「……昔と変わらない、か」
ミスエル団長が帰った後。
俺はソファーに腰を沈め、煙草をふかしながら先程の言葉を思い返していた。
――昔と変わらない。
あれからもう十年だ。
身長も伸びたし、顔つきだって変わった。子供だった頃の面影なんて、今の俺にはほとんど残っていないはずだ。
それなのに、あの人は迷いなくそう言い切った。
「ふふっ」
「……何笑ってんすか」
思わず呟いた独り言を聞いていたのか、理事長が楽しそうに笑みを零した。
この人とは随分長い付き合いになるが、未だに笑いのツボがよく分からない。
「いやなに。ミスエル殿らしいなと思っただけさ」
「何がっすか?」
「人を見る目だよ」
理事長は紅茶を一口飲み、穏やかな笑みを浮かべる。
「あの人の魔法の影響もあるのかもしれないが、それを差し引いても人の本質を見抜く力は本物だ。君は昔と変わらない。私もそう思うよ」
「……言ったもん勝ちでしょ、それ」
思わず肩を竦める。
さっき団長殿が同じことを言ったばかりだ。
今更理事長まで便乗してこられても、後出しにしか聞こえない。
「そんなことはないさ」
理事長は即座に否定した。
「君は今でも困っている誰かのために行動できる人間だ。自分の利益よりも他人を優先してしまう。そういう部分は昔から何も変わっていない」
「……」
「人の本質というものは、よほどのことがない限り変わらないものなんだよ」
その言葉に、思わず苦笑が漏れた。
「よほどのこと、ね」
灰皿に灰を落としながら呟く。
「俺からしたら、『あれ』は十分すぎるほどよほどのことなんすけど」
「……」
「『あれ』がなきゃ、こんな所で燻ってることもなかったでしょうし」
理事長の表情が僅かに曇る。
十年前。
あの日に起きた出来事。
それは俺の人生を根底から変えた。
進むはずだった道も。
抱いていた夢も。
積み上げてきたものも。
全部まとめてぶち壊された。
だからこそ今の俺がいる。
煙をゆっくり吐き出しながら、自嘲気味に笑う。
「アルコールとニコチン漬けの生活を送るなんて、昔の俺は想像もしなかったでしょうね」
「……たしかに。それはそうかもしれない」
理事長も否定はしなかった。
否定できるはずもない。
俺自身が一番よく知っているのだから。
「昔の俺はもういませんよ」
ぽつりと呟く。
「ここにいるのは十年前とは違うもう一人の自分。アサヒ・コールスタッシュです」
誰に言うでもなく。
自分自身に言い聞かせるように。
「前の自分とは雲泥の差だ。今の俺は全くの別人っすよ」
理事長は何も言わなかった。
ただ静かにこちらを見ている。
その視線から逃げるように、俺は天井を見上げた。
変わっていない。
本質は同じ。
二人はそう言う。
だが、俺にはそう思えなかった。
十年前の俺と今の俺。
その間にあるものはあまりにも大きい。
失ったものも。
背負ったものも。
あの頃とは何もかも違う。
だから――
「……じゃなきゃ、示しがつかねーだろ」
誰にも聞こえないほど小さく呟く。
「ん?」
「なんでもないっす」
理事長が首を傾げたが、適当に誤魔化しておいた。
自分でも上手く説明できない感情だ。
ただ一つだけ分かるのは、俺は昔の自分と同じであってはいけないということ。
そう思い続けているということだけだった。
だからこそ、素性を知られるのは少し厄介かもしれない。
ミスエル団長が他人に漏らす可能性は低い。
そこは信用している。
だが、今後も同じように気づく人間が現れないとは限らない。
少し警戒しておく必要はありそうだった。
「それじゃあ私は別件の作業があるから少し席を外すよ。君はどうする?」
理事長が立ち上がりながら尋ねる。
「いってらっしゃーい」
「……帰る時はちゃんと消臭しておいてくれよ」
呆れたように言い残し、理事長は部屋を後にした。
扉が閉まる音を聞きながら、俺はソファーへ深く身体を沈める。
そしてテーブルの上に置かれた報告書へ手を伸ばした。
団長殿が残していった資料。
暇潰しには丁度いい。
煙草を咥え直しながらページをめくる。
部屋の中には紙を捲る音だけが静かに響いていた。