「……え?」
自分の返答を聞いた瞬間、マヒロの動きがぴたりと止まった。彼女の瞳に、戸惑いと驚きの色が広がっていく。無邪気な期待を、こちらから直接打ち砕いてしまったのだ。当然の反応だった。
「いいか、マヒロ。好奇心を持つのはいいことだけど……それにも限度がある。特に異性相手にこういうことを要求すると、相手が変に勘違いしてしまう可能性がある。トラブルになるかもしれないから、キスとかしたいなら、相手はもう少し慎重に選んだ方がいいぞ」
「……」
マヒロは黙って僕の言葉を聞いていた。夜風が展望台を吹き抜け、彼女の長い黒髪を優しく揺らす。月明かりの下で、その横顔はいつもより幼くも大人びても見えた。
僕は彼女の無垢さが心配だった。性的な興味を持つこと自体は、思春期の彼女にとって自然なことかもしれない。でもマヒロの場合は少し違う。興味というより、純粋な「探求心」に近い気がした。キスをしたらなぜ心地よくなったのか——ただその理由を知りたいだけなのだ。
それが危険すぎる。もし相手が自分ではなく、他の男だったら……その先の展開を想像するだけで胸がざわついた。人前で平気で服を脱ぐ彼女の無防備さも相まって、放っておけないという謎の責任感が芽生えていた。
「…別に誰でも良いとは思っておらぬが」
「ん?」
「…いや、なんでもないでござる」
マヒロがぼそりと呟いた言葉を聞き取れず、聞き返すと、彼女は愛想笑いで誤魔化した。いつもの明るい笑顔だったが、どこか無理をしているようにも感じられた。僕に向かって言ったのか、それとも自分自身に言い聞かせたのか——それ以上は聞き出せそうになかった。
「さて、湯冷めする前に戻るでござるよ、サダメ!」
「お、おう」
マヒロは話題を切り替えるように明るく声を上げ、展望台を後にした。最初に帰ろうと言い出したのは僕だったはずなのに、彼女の方が先に歩き出していた。 教会への帰り道、彼女の背中は少し遠く感じた。ルンルンと軽快に歩いているように見えるが、肩がわずかに落ちている気がする。あんなことがあった後だから、僕が勝手に気にしすぎているだけかもしれない。でも、さっきまでの甘い空気はすっかり消え、夜風が妙に冷たく感じられた。
(……俺は正しいことをしたはずだ)
そう自分に言い聞かせるが、胸の奥に小さな棘のような違和感が残っていた。彼女の無垢さを守りたいという親心のような感情と、どこかで期待してしまっていた自分の気持ち。その両方が、複雑に絡み合っている。
マヒロは振り返らずに前を歩き続け、時折星空を見上げては小さく息を吐いていた。その後ろ姿が、いつもより少し寂しげに見えたのは、きっと気のせいだろう。
教会の灯りが見えてきた頃、僕は静かにため息をついた。
―転生勇者が死ぬまで、残り3947日。