「くっ……! ふ、二人共……拙者のことは構わず逃げるでござ――」
「黙れ」
「う゛っ!?」
「マヒロ!?」
マヒロが俺達を逃がそうと声を上げた瞬間だった。
クラーケンの触手が蛇のようにうねり、その一本が彼女の口元へ絡み付く。
次の瞬間には、その大きな触手が完全に口を塞いでいた。
「んっ! ん゛ん゛っ!」
言葉どころか呼吸すらまともにできない。
マヒロは苦しそうに身をよじる。
まずい。
あの太さだ。
口だけでなく鼻まで圧迫されているかもしれない。
このままでは本当に窒息する。
「……っ」
全身から嫌な汗が噴き出した。
どうする。
どうすればいい。
俺が動けば触手がマヒロを引き裂く。
動かなければ窒息死する。
どちらを選んでも待っているのは死だ。
ならば救出するしかない。
だが、どうやって?
触手を斬れば危険。
近付けば警戒される。
時間だけがどんどん過ぎていく。
焦りが頭の中を埋め尽くしていた。
「ふふふ……」
そんな俺の様子を見て、スクイッドは心底楽しそうに笑った。
「そうだ。その顔だ」
気味の悪い笑みを浮かべながら、ゆっくりとこちらへ歩み出る。
「お前達はそのまま動くなよ?」
まるで勝者が敗者へ語り掛けるような余裕だった。
「もっとも、どのみちこの娘に未来はないがな」
スクイッドは拘束されたマヒロへ視線を向ける。
「私の可愛い使い魔の触手を全て斬り落としたんだ。この罪は命で償わせねばならん」
その声には怒りよりも愉悦が混じっていた。
「さて、どちらがいい?」
スクイッドは両手を広げる。
「バラバラに引き裂かれて死ぬか」
指を一本立てる。
「このまま窒息して死ぬか」
さらにもう一本立てる。
「あるいは――」
口元が大きく歪む。
「私が今すぐ楽にしてやろうか?」
「ん゛っ!?」
「ッ!?」
直後。
マヒロを拘束している触手がさらに強く締め付けた。
ぎちっ――。
嫌な音が聞こえた気がした。
「んん゛っ! ん゛っ!」
マヒロの身体が大きく震える。
苦痛に耐えるように眉を歪め、その顔色もみるみる悪くなっていく。
「やめろっ!!」
思わず叫んでいた。
だが、スクイッドは楽しそうに笑うだけだ。
「はははははっ!」
まるで子供が玩具で遊んでいるかのような笑い声だった。
違う。
玩具ですらない。
こいつにとってマヒロは暇潰しの道具でしかないのだ。
「いいのか?」
スクイッドはわざとらしく首を傾げる。
「このままだと苦しみながら死ぬぞ?」
「……っ」
「どうせ助からないんだ。楽にしてやるのも温情ではないか?」
「この……!」
拳を握り締める。
怒りで身体が震える。
だが動けない。
動いた瞬間、マヒロが死ぬ。
それが分かっているからだ。
「くそ野郎が……!」
ようやく絞り出した言葉は、それだけだった。
スクイッドはそんな俺を見て満足そうに笑う。
完全に楽しんでいる。
俺達が苦しむ姿を。
助けたいのに助けられない絶望を。
人の命を弄ぶことを。
絶対に許せない。
だが――。
どうしようもなかった。
助ける方法が思い付かない。
せっかくミオを救えたと思ったのに、今度はマヒロだ。
何もできない自分が情けない。
無力な自分が腹立たしい。
怒りと焦りで頭が真っ白になりそうだった。
それでも暴走だけはしてはいけない。
俺は唇を強く噛み締める。
血の味が広がる。
それでも思考はまとまらない。
どうする。
どうしたらいい。
どうすれば――。
「……サダメ」
「ッ!?」
その時だった。
かすかな声が耳に届く。
隣を見る。
ミオだった。
スクイッドに聞こえないよう、声を潜めている。
「ミオ?」
彼女の表情は緊張していた。
だが、その瞳には諦めの色がない。
むしろ何かを決意したような強い光が宿っていた。
「私に考えがあるの」
「……!」
思わず目を見開く。
こんな状況で?
この絶望的な状況を打開する方法があるというのか?
ミオは小さく頷いた。
そして誰にも聞こえないよう、さらに声を潜める。
「上手くいけば――」
一瞬の間。
俺の心臓が大きく跳ねた。
「マヒロを助けられるかもしれない」
その言葉は、暗闇の中に差し込んだ一筋の光のように聞こえた。