「マヒロ!?」
思わず声を上げる。
だが、マヒロは視線を海へ向けたまま冷静だった。
「二人は拙者の側から離れぬでござるよ」
刀を構えたまま告げる。
「ここまで接近されている以上、背後を見せる方が危険でござる」
「……分かった」
反論はしなかった。
実際、その判断は正しい。
敵がどこから襲ってくるか分からない以上、下手に動き回る方が危険だ。
改めて海へ視線を向ける。
海面から伸びている触手は六本。
先程マヒロが斬り落とした二本を含めれば、既に八本もの触手が確認されていることになる。
その光景を見ながら、頭の中で一つの仮説が浮かんだ。
白い触手。
巨大な体躯。
そして海の魔物。
もし予想が正しいなら――。
「……まさか」
思わず呟く。
巨大なイカ。
その単語から連想される存在は一つしかない。
前世の知識が脳裏を過ぎる。
海の怪物。
船を沈める伝説の魔獣。
神話や伝承に幾度となく登場する海洋災害そのもの。
「ダイオウイカ……」
いや。
目の前の規模はそんな生易しいものではない。
海面から見えているのは触手だけ。
本体は未だ姿を現していない。
それにもかかわらず、このサイズだ。
どれほど深い場所に本体が潜んでいるのかすら分からない。
全長十メートル。
いや、二十メートルかもしれない。
下手をすれば、それ以上だ。
これまで様々な魔物と戦ってきた。
だが、ここまで巨大な生物は見たことがない。
まるで前世の神話や冒険譚の世界へ迷い込んだような感覚だった。
「いや……」
首を横に振る。
そんな曖昧な表現では足りない。
「この規模なら、クラーケンと言った方が正しいか」
「クラーケン?」
隣でミオが首を傾げる。
当然だろう。
この世界では一般的な名前ではないのかもしれない。
「前世の伝承に出てくる海の怪物だよ」
簡潔に説明する。
「巨大な触手で船を沈める怪物。実際はダイオウイカが元になったんじゃないかって説もあるけど」
もちろん神話は神話だ。
事実かどうかは分からない。
だが。
少なくとも今、自分達の前にいる存在は伝説の怪物と呼ぶに相応しい化け物だった。
その時。
「はあっ!」
鋭い気合いと共にマヒロが踏み込む。
再び襲い掛かってきた触手を、水の刃で切断したのだ。
一本。
また一本。
さらに一本。
水龍の刃が閃くたびに巨大な触手が宙を舞う。
その光景は圧巻だった。
まるで巨大な木々を伐採しているかのような勢いで触手が切り落とされていく。
「いける……!」
思わずそう感じた。
イカなら触手は八本。
既に半数以上は失っている。
このまま削り切れば攻撃手段を奪えるかもしれない。
しかし。
敵も馬鹿ではなかった。
「ッ!?」
残った三本の触手が不自然な軌道を描く。
一本は左。
一本は右。
そして最後の一本は真上。
三方向から同時に襲い掛かってきたのだ。
挟み撃ち。
いや、包囲攻撃と言うべきか。
真正面からでは突破できないと判断したのだろう。
それにしても不気味だった。
本体は未だ海中に潜んでいるはずなのに、まるでこちらが見えているかのように正確な攻撃を仕掛けてくる。
魔力感知か。
それとも別の感覚器官か。
どちらにせよ厄介な相手だ。
だが――。
「ミオ!」
「うん!」
短い呼び掛けだけで十分だった。
ミオも同じ考えに至っていたらしい。
三方向から攻撃してくるということは、触手同士の動きが分散する。
つまり、一点集中の時より速度が落ちる。
それなら。
迎撃できる。
「爆ぜる焔よ、火の球として聚合し、眼前に映りし標的に猛る一投を撃ちかけん――【火球《フレール》】!」
炎が収束する。
次の瞬間、灼熱の火球が左側の触手へ飛翔した。
轟音。
そして爆炎。
触手の先端が焼き焦げながら吹き飛ぶ。
同時に。
「断ち切れ、小風の刃――【そよ風の斬撃《ブリーズ・スラッシュ》】!」
ミオの風魔法が放たれる。
鋭利な風刃は右側の触手を正確に捉え、そのまま真っ二つに切断した。
そして。
最後の一本。
真上から落下してくる巨大な触手へ向かって。
マヒロが刀を振り抜く。
「抜刀――【鎌鼬】!!」
空気が裂ける。
不可視の斬撃が一直線に走った。
直後。
巨大な触手は抵抗する暇すらなく両断される。
断面から海水を撒き散らしながら、砂浜へと崩れ落ちた。
静寂。
数秒の沈黙が訪れる。
そして。
三人の連携によって、クラーケンの攻撃は完全に防がれたのだった。