転生勇者が死ぬまで10000日   作:慶名 安

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第8章ー62

 「ぐっ……くそっ……!」

 

 敗走。

 

 それ以外に表現のしようがなかった。

 

 魔海の大行進は失敗した。

 

 我々は命からがら海へ逃げ帰り、その場を離脱することしかできなかった。

 

 三百を超えていた兵達は、わずか数十名にまで減少。

 

 いや、生き残った者達も満身創痍だった。

 

 私自身も重傷を負い、まともに動くことすらできない。

 

 情けない話だ。

 

 相手はたった一人だったというのに。

 

 「まさか、あれほどとはな……」

 

 脳裏にあの男の姿が蘇る。

 

 冷たい夜風が吹く砂浜。

 

 そこで奴は一人、我々を待ち構えていた。

 

 豪華な鎧など着ていない。

 

 伝説の勇者らしい神々しい装いでもない。

 

 ボロボロのマントを羽織り、炎で作り出した剣を一本持っていただけ。

 

 見た目だけなら、その辺の流浪人と大差ない。

 

 むしろ貧相ですらあった。

 

 だからこそ油断した。

 

 まさかあの男が勇者だとは思わなかった。

 

 だが――

 

 戦いが始まった瞬間、その認識は粉々に砕かれた。

 

 強い。

 

 ただひたすらに強かった。

 

 陸上とはいえ、こちらには数があった。

 

 三百を超える兵力。

 

 魚人族の精鋭達。

 

 多少の犠牲を出したとしても押し潰せるはずだった。

 

 普通なら。

 

 常識で考えるなら。

 

 だが勇者には、その常識が通用しなかった。

 

 膨大な魔力。

 

 異常な身体能力。

 

 恐るべき戦闘技術。

 

 そして戦場全体を把握する洞察力。

 

 どれを取っても規格外だった。

 

 私の部下達は次々と薙ぎ倒されていく。

 

 十人死ぬのに五秒もかからない。

 

 剣が振るわれるたびに血が舞い、魔法が放たれるたびに命が消えた。

 

 まるで嵐だった。

 

 いや、嵐ですら生ぬるい。

 

 あれは災害だ。

 

 人の姿をした災厄そのものだった。

 

 魔海の大行進が始まってから一分。

 

 たった一分で私は撤退を決断した。

 

 いや、違うな。

 

 今思えば、あの戦いは始まる前から終わっていたのかもしれん。

 

 「グリムフィッシャー様」

 

 声が聞こえる。

 

 意識を現実へ引き戻された。

 

 「これ以上喋られると傷口が開きます。今は安静になさってください」

 

 スクイッドだった。

 

 私の腹部へ包帯を巻きながら心配そうな顔をしている。

 

 「ちっ……」

 

 自然と舌打ちが漏れた。

 

 勇者から受けた傷が疼く。

 

 腹部に走る激痛に顔を歪めながら、私は再びベッドへ身体を沈めた。

 

 悔しい。

 

 ただそれだけだった。

 

 十死怪にまで上り詰めたこの私が。

 

 魔王軍最強格の一角である私が。

 

 あの男にはまるで歯が立たなかった。

 

 それ以上に耐え難かったのは――

 

 魔王様へ失態を晒してしまったことだ。

 

 「……」

 

 拳を握り締める。

 

 折角認めていただいたというのに。

 

 期待をかけていただいたというのに。

 

 結果は惨敗。

 

 無様にも程がある。

 

 魔王様は今頃どう思われているだろうか。

 

 失望されたのではないか。

 

 見限られたのではないか。

 

 そんな考えが頭から離れなかった。

 

 「お待ちください……魔王様」

 

 震える声で呟く。

 

 「このグリムフィッシャー、必ずや汚名を返上してみせます」

 

 目を閉じる。

 

 浮かぶのは絶対の主の姿。

 

 「誰も成し遂げられなかった偉業を成し遂げ、人類を滅ぼし、この失態を払拭してみせましょう」

 

 そうだ。

 

 今回は失敗した。

 

 だが次は違う。

 

 次こそ成功させる。

 

 魔海の大行進を成し遂げる。

 

 人類を蹂躙する。

 

 そして勇者をこの手で討ち取る。

 

 あの男を殺し、その首を魔王様へ捧げることができれば、きっと再び認めていただけるはずだ。

 

 いや、それだけではない。

 

 功績次第では魔王様の右腕となることも夢ではない。

 

 私はまだ終わっていない。

 

 まだ這い上がれる。

 

 そう信じていた。

 

 そう信じて疑わなかった。

 

 だが――

 

 運命とは残酷なものだ。

 

 魔海の大行進から数か月後。

 

 私の願いは無残にも打ち砕かれる。

 

 魔王様直々に告げられたのだ。

 

 十死怪の称号剥奪を。

 

 それは勇者に敗れた時以上の絶望だった。

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