「さて、と……」
「ッ!?」
スクイッドが絶命したことで、使い魔であったクラーケン達は淡い光となって消滅していく。
その直前、グリムフィッシャーは軽々と海面へ飛び降りていた。
そして――。
こちらへ向かって歩き始める。
ただそれだけの行動なのに、全身の毛が逆立った。
心臓が嫌な音を立てる。
先程の光景が脳裏に焼き付いて離れない。
部下を躊躇なく処分した冷酷さ。
圧倒的な威圧感。
そして、生物として格が違うと本能に訴えかけてくる殺気。
恐ろしい。
ただ純粋に恐ろしかった。
「くっ……」
慌てて業火剣《ヘルファード》を構える。
だが、思うように力が入らない。
剣を握る手が震えている。
握り締めるだけで精一杯だった。
落ち着け。
落ち着くんだ。
ここで怯えてどうする。
マヒロはまだ消耗している。
ミオも治癒魔法に集中している。
今この場で戦えるのは自分しかいない。
二人を守らなければ。
せめてマヒロが戦える状態に戻るまでの間だけでも――。
そう考えた、その瞬間だった。
「まずは――貴様らからだ」
「……え?」
視界からグリムフィッシャーが消えた。
本当に消えたように見えた。
瞬きをしたわけでもない。
目を逸らしたわけでもない。
それなのに、目の前にいた巨体が跡形もなく消失したのだ。
理解が追いつかない。
だが、次の瞬間には声が聞こえた。
背後から。
「ッ!?」
反射的に振り返る。
そこにいた。
グリムフィッシャーが。
しかも、自分の後ろではない。
ミオとマヒロの目の前だ。
さっきまで何十メートルも離れていたはずなのに。
たった一瞬で。
その巨体で。
俺を通り越し、二人の背後へ回り込んでいた。
そして振り上げられている拳。
狙いは明らかだった。
「ヤバい――!」
頭で考えるより先に身体が動いていた。
「はああああああっ!!」
脱兎跳躍を発動。
砂浜を蹴り砕く勢いで飛び出す。
恐怖はあった。
だが、それ以上に焦りの方が勝っていた。
二人を守らなければならない。
その一心だけだった。
「おおおおおっ!!」
勢いのまま業火剣を振り下ろす。
狙うはグリムフィッシャーの首。
まともに入れば無傷では済まないはずだ。
だが――。
「ふん」
グリムフィッシャーは鼻で笑った。
空いていた右腕を軽く持ち上げる。
それだけだった。
ガギィィィン!!
耳をつんざく金属音が響く。
「なっ!?」
目を疑った。
業火剣が弾かれていた。
斬れない。
傷一つ付かない。
まるで鉄塊を斬りつけたような感触が手に伝わってくる。
硬い。
異常なほどに。
業火剣は並の鎧など容易く断ち切る。
それなのに、グリムフィッシャーの皮膚には刃が通らなかった。
「ぐぅっ!?」
次の瞬間、振り払われる。
それだけで身体が吹き飛んだ。
砂浜を何度も跳ねながら後退する。
なんとか体勢だけは維持した。
だが、剣を握る両手は痺れている。
骨が軋むような痛みが走っていた。
「なんだ?」
グリムフィッシャーは不思議そうに首を傾げる。
「先に殺して欲しいのか?」
「……っ」
言い返せない。
あの一撃で理解してしまった。
こいつは化け物だ。
しかもスクイッドとは違う。
力も。
速度も。
耐久力も。
全てが桁違いだ。
「いいだろう」
グリムフィッシャーはゆっくり拳を握る。
ゴキリ、と骨の鳴る音が響いた。
「どうせ人類は皆殺しにする予定だった」
鋭い牙が覗く。
獰猛な笑みだった。
「多少順番が変わったところで問題はない」
その瞬間。
嫌な予感が全身を駆け抜ける。
来る。
「ッ!」
反射的に業火剣を構える。
だが遅かった。
グリムフィッシャーが再び消える。
いや、速すぎて見えないだけだ。
気付いた時には目の前にいた。
距離など存在しないかのように。
「なっ――」
巨大な左拳が振りかぶられている。
避けられない。
防ぐしかない。
俺は咄嗟に業火剣を盾のように構えた。
「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」
轟音。
それは拳を振った音だった。
人間が出していい音ではない。
次の瞬間――。
ドゴォォォォォォォォンッ!!
凄まじい衝撃が全身を貫いた。
業火剣ごと押し潰される。
腕が折れたかと思った。
肺の中の空気が一気に吐き出される。
そして俺の身体は。
まるで木の葉のように宙へ舞い上がっていた。