私はまだ死ぬわけにはいかない。
ましてや、こんな尻の青い小僧共に敗れるなどあってはならぬ。
身体は真っ二つ。
普通ならとうに絶命している傷だ。
だが私は生きている。
生きていなければならない。
ここで終わるわけにはいかないのだ。
幸い、私の胴を斬った女は既に力尽きている。
男の方も先程の攻撃で理解した。
奴には今の私を仕留めるだけの力がない。
ならば負ける要素など存在しない。
――本来ならば。
だが、その慢心こそが先程の敗因だった。
だからもう油断はしない。
今度こそ確実に潰す。
一切の容赦なく。
「出でよ、魔導結界!!」
私は最後の切り札を解放した。
膨大な魔力が体内から流れ出していく。
全身が軋む。
当然だ。
この技は未完成なのだから。
魔導結界。
海滅隊の中でも限られた才覚を持つ者だけが扱える秘術。
しかも私のものはまだ発展途上。
一度発動するだけで莫大な魔力を消費し、今の私では一日に一回使うのが限界だ。
だが、それでも構わない。
完成へ近づくための実戦試験だと思えば安いものだ。
魔海の大行進は既に始まっている頃だろう。
今さら多少の魔力を失ったところで問題はない。
むしろ重要なのは、この成果だ。
この技を完成させる。
そして人類を征服する。
それこそが私の悲願。
いや――
私が再び十死怪へ返り咲くための道だ。
「必ずだ……」
私は奥歯を噛み締めた。
十死怪。
魔王軍最強の幹部達。
かつて私もその一角に名を連ねていた。
だが今は違う。
失敗によってその座を追われた。
海滅隊を率いてはいるものの、それは栄光の座から転げ落ちた者への温情に過ぎない。
周囲は何も言わない。
だが私は知っている。
連中が心のどこかで私を見下していることを。
失敗者。
落伍者。
かつての十死怪。
そう思われていることを。
だから証明しなければならない。
私の価値を。
私の力を。
私が奴等とは違うことを。
「見ていてください……あの方」
思い浮かぶのは絶対の存在。
私達が忠誠を捧げる主。
あの方だ。
この魔導結界を完成させれば、あの方の評価も変わるはず。
海を制し、人類を滅ぼし、新たな領土を捧げれば認められるはずだ。
そしていつの日か――
あの方の右腕にまで上り詰める。
そのためならば手段など選ばん。
私はもう二度と失敗しない。
決して。
絶対にだ。
――十年前のようには。
自然と記憶が蘇る。
あれは私が十死怪へ加わって間もない頃だった。
当時の魚人族は海では圧倒的な力を誇っていた。
だが陸上では違う。
本来の力の十分の一も発揮できない。
故に我々は海へ足を踏み入れた冒険者達を狙っていた。
獲物を深海へ誘い込み、逃げ場を奪い、嬲り殺しにする。
実に愉快だった。
人間共が絶望に染まる顔を見るたびに、自らの優位を実感できた。
だが、その優位は長く続かなかった。
人類は学習したのだ。
海路を減らし始めた。
代わりに空路を発達させた。
さらに海岸沿いには特殊な結界まで築き上げた。
その結果、我々の縄張りは少しずつ削られていった。
海は我らの領域であるはずだった。
それなのに人間共は当然のように侵食してくる。
許し難かった。
我慢ならなかった。
だから我々は決断した。
奪われる前に奪う。
海から陸へ侵攻するのだと。
私が十死怪に加わったことで部隊の士気も高かった。
あの方に認められた以上、さらなる成果を示したいという焦りもあった。
当時の結界技術は未熟だった。
破ることなど容易い。
上陸作戦は成功する。
誰もがそう信じていた。
――だが。
魔海の大行進は一人の男によって阻止される。
たった一人。
たった一人の人間によって。
我々の野望は打ち砕かれた。
――勇者。
あの日から私は、決してその名を忘れたことはない。