転生勇者が死ぬまで10000日   作:慶名 安

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第8章ー80

 「……み。君、聞こえるか?」

 

 「……ん……」

 

 遠くから誰かの声が聞こえる。

 

 まるで水の中から地上の音を聞いているような、不思議な感覚だった。

 

 重たい瞼をゆっくりと持ち上げる。

 

 視界はぼやけていて、頭も上手く回らない。

 

 自分は何をしていたんだっけ――。

 

 記憶を辿ろうとして、途中で思考が止まる。

 

 そうだ。

 

 確か巨大な渦に巻き込まれて――。

 

 そこから先が思い出せない。

 

 恐らく、限界寸前だった身体と精神が完全に力尽きたのだろう。

 

 「おい! 目を開けたぞ!」

 

 「よしよし。大丈夫かい? これ、何本に見える?」

 

 目の前で指が揺れる。

 

 まだ焦点が定まらない。

 

 何度か瞬きを繰り返してから答えた。

 

 「……に、二本?」

 

 「よし。じゃあ自分の名前は言えるかい?」

 

 「サダメ・レールステン……です」

 

 「問題なさそうだな」

 

 男は安心したように頷いた。

 

 どうやら意識確認をしていたらしい。

 

 「身体は動くかい?」

 

 「んー……っ」

 

 起き上がろうと腕に力を入れる。

 

 だが、その瞬間。

 

 全身を鉛でも流し込まれたかのような重さが襲った。

 

 「っ!? す、すいません。今はちょっと無理そうです」

 

 「無理しなくていいわ」

 

 横から女性の声が聞こえる。

 

 視線だけ向けると、軽装の女性が優しく微笑んでいた。

 

 「治癒魔法で怪我は治してあるわ。でも疲労までは消せないもの。相当無茶したみたいね」

 

 「みたいですね……」

 

 苦笑することしかできなかった。

 

 腕どころか指先にすら力が入らない。

 

 まるで身体が自分のものではないみたいだ。

 

 「オッケー。それじゃあ担架を持ってくるから少し待っててくれ」

 

 「あ、ありがとうございます」

 

 周囲を見回す。

 

 軽量の鎧。

 

 マント。

 

 様々な武器。

 

 どうやら冒険者達に助けられたらしい。

 

 騎士団にしては装備が軽すぎるし、一般人がここまで武装しているはずもない。

 

 状況を整理しようとしたところで、ある人物の顔が脳裏をよぎった。

 

 「……あの」

 

 「ん?」

 

 「もう一人、女の子がいたと思うんですけど……」

 

 マヒロ。

 

 自分と一緒に海へ落ちた少女。

 

 彼女の姿が見えない。

 

 身体は動かないし、首を動かすだけでも辛い。

 

 だから素直に近くの女性へ尋ねた。

 

 すると彼女は安心させるように微笑んだ。

 

 「ああ、あの子なら大丈夫よ」

 

 「!」

 

 「貴方と一緒に救助されたわ。正直、状態は貴方より酷かったけどね。でもちゃんと一命は取り留めてる」

 

 「そ、そうですか……」

 

 胸の奥から大きく息が漏れた。

 

 良かった。

 

 本当に良かった。

 

 あれだけ無茶をしたのだ。

 

 最悪の想像もしていた。

 

 だが、生きている。

 

 それだけで十分だった。

 

 「だいぶ疲れてるでしょう?」

 

 女性冒険者は優しく語り掛ける。

 

 「後のことは私達に任せなさい。貴方は今は休むことだけ考えてればいいわ」

 

 「……はい」

 

 素直に頷く。

 

 確かに今の自分では何もできそうにない。

 

 身体も頭も限界だった。

 

 けれど、不思議と心は軽かった。

 

 グリムフィッシャーは倒した。

 

 魔海の大行進も阻止できたはずだ。

 

 魚人族は確かに脅威だった。

 

 一歩間違えれば街も人々も飲み込まれていただろう。

 

 それでも、自分達は勝った。

 

 仲間達がいたから。

 

 最後まで諦めなかったから。

 

 だから今こうして生きている。

 

 結果だけ見れば、大勝利だ。

 

 そう考えると自然と頬が緩んだ。

 

 女性冒険者の言葉に甘えるように目を閉じる。

 

 色々聞きたいことはあった。

 

 戦いの後どうなったのか。

 

 皆は無事なのか。

 

 ミオやフィーはどうしているのか。

 

 だが、それはまた後でいい。

 

 今はただ眠りたい。

 

 心地よい疲労感に身を委ねながら、意識がゆっくりと沈んでいく。

 

 こうしてサダメ・レールステンは、いつもよりずっと早く深い眠りへと落ちていった。

 

 ――転生勇者が死ぬまで、残り3953日。

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