ゆっくりと海面を目指して浮上を続ける。
暗かった海中は少しずつ明るさを増し、頭上から差し込む日の光もはっきりと見えるようになってきた。
海面が近い。
もう少しだ。
本当にあと少し。
問題は――それまで二人とも持ちこたえられるかどうかだった。
「ごぼっ……!?」
「ッ!?」
不安を抱きながら泳ぎ続けていたその時だった。
腕の中のマヒロの様子が突然変わる。
苦しそうに口を開き、小さな泡を吐き出したのだ。
意識は戻っていない。
だが、身体だけが生存本能で呼吸を求め始めている。
まずい。
非常にまずい。
これまで自分は少しでも海水を吸い込ませないよう、彼女の口元が直接水へ向かないよう気を付けていた。
だが、それも限界らしい。
身体が酸素を求めている。
このままでは無意識のまま海水を吸い込みかねない。
「くそ……」
焦りが募る。
自分は海について素人同然だった。
一気に浮上すると減圧症になる危険がある。
その程度の知識はある。
だが、どの深度なら安全なのか。
どれほどの速度なら問題ないのか。
そういった詳しい知識までは持ち合わせていない。
頭上を見上げる。
海面まではもう百メートルもないだろう。
だが、今の速度では間に合わない。
マヒロの方が先に限界を迎える。
そして――。
自分自身も。
肺が悲鳴を上げていた。
意識も少しずつ霞み始めている。
このままでは二人とも助からない。
海上に出たところで救援は期待できないだろう。
おそらく周囲にはまだ魚人族が残っている。
誰かが助けに来てくれる保証などどこにもなかった。
「……」
その時、不意に先ほどの光景が脳裏をよぎる。
グリムフィッシャーが吹き飛ばされた後。
魚人族の一体が海底へ叩き落とされていた。
まるで巨大な竜巻に巻き込まれたように。
「あれは……」
ミオの魔法。
そう考えれば辻褄が合う。
彼女の風魔法なら、あの規模の現象も不可能ではない。
そして――。
「待てよ……」
思考が繋がる。
もしミオの魔法がここまで届いていたのなら。
こちらの位置さえ伝えられれば。
彼女は気付いてくれるかもしれない。
風を送ってくれるかもしれない。
酸素を届けてくれるかもしれない。
あるいは、そのまま救出してくれる可能性すらある。
希望が見えた。
問題は位置を知らせる方法だ。
目印。
遠くからでも分かる目印が必要だ。
光魔法ならどうだろう。
海中で強く発光させれば――。
「……っ」
そこで思考が途切れた。
一瞬、意識が飛びかける。
視界が揺れる。
しまった。
考え事をしている場合ではない。
自分も限界だ。
肺が焼けるように苦しい。
身体から力が抜けていく。
このままでは目印を作る前に気を失う。
せめて一呼吸。
ほんの一度だけでも酸素を補給できれば。
そう考えた時だった。
ふと、前世の記憶が蘇る。
映画。
漫画。
アニメ。
極限状態の救助シーン。
海中で意識を失った人物を助ける場面。
そこで行われていた行為。
「……あ」
思い出した。
それは決して確かな知識ではない。
専門家から教わったこともない。
実際に見たこともない。
ただ物語の中で何度も見かけた程度の曖昧な記憶。
それでも。
今の自分に思い付く手段は一つしかなかった。
「……」
躊躇いが生まれる。
当然だった。
意識のない少女に対して行う行為としては、あまりにも抵抗がある。
仮に助かったとしても、後で何と言われるか分からない。
殴られるかもしれない。
怒られるかもしれない。
最低だと言われるかもしれない。
だが――。
今はそんなことを気にしている場合ではない。
このまま何もしなければ。
二人とも死ぬ。
それだけは確実だった。
ならば選択肢は一つしかない。
責任なら後で取ればいい。
罰なら受ければいい。
今はただ。
彼女を助けたい。
その一心だった。
「……」
覚悟を決める。
マヒロの身体をしっかりと抱き寄せる。
そしてゆっくりと顔を近付けた。
海中に漂う銀色の髪が揺れる。
閉じられた瞳。
苦しそうな表情。
その姿を見つめながら、自分は最後の迷いを振り切った。
「……んっ」
次の瞬間。
自分は彼女の唇へそっと唇を重ねた。
生きるために。
彼女を助けるために。
その一心だけを胸に抱きながら。