転生勇者が死ぬまで10000日   作:慶名 安

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第8章ー74

 ゆっくりと海面を目指して浮上を続ける。

 

 暗かった海中は少しずつ明るさを増し、頭上から差し込む日の光もはっきりと見えるようになってきた。

 

 海面が近い。

 

 もう少しだ。

 

 本当にあと少し。

 

 問題は――それまで二人とも持ちこたえられるかどうかだった。

 

 「ごぼっ……!?」

 

 「ッ!?」

 

 不安を抱きながら泳ぎ続けていたその時だった。

 

 腕の中のマヒロの様子が突然変わる。

 

 苦しそうに口を開き、小さな泡を吐き出したのだ。

 

 意識は戻っていない。

 

 だが、身体だけが生存本能で呼吸を求め始めている。

 

 まずい。

 

 非常にまずい。

 

 これまで自分は少しでも海水を吸い込ませないよう、彼女の口元が直接水へ向かないよう気を付けていた。

 

 だが、それも限界らしい。

 

 身体が酸素を求めている。

 

 このままでは無意識のまま海水を吸い込みかねない。

 

 「くそ……」

 

 焦りが募る。

 

 自分は海について素人同然だった。

 

 一気に浮上すると減圧症になる危険がある。

 

 その程度の知識はある。

 

 だが、どの深度なら安全なのか。

 

 どれほどの速度なら問題ないのか。

 

 そういった詳しい知識までは持ち合わせていない。

 

 頭上を見上げる。

 

 海面まではもう百メートルもないだろう。

 

 だが、今の速度では間に合わない。

 

 マヒロの方が先に限界を迎える。

 

 そして――。

 

 自分自身も。

 

 肺が悲鳴を上げていた。

 

 意識も少しずつ霞み始めている。

 

 このままでは二人とも助からない。

 

 海上に出たところで救援は期待できないだろう。

 

 おそらく周囲にはまだ魚人族が残っている。

 

 誰かが助けに来てくれる保証などどこにもなかった。

 

 「……」

 

 その時、不意に先ほどの光景が脳裏をよぎる。

 

 グリムフィッシャーが吹き飛ばされた後。

 

 魚人族の一体が海底へ叩き落とされていた。

 

 まるで巨大な竜巻に巻き込まれたように。

 

 「あれは……」

 

 ミオの魔法。

 

 そう考えれば辻褄が合う。

 

 彼女の風魔法なら、あの規模の現象も不可能ではない。

 

 そして――。

 

 「待てよ……」

 

 思考が繋がる。

 

 もしミオの魔法がここまで届いていたのなら。

 

 こちらの位置さえ伝えられれば。

 

 彼女は気付いてくれるかもしれない。

 

 風を送ってくれるかもしれない。

 

 酸素を届けてくれるかもしれない。

 

 あるいは、そのまま救出してくれる可能性すらある。

 

 希望が見えた。

 

 問題は位置を知らせる方法だ。

 

 目印。

 

 遠くからでも分かる目印が必要だ。

 

 光魔法ならどうだろう。

 

 海中で強く発光させれば――。

 

 「……っ」

 

 そこで思考が途切れた。

 

 一瞬、意識が飛びかける。

 

 視界が揺れる。

 

 しまった。

 

 考え事をしている場合ではない。

 

 自分も限界だ。

 

 肺が焼けるように苦しい。

 

 身体から力が抜けていく。

 

 このままでは目印を作る前に気を失う。

 

 せめて一呼吸。

 

 ほんの一度だけでも酸素を補給できれば。

 

 そう考えた時だった。

 

 ふと、前世の記憶が蘇る。

 

 映画。

 

 漫画。

 

 アニメ。

 

 極限状態の救助シーン。

 

 海中で意識を失った人物を助ける場面。

 

 そこで行われていた行為。

 

 「……あ」

 

 思い出した。

 

 それは決して確かな知識ではない。

 

 専門家から教わったこともない。

 

 実際に見たこともない。

 

 ただ物語の中で何度も見かけた程度の曖昧な記憶。

 

 それでも。

 

 今の自分に思い付く手段は一つしかなかった。

 

 「……」

 

 躊躇いが生まれる。

 

 当然だった。

 

 意識のない少女に対して行う行為としては、あまりにも抵抗がある。

 

 仮に助かったとしても、後で何と言われるか分からない。

 

 殴られるかもしれない。

 

 怒られるかもしれない。

 

 最低だと言われるかもしれない。

 

 だが――。

 

 今はそんなことを気にしている場合ではない。

 

 このまま何もしなければ。

 

 二人とも死ぬ。

 

 それだけは確実だった。

 

 ならば選択肢は一つしかない。

 

 責任なら後で取ればいい。

 

 罰なら受ければいい。

 

 今はただ。

 

 彼女を助けたい。

 

 その一心だった。

 

 「……」

 

 覚悟を決める。

 

 マヒロの身体をしっかりと抱き寄せる。

 

 そしてゆっくりと顔を近付けた。

 

 海中に漂う銀色の髪が揺れる。

 

 閉じられた瞳。

 

 苦しそうな表情。

 

 その姿を見つめながら、自分は最後の迷いを振り切った。

 

 

 

             「……んっ」

 

 

 

 次の瞬間。

 

 自分は彼女の唇へそっと唇を重ねた。

 

 生きるために。

 

 彼女を助けるために。

 

 その一心だけを胸に抱きながら。

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