「魔王……様?」
「ちっ……!」
魔王様の一声が響いた瞬間だった。
私とダークボルトの攻撃は互いの顔面寸前で停止する。
あと僅かでも遅れていれば、確実にどちらかが血を流していただろう。
衝突寸前だった拳と槍。
その余波だけで空気が弾け、鋭い衝撃波が生まれる。
私の頬が浅く裂けた。
ダークボルトの頬にも同じような傷が刻まれる。
だが、その程度の傷など誰も気にしない。
私は拳を下ろし、ダークボルトは舌打ちと共に槍を引いた。
互いに戦意は残っている。
それでも手を出せない。
魔王様が止めたからだ。
逆らうという選択肢そのものが存在しなかった。
――グリムフィッシャーよ。
重々しい声が玉座の間に響く。
「は、ははぁ!」
私は即座に膝をついた。
玉座の奥に座す魔王様。
その御姿は暗闇に溶け込み、ほとんど視認できない。
だが、その存在感だけは嫌というほど伝わってくる。
巨大。
圧倒的。
私など足元にも及ばぬ存在。
魔王様は私の何倍もの巨体を持つ。
しかし不思議なことに、その声は耳元で囁かれているかのように鮮明だった。
魔王様は決して口を開かれない。
神にも等しき御方が、我らのような矮小な存在と言葉を交わすことなど本来あり得ない。
それでも会話が成立するのは、魔王様だけが扱う特別な魔法のおかげだった。
その力によって魔王城は隠され続けている。
その力によって人類は未だ魔王様へ辿り着けない。
その力によって魔王軍は存続している。
まさしく奇跡。
いや、神業と呼ぶべき力だった。
だが、その代償として魔王様は城から動くことができない。
だからこそ我ら十死怪が存在する。
魔王様の悲願を叶えるための手足として。
――余の望みは、あの地を制圧すること。
低く響く声。
誰も口を挟めない。
――そのためには地上で戦える力が必要だ。
私は息を呑む。
嫌な予感がした。
――此奴らの言う通り、エイシャとダークボルトには戦場で果たせる役割がある。
淡々と。
感情を交えず。
魔王様は続ける。
――故に、此度の失態は不問とした。
「な、ならば!」
私は思わず顔を上げた。
まだ終わっていない。
まだ間に合う。
そう信じたかった。
「私めも戦場で役に立ってみせます! ですからどうか、もう一度だけ機会を――」
――グリムフィッシャー。
その一言で口が止まる。
――貴様には何がある。
「……え?」
理解できなかった。
魔王様は続ける。
――余の目的。
――ひいては今後の戦争において。
――貴様が必要だと余に言わせるだけの価値があるのか。
――今ここで示してみせよ。
「そ、それは……」
言葉が出ない。
海滅隊は壊滅状態。
兵力は失われた。
私は重傷を負っている。
仮に全快したところで陸上では本来の力を発揮できない。
新たな戦略もない。
特別な能力もない。
何一つ。
何一つ証明できるものがなかった。
沈黙。
それが答えだった。
やがて魔王様は静かに告げる。
――やはり貴様は十死怪には不要だな。
「ッ!?」
心臓が止まったかと思った。
「お、お待ちください魔王様!」
私は必死に頭を下げる。
「貴方様のためなら命すら惜しくありません! 必ずや目的を達成し――」
――もうよい。
その一言で全てが断ち切られた。
――貴様とグランドオーダーの席は既に埋めてある。
「……な」
思考が停止する。
席が埋まっている?
つまり。
最初から。
私に戻る場所など存在しなかったということか。
――十死怪の称号剥奪は決定事項だ。
「そんな……」
力が抜ける。
「魔王様……どうか……」
――用件は済んだ。
冷徹な宣告。
そして最後に。
――去れ。
それだけだった。
慈悲もない。
温情もない。
覆る余地もない。
完全なる決定。
完全なる拒絶。
私は何も証明できなかった。
何も示せなかった。
こうして私は魔王城を追われる。
そして同時に――
十死怪の名も失ったのだった。