「――ふんっ!」
「なっ!?」
次の瞬間だった。
マヒロは妖刀・魔妖を抜き放ったかと思うと、そのまま躊躇なく自らの横腹へ刃を振るった。
ザシュッ――!
鋭い斬撃音が結界内に響く。
「お、おい!?」
思わず声を上げる。
理解が追い付かなかった。
敵を斬るのではない。
自分自身を斬ったのだ。
しかもかなり深い。
横腹から鮮血が噴き出し、瞬く間に衣服を赤く染めていく。
「何やってるんだよ、マヒロ!?」
こんな出血量は尋常じゃない。
放置すれば毒より先に出血多量で死んでしまう。
それなのに当の本人は顔色一つ変えず、荒い呼吸を繰り返していた。
「ふー……ふー……」
肩が上下する。
額には脂汗が滲んでいる。
当然だ。
痛くないはずがない。
それでも彼女は刀を握り続けていた。
「……なるほど」
その時だった。
グリムフィッシャーが感心したように呟く。
「毒の巡りを遅らせたか」
「ッ!?」
その言葉で全てを理解した。
毒だ。
マヒロは自ら出血することで血流を乱し、毒が全身へ回る速度を少しでも遅らせようとしている。
なるほど。
理屈は分かる。
だが――。
「そんなの……!」
あまりにも無茶だ。
確かに時間は稼げるかもしれない。
しかし代償が大きすぎる。
毒を遅らせたところで、今度は失血死が迫ってくる。
まさに命を削る時間稼ぎだった。
「ぶはははははははっ!!」
グリムフィッシャーが腹を抱えて笑う。
「馬鹿めが!」
触手を振り回しながら嘲笑した。
「無駄な悪足掻きよ!」
その声には余裕しかない。
「毒で死ぬか!」
一本の指を立てる。
「出血で死ぬか!」
二本目を立てる。
「結局はその二択だ!」
そして大きく口を裂いた。
「自ら早死にを選んだだけではないか!」
確かにその通りだった。
冷静に考えれば愚策だ。
何の解決にもなっていない。
時間を稼いだだけ。
未来を先送りにしただけ。
普通なら誰も選ばない。
選べるはずがない。
だが。
「……ふっ」
マヒロは笑った。
静かに。
そして力強く。
「先程も申したでござろう?」
その瞳は死んでいなかった。
むしろ先程より鋭くなっている。
「これで充分だと」
「……何?」
グリムフィッシャーが眉をひそめる。
マヒロは刀を構えた。
流れ続ける血など気にも留めない。
「これは背水の陣」
凛とした声が響く。
「拙者の死力を尽くし、お主を討つ」
刀身が微かに震える。
それは恐怖ではない。
闘志だった。
「これしきの出血如きで、拙者は死にはせぬよ」
「……マヒロ」
思わず名前を呼ぶ。
彼女は本気だった。
毒も。
出血も。
命の危険も。
全て理解した上で前へ進もうとしている。
生き残るためではない。
勝つために。
その覚悟の重さが伝わってくる。
そして自分も理解した。
彼女の決意はもう揺らがない。
止めても無駄だ。
ならば――。
「……奴を倒して止血」
自分は静かに呟く。
「毒を抜けば、まだ間に合う」
「?」
マヒロがこちらを見る。
自分は深く息を吸った。
方法は一つしかない。
グリムフィッシャーを速攻で倒す。
それ以外に二人とも生き残る道はない。
業火剣では決定打にならない。
だが水龍なら違う。
実際に奴の腕を斬り落とした。
ならば勝負を決める役はマヒロだ。
自分はそのための道を作る。
「業火の炎よ――」
右手に魔力を集中させる。
「鉄より堅き剣となり、我が元に顕現せよ!」
赤黒い炎が渦を巻く。
そして。
「【業火剣《ヘルファード》】!」
炎の大剣が再び姿を現した。
熱気が周囲を包み込む。
自分は両手で剣を握り締める。
恐怖はある。
だが迷いはない。
「俺がお前を絶対に守る」
真っ直ぐマヒロを見る。
「だから――」
業火剣を構えた。
「トドメは任せたぞ、マヒロ!」
背水の陣を敷いた少女と。
その盾になると決めた少年。
グリムフィッシャーを前にして、二人は並び立った。