「……み。君、聞こえるか?」
「……ん……」
遠くから誰かの声が聞こえる。
まるで水の中から地上の音を聞いているような、不思議な感覚だった。
重たい瞼をゆっくりと持ち上げる。
視界はぼやけていて、頭も上手く回らない。
自分は何をしていたんだっけ――。
記憶を辿ろうとして、途中で思考が止まる。
そうだ。
確か巨大な渦に巻き込まれて――。
そこから先が思い出せない。
恐らく、限界寸前だった身体と精神が完全に力尽きたのだろう。
「おい! 目を開けたぞ!」
「よしよし。大丈夫かい? これ、何本に見える?」
目の前で指が揺れる。
まだ焦点が定まらない。
何度か瞬きを繰り返してから答えた。
「……に、二本?」
「よし。じゃあ自分の名前は言えるかい?」
「サダメ・レールステン……です」
「問題なさそうだな」
男は安心したように頷いた。
どうやら意識確認をしていたらしい。
「身体は動くかい?」
「んー……っ」
起き上がろうと腕に力を入れる。
だが、その瞬間。
全身を鉛でも流し込まれたかのような重さが襲った。
「っ!? す、すいません。今はちょっと無理そうです」
「無理しなくていいわ」
横から女性の声が聞こえる。
視線だけ向けると、軽装の女性が優しく微笑んでいた。
「治癒魔法で怪我は治してあるわ。でも疲労までは消せないもの。相当無茶したみたいね」
「みたいですね……」
苦笑することしかできなかった。
腕どころか指先にすら力が入らない。
まるで身体が自分のものではないみたいだ。
「オッケー。それじゃあ担架を持ってくるから少し待っててくれ」
「あ、ありがとうございます」
周囲を見回す。
軽量の鎧。
マント。
様々な武器。
どうやら冒険者達に助けられたらしい。
騎士団にしては装備が軽すぎるし、一般人がここまで武装しているはずもない。
状況を整理しようとしたところで、ある人物の顔が脳裏をよぎった。
「……あの」
「ん?」
「もう一人、女の子がいたと思うんですけど……」
マヒロ。
自分と一緒に海へ落ちた少女。
彼女の姿が見えない。
身体は動かないし、首を動かすだけでも辛い。
だから素直に近くの女性へ尋ねた。
すると彼女は安心させるように微笑んだ。
「ああ、あの子なら大丈夫よ」
「!」
「貴方と一緒に救助されたわ。正直、状態は貴方より酷かったけどね。でもちゃんと一命は取り留めてる」
「そ、そうですか……」
胸の奥から大きく息が漏れた。
良かった。
本当に良かった。
あれだけ無茶をしたのだ。
最悪の想像もしていた。
だが、生きている。
それだけで十分だった。
「だいぶ疲れてるでしょう?」
女性冒険者は優しく語り掛ける。
「後のことは私達に任せなさい。貴方は今は休むことだけ考えてればいいわ」
「……はい」
素直に頷く。
確かに今の自分では何もできそうにない。
身体も頭も限界だった。
けれど、不思議と心は軽かった。
グリムフィッシャーは倒した。
魔海の大行進も阻止できたはずだ。
魚人族は確かに脅威だった。
一歩間違えれば街も人々も飲み込まれていただろう。
それでも、自分達は勝った。
仲間達がいたから。
最後まで諦めなかったから。
だから今こうして生きている。
結果だけ見れば、大勝利だ。
そう考えると自然と頬が緩んだ。
女性冒険者の言葉に甘えるように目を閉じる。
色々聞きたいことはあった。
戦いの後どうなったのか。
皆は無事なのか。
ミオやフィーはどうしているのか。
だが、それはまた後でいい。
今はただ眠りたい。
心地よい疲労感に身を委ねながら、意識がゆっくりと沈んでいく。
こうしてサダメ・レールステンは、いつもよりずっと早く深い眠りへと落ちていった。
――転生勇者が死ぬまで、残り3953日。