法を探す。
脱兎跳躍《ラジャスト》。
使うか?
いや、間に合わない。
魔法は?
駄目だ。
触手は激しく動いている。
この状況で正確に狙える保証はない。
外せば終わりだ。
いや、仮に当たったとしてもミオを巻き込む危険がある。
どの選択肢も決定打にならない。
焦る。
焦れば焦るほど思考は鈍る。
まともな案が浮かばない。
何もできない。
本当に何も。
このまま海へ連れ去られたらどうなるか。
そんなことは考えるまでもなかった。
助からない。
ほぼ確実に。
それだけは分かる。
「サダ……メ……ごめ……ん……ね……」
遠ざかるミオの声。
涙を浮かべたその顔が見える。
その瞬間。
胸の奥が締め付けられた。
「くっ……そぉぉぉぉ……!」
悔しい。
ただひたすら悔しい。
ミオだけは失いたくなかった。
絶対に守ると決めていた。
なのに。
何もできない。
目の前で連れ去られていく彼女を見ていることしかできない。
あの時、無理やりにでも連れて行けばよかった。
もっと早く異変に気付いていれば。
もっと強ければ。
もっと――
後悔ばかりが脳裏を埋め尽くしていく。
今さら考えても意味がない。
そんなことは分かっている。
それでも考えずにはいられなかった。
頼む。
誰でもいい。
誰か。
ミオを――
助けてくれ。
その時だった。
「はあああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
轟音のような咆哮が響き渡る。
「――ッ!?」
次の瞬間。
雷光が走った。
文字通り、一筋の稲妻が自分の横を通り過ぎていく。
速い。
あまりにも速すぎる。
視線で追うことすらできなかった。
そして――
閃光。
白い触手が宙を舞う。
切断されたのだ。
一瞬だった。
触手がミオを海へ引きずり込むよりも早く。
誰かが追い付き。
誰かが斬り捨てた。
ミオの身体が解放される。
「う゛っ!?」
触手を失った反動で彼女の身体が宙を舞った。
だが、その身体は落下する前にしっかりと抱き止められる。
まるで最初からそうなることが分かっていたかのように。
「……お前は……」
信じられない思いで、その人物を見上げる。
雷を纏う身体。
黄金色に輝く長髪。
全身から放たれる圧倒的な存在感。
見間違えるはずがない。
「……マヒロ、か」
ミオを抱き抱えたまま立っていたのは――
雷光をその身に纏ったマヒロだった。