絶体絶命だった。
相手は魚人族。
しかも十死怪の一角を担う怪物。
そんな化け物と、よりにもよって海の中で戦っている。
状況だけ見れば勝ち目など最初から存在しない。
「ウリィッ!!」
「ん゛っ!?」
轟音のような水流が身体の横を通り過ぎる。
グリムフィッシャーの拳だ。
まともに食らえば終わる。
そう分かっているからこそ、自分は必死に身体を捻って回避する。
だが海中では陸上のように動けない。
腕を掻き、脚を動かし、ほんの僅かに軌道を変えるだけで精一杯だった。
一発でも当たれば死ぬ。
なのに、いつ当たってもおかしくない。
そんな綱渡りを延々と続けている状態だ。
「オラオラオラオラァ!!」
グリムフィッシャーは楽しそうだった。
まるで獲物を追い回す捕食者のように。
「避けてばかりでいいのかあ!? 反撃しなければ私を殺せんぞぉ!?」
反撃できるならとっくにしている。
だが今の自分には決定打がない。
炎魔法は使えなくはない。
しかし海中では威力が激減する。
しかも詠唱もできない。
無理に撃ったところで魔力を浪費するだけだ。
唯一使える可能性があるとすれば光魔法。
目くらまし程度なら海中でも効果が期待できる。
だがそれも切り札だ。
こちらの手の内を知らないからこそ通用する。
一度見せれば次からは警戒されるだろう。
だから使うならここぞという瞬間でなければならない。
「ッ……!」
しかし、その余裕すらなくなってきていた。
肺が悲鳴を上げている。
息を止めてから既に一分近く。
胸の奥が焼けるように苦しい。
頭も少しずつぼんやりしてきた。
まずい。
このままでは窒息する。
早く海面へ出なければ。
だがグリムフィッシャーがそれを許すはずもない。
こうなったら――。
ここで切り札を使うしか――。
「……?」
その時だった。
視界の端に違和感が映る。
何かがこちらへ向かっている。
高速で。
一直線に。
自分は反射的にそちらへ目を向けた。
グリムフィッシャーはまだ気付いていない。
こちらに意識を集中している。
近付いてくる影は徐々に輪郭を鮮明にしていく。
そして――。
「ッ!?」
見覚えのある姿が目に入った。
その瞬間、脳内で作戦が組み上がる。
いける。
これなら打開できる。
「んんっ!!」
自分は即座に右手を突き出した。
「ん?」
グリムフィッシャーが眉をひそめる。
「ぬははははは! ようやく反撃する気になったかぁ!?」
嘲笑うような声が海中に響く。
「だが詠唱も出来ぬ状況で、私を倒せる魔法など――」
その通りだ。
今の自分に、この怪物を倒せる攻撃魔法は撃てない。
だが。
魔法は攻撃だけじゃない。
「ん゛ん゛っ!!」
自分の掌から光が弾けた。
――《ゆらめく炎の光球》。
眩い閃光が海中を染め上げる。
「ぬおっ!?」
グリムフィッシャーが咄嗟に目を覆った。
水中だから効果は薄い。
それでも十分だった。
一瞬。
本当に一瞬だけ視界を奪えればいい。
「くそっ! 稚魚の分際で小癪な真似を――」
その瞬間だった。
背後から迫っていた影がついに動く。
水を裂く鋭い斬撃。
まるで海流そのものが刃へ変わったかのような一撃。
「ふん゛っ!!」
聞き慣れた気合いと共に、水の刃が閃いた。
次の瞬間。
ザンッ――!!
グリムフィッシャーの右腕が宙を舞う。
大量の血が海中へ広がった。