「ふんっ!」
右腕を失ったグリムフィッシャーが残った左拳を振り上げる。
そして結界へ向かって全力で叩きつけた。
ズドォンッ!!
凄まじい衝撃音が響く。
結界全体が大きく揺れた。
しかし――。
それだけだった。
「……」
結界に亀裂はない。
傷一つ付いていない。
あれだけの怪力を受けてもなお健在だった。
右腕を失った影響で本来の力を出せていない可能性はある。
それでも相手はグリムフィッシャーだ。
十死怪の一角。
あの化け物の攻撃を真正面から受け止めているのだから、この結界の強度は尋常ではない。
「ちっ……!」
グリムフィッシャーが露骨に舌打ちした。
機嫌の悪さが伝わってくる。
腕を失ったこと。
海中戦の優位を奪われたこと。
そして結界によって自由を制限されたこと。
それら全てが気に入らないのだろう。
だが好都合だ。
この結界がある限り、海水が流れ込む心配はない。
少なくとも奴に本来の土俵で戦わせずに済む。
「サダメ!」
マヒロが刀を構える。
「拙者は奴に接近する! サダメは後方から援護をお願い致す!」
「ああ、分かった!」
自分は頷き、右手を前へ突き出した。
いつでも魔法を撃てるように。
マヒロが攻撃を仕掛ける瞬間。
あるいはグリムフィッシャーが反撃に出る瞬間。
そこを狙って援護する。
今の自分の役目はそれだ。
「はああああああっ!!」
マヒロが一気に距離を詰める。
だが――。
そこで妙な違和感を覚えた。
「……」
グリムフィッシャーが動かない。
いや。
動こうとしない。
まるで何かを待っているようだった。
そういえば――。
自分は今まで奴が魔法を使うところを見ていない。
強化系なのか。
特殊系なのか。
それとも別の何かか。
十死怪ほどの実力者が魔法を持っていないとは考えにくい。
「……●●、■■■、●●」
「ッ!?」
その時だった。
グリムフィッシャーの口が動く。
聞き取れない異様な発音。
魔物特有の言語。
間違いない。
魔法だ。
「気を付けろマヒロ! 奴の魔法が――!」
自分が叫んだ瞬間だった。
「ッ!?」
「マヒロ!?」
突然だった。
本当に突然だった。
走っていたマヒロの身体が弾かれたように後方へ倒れる。
何かに押し飛ばされたように。
あるいは見えない壁へ激突したように。
ほんの一瞬の出来事。
だが。
自分には何が起きたのか分からなかった。
攻撃が見えない。
魔法の発動も見えない。
マヒロは何かをされた。
それだけしか分からない。
「……ふっ」
グリムフィッシャーの口元が歪む。
そして。
「ふははははははははっ!!」
勝ち誇った笑い声が響いた。
「う゛っ……!」
一方のマヒロは地面に膝を付き、胸元を押さえて苦しみ始める。
呼吸が乱れている。
顔色も明らかに悪い。
まるで急激に体調が悪化したかのようだった。
「どうなってる!?」
理解が追い付かない。
攻撃を受けたようには見えなかった。
斬られたわけでもない。
殴られたわけでもない。
それなのにマヒロは苦しんでいる。
「マヒロ!」
自分は慌てて駆け寄った。
彼女は胸元を押さえながら苦悶の表情を浮かべている。
その姿を見て、ふとある可能性が脳裏をよぎった。
まるで――。
毒を受けたかのような症状。
「……まさか」
自分はゆっくりと顔を上げる。
そしてグリムフィッシャーを睨み付けた。
「ふははははは! まんまと掛かりおったな間抜けめ!」
「ッ!? お前……!」
その時だった。
自分は初めて違和感の正体に気付く。
グリムフィッシャーの背中。
そこから何かが伸びていた。
半透明。
細長い。
ゆらゆらと水流に揺れる不気味な触手。
一見すると海中へ溶け込んでしまいそうなほど透明だ。
だから気付けなかった。
だが今は見える。
一本ではない。
二本でもない。
複数の触手が、まるで生き物のように蠢いている。
その姿は――。
まるで巨大なクラゲだった。