転生勇者が死ぬまで10000日   作:慶名 安

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第8章ー69

 「出でよ――魔導結界!!」

 

 「魔導……結界?」

 

 本格的に異形の姿へと変貌したグリムフィッシャーが、両手を合わせて不気味な合掌の構えを取る。

 

 その口から飛び出したのは聞き慣れない単語だった。

 

 魔導結界。

 

 普通の結界でもなければ、魔障結界とも違う。

 

 一体何をするつもりだ――そう警戒した瞬間だった。

 

 「沈め。全ての地よ」

 

 低く響く詠唱と共に、異変が起こる。

 

 「なっ!?」

 

 足元に冷たい感触が走った。

 

 見れば、地面を覆うように海水が広がり始めている。

 

 「海水……だと!?」

 

 結界の中へ大量の水が流れ込んでくる。

 

 だが、すぐに違和感に気付いた。

 

 ヒビが入った訳ではない。

 

 結界の維持が途切れた様子もない。

 

 外部から浸水しているのではなく、まるで空間そのものから水が生み出されているかのようだった。

 

 「まさか……これが奴の奥の手か」

 

 嫌な予感が胸をよぎる。

 

 そして、その予感は最悪の形で的中した。

 

 「全ての地を無限の海原へと変えよ――【無限海牢《むげんかいろう》】!!」

 

 轟くような宣言と共に、水位が一気に上昇した。

 

 「無限……海牢?」

 

 聞き返した自分に、グリムフィッシャーは愉悦に満ちた笑みを浮かべる。

 

 「そうだ。魔導結界とは、ただの結界ではない」

 

 ゆっくりと両腕を広げるグリムフィッシャー。

 

 その姿は、まるで自らの世界を支配する王のようだった。

 

 「術者の理想を具現化し、思い描いた世界を生み出す特別な結界。それが魔導結界だ!」

 

 周囲の水位はさらに増していく。

 

 足首だった水面は、すでに膝近くまで達していた。

 

 「この【無限海牢】は私のためだけに創り上げた世界。たとえ陸であろうが、空であろうが、結界の内側に存在する全てを海へと変える!」

 

 グリムフィッシャーは誇らしげに胸を張る。

 

 「どんな戦場であろうと魚人族の本領を発揮できる。高い魔力と類稀なる才能を必要とする故、貴様らのような下等生物には決して辿り着けぬ領域だ! ふはははははは!!」

 

 高笑いが結界内に響き渡る。

 

 「……」

 

 自分は黙ったまま周囲を見渡した。

 

 どうやら魔導結界というのは、単純な防御結界ではないらしい。

 

 術者にとって最も都合の良い環境そのものを創り出す能力。

 

 そしてグリムフィッシャーが生み出した世界は、魚人族にとって絶対的な優位を誇る海だった。

 

 つまり――。

 

 どんな場所であろうと、奴は常に本来の力を発揮できる。

 

 くそ。

 

 ただでさえ圧倒的な強敵だというのに、さらに有利な戦場まで用意してきやがった。

 

 「ちっ……!」

 

 舌打ちをしながら、自分はすぐにマヒロを抱き上げる。

 

 そしてグリムフィッシャーから距離を取るように後退した。

 

 今の至近距離では危険すぎる。

 

 もし奴が仕掛けてきた場合、彼女を守り切れる自信がない。

 

 少しでも遠ざけなければ。

 

 「ふははははは!! 距離を置いてどうする気だ?」

 

 グリムフィッシャーは余裕たっぷりに笑う。

 

 「どこへ逃げようと無意味! この結界が完全に海へと変わるまで残り三十秒!」

 

 水位は刻一刻と上昇している。

 

 まるで死へのカウントダウンだ。

 

 「この空間が完全に海中と化した時、勝負は一瞬で終わるだろう! もっとも、貴様程度なら今の状態でも十分だがな!」

 

 「……」

 

 反論はしなかった。

 

 いや、できなかった。

 

 奴の言うことは事実だからだ。

 

 距離を取ったところで状況は何も変わらない。

 

 逃げ場はない。

 

 結界の外へ出る手段もない。

 

 そして三十秒後には、この空間全てが海の底になる。

 

 そうなればグリムフィッシャーの独壇場だ。

 

 地上ですらまともに勝負にならなかった相手。

 

 本領を発揮した状態の奴を倒すなど、ほぼ不可能と言っていい。

 

 だが――。

 

 「……なら、やるしかないか」

 

 自分は静かに呟く。

 

 まだ終わった訳じゃない。

 

 完全に浸水する前なら、わずかな勝機が残されている。

 

 三十秒。

 

 そう言ったが、実際にはそんな猶予はない。

 

 奴が自由に泳げる水深に達した時点で状況は一変する。

 

 そう考えれば残された時間は十秒あるかどうか。

 

 本当に一瞬だ。

 

 「待ってろよ、マヒロ」

 

 結界の端へ彼女を静かに降ろす。

 

 「すぐにケリをつけてやる」

 

 残された手段は一つしかない。

 

 一撃。

 

 たった一度の攻撃に全てを賭ける。

 

 失敗すれば終わり。

 

 次はない。

 

 自分はゆっくりと腰を落とし、全身の筋肉に力を込める。

 

 固く握り締めた右拳。

 

 その拳に、残された力の全てを集中させた。

 

 心臓が激しく鼓動する。

 

 肺が焼けるように熱い。

 

 それでも構わない。

 

 絶対に奴を倒す。

 

 そして――マヒロを守り抜く。

 

 その決意だけを胸に、自分は迫り来る絶望へと拳を向けた。

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