「くそっ……!」
思わず悪態が漏れる。
状況は最悪だった。
ただでさえ怪力の化け物だったグリムフィッシャーが、今度はクラーケンの触手まで手に入れたのだ。
あの一撃の破壊力は先ほどまでの右腕と遜色ない。
それどころか、長大なリーチを得たことで厄介さは何倍にも跳ね上がっている。
近付けば殴られる。
離れれば触手が飛んでくる。
正直、反則だろ。
だが文句を言ったところで状況は変わらない。
目の前の怪物が手加減してくれるわけでもない。
「がっ……うっ……!」
「ッ!?」
苦しそうな声が耳に届く。
自分は慌てて隣を見る。
「マヒロ!? 大丈夫か!?」
彼女は膝をつき、肩を震わせていた。
顔色は明らかに悪い。
呼吸も荒い。
先ほどから苦悶の声しか上げていない。
恐らく原因はあのクラゲの触手だ。
毒。
考えられるのはそれしかない。
まさかあの筋骨隆々の怪物が毒まで使ってくるとは思わなかった。
完全にやられた。
力押しだけの脳筋だと思い込んでいた自分が甘かった。
「うっ……あ……」
「しっかりしろ、マヒロ!」
自分は肩を支える。
だがどうする。
毒を抜かなければならない。
しかしその時間を敵が与えてくれるはずもない。
目の前にはグリムフィッシャーがいる。
こちらが治療を始めれば、その隙を見逃すような相手ではない。
「ぬはははははは!」
案の定、グリムフィッシャーは楽しそうに笑った。
「胸部、下腹部、左腕、右脹脛!」
奴は指を折りながら数え始める。
「計四箇所!」
そして口元を大きく吊り上げた。
「この触手には猛毒が仕込まれている!」
嫌な予感がした。
「それを四度も打ち込まれたのだ!」
グリムフィッシャーは勝利を確信した顔で言い放つ。
「常人なら一分も持たん!」
心臓が嫌な音を立てた。
「どれほど頑丈な人間でも三分が限界だろうなぁ!」
「くっ……!」
自分は唇を噛む。
もし奴の言葉が本当なら。
マヒロの命はあと僅かしか残されていない。
ミオなら解毒できるかもしれない。
だが、そのためには砂浜へ戻らなければならない。
そしてグリムフィッシャーがそれを許すはずがない。
逃げるのも無理。
戦うのも無理。
マヒロは動けない。
自分一人では勝てない。
どうする。
どうすればいい。
頭を必死に回転させる。
だが答えが見つからない。
焦りだけが募っていく。
その時だった。
「……ふっ」
小さな笑い声が聞こえた。
「……?」
自分は思わず顔を上げる。
声の主はマヒロだった。
先ほどまで苦しそうに俯いていた彼女が、僅かに口元を歪めている。
「持って三分……でござるか」
「ん?」
グリムフィッシャーが眉をひそめた。
自分も意味が分からなかった。
だが次の瞬間。
マヒロは静かに笑った。
「それだけあれば充分でござるよ」
「……ああん?」
グリムフィッシャーの顔から笑みが消える。
自分の背筋にも電流が走った。
まさか。
「マヒロ……お前……」
彼女は答えない。
ただ静かに俯いたまま腰へ手を伸ばした。
カチャリ。
乾いた音が響く。
妖刀・魔妖。
その柄に手が掛かる。
そして。
「――抜刀。【水龍】」
静かな声だった。
怒号でもない。
気合でもない。
まるで覚悟を告げるような一言。
だがその瞬間、結界内の空気が変わった。
グリムフィッシャーの笑みが消え。
自分は思わず息を呑む。
マヒロの周囲で、水が生き物のように蠢き始めていた。