「がっ……!? あ゛、あ゛あ゛あ゛っ……! グ、グリムフィッシャー……様……。い、一体……何を……」
「何をしているのか、と聞きたいのか?」
低く重い声が響く。
グリムフィッシャーはスクイッドの首を片手で掴んだまま、まるで虫でも見るかのような目を向けていた。
「それはこちらの台詞だ」
その声に怒鳴り声はない。
だが、だからこそ恐ろしい。
抑え込まれた怒りが滲み出ている。
「貴様の役目は先行して結界を解除し、そのまま我らの侵攻を容易にすることだったはずだ」
握る手にわずかに力が入る。
「なのに何だ、この有様は」
ミシッ――。
嫌な音が聞こえた。
スクイッドの身体がびくりと震える。
「藻屑にもならん人間三人ごときに足止めされるとは」
「も゛っ……申し訳……ございま……」
スクイッドは必死に謝罪を口にする。
だが、その声はまともに言葉になっていない。
首を締め上げられ、呼吸すら満足にできていないのだ。
それでも許しを請うように懇願していた。
「……」
俺は思わず息を呑む。
二メートルを超える巨体のスクイッドを、片腕だけで持ち上げている。
それだけでも異常だ。
だが本当に恐ろしいのはそこではない。
グリムフィッシャーは全く感情を揺らしていない。
怒っているはずなのに。
部下を処罰しているはずなのに。
その表情はどこまでも冷めていた。
まるで壊れた道具を処分する職人のように。
この時点で理解してしまった。
こいつは危険だ。
スクイッドとは比較にならない。
性格も。
実力も。
何もかもが。
それに、あの殺気。
近くにいるだけで息が苦しい。
まるで巨大な海獣に睨まれているような圧迫感。
身体が本能的に危険信号を鳴らしている。
冷や汗が止まらなかった。
これが海滅隊の王。
魚人族を率いる怪物。
十死怪――グリムフィッシャー。
「もうよい」
グリムフィッシャーは短く告げた。
その声に感情はない。
「貴様には失望した」
スクイッドの身体がびくりと震える。
「我が海滅隊に雑魚は不要だ」
「お、お待ちください……!」
スクイッドは必死にもがく。
「この失態……必ずや挽回してみせます……! ですから――」
だが、グリムフィッシャーは聞いていない。
いや。
最初から聞く気などなかった。
握る手にさらに力が込められる。
「ぐっ……! あっ……!」
スクイッドの顔色がみるみる青ざめていく。
目が大きく見開かれる。
口から泡が溢れ始める。
それでもなお、助命を求めようとしていた。
「グリムフィッシャー……様……!」
その声は悲鳴だった。
恐怖そのものだった。
そして――。
「ふん」
グリムフィッシャーは鼻で笑った。
次の瞬間。
握り締めた腕が僅かに動く。
それだけだった。
「ぎえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
スクイッドの絶叫が海岸に響き渡る。
そして、その叫びは突然途切れた。
どさり、と。
何かが海面へ落ちる音がする。
「「ッ!?」」
俺とミオは思わず目を見開いた。
信じられなかった。
いや、信じたくなかった。
グリムフィッシャーは本当にやったのだ。
躊躇もなく。
ためらいもなく。
長年仕えてきたであろう部下を、自らの手で始末した。
俺の身体から血の気が引いていく。
吐き気がした。
胃がひっくり返りそうになる。
耳には今もスクイッドの断末魔が残っていた。
寒気がする。
足が震える。
これまで様々な魔物を見てきた。
だが、ここまで冷酷な存在は初めてだった。
「ふう」
グリムフィッシャーは小さく息を吐く。
まるで仕事を終えた後のように。
「全く」
海面に沈んでいくスクイッドへ一瞥を向ける。
そこに哀れみはない。
怒りすらない。
あるのは軽蔑だけだった。
「余計な手間を掛けさせおって」
吐き捨てるように言う。
「使えん雑魚め」
その一言で全てを切り捨てた。
仲間としての情も。
部下としての功績も。
何もかも。
「少しでも貴様に期待した私が馬鹿だったようだな」
冷たく言い放つ。
その姿はまさに暴君だった。
残虐非道。
冷酷無慈悲。
その全てを体現したかのような怪物。
――残忍《グリム》の名を冠する王。
グリムフィッシャー。
その異名に相応しい魔物が、今まさに目の前に立っていた。