「……えっと、これは?」
「石だが?」
「いや、それは見れば分かるんですけど……」
体育館の中央に鎮座する巨大な白い岩を指差しながら尋ねると、先生は当然のように答えた。
いや、そういう意味じゃない。
俺が聞きたいのは名前とか用途とかそういう話だ。
なんだろう。
ひょっとして馬鹿にされてる?
そんな疑惑を抱いていると、先生は面倒臭そうに頭を掻いた。
「とにかく一発撃ってみろ。撃てば分かる」
「はぁ?」
「無機物なら遠慮なく撃てるだろ?」
「まあ、それはそうですけど……」
納得はいかなかったが、とりあえず従うことにした。
先生がここまで回りくどいことをするのには何か理由があるのだろう。
多分。
少し距離を取り、目の前の白い石を見据える。
今度は人じゃない。
ただの石だ。
躊躇う必要はない。
「……ふぅ」
深く息を吐く。
大丈夫。
今度は失敗しない。
そう自分に言い聞かせる。
「爆ぜる焔よ、火《か》の球《きゅう》として右腕に聚合《しゅうごう》し、眼前に映りし標的に爆炎の一撃を与えん――【火球《フレール》・
右拳へ魔力を集中。
一気に踏み込み、全力で拳を叩き込む。
先生の時とは違う。
迷いも恐怖もない。
完璧な一撃だった。
――そう思った。
「……え?」
しかし。
石は微動だにしなかった。
爆発も起きない。
衝撃波も発生しない。
ヒビ一つ入らない。
まるで最初から何もなかったかのように、魔法だけが静かに霧散していく。
「なっ――」
直後。
「いっっっっってぇぇぇぇぇぇぇ!?」
激痛が走った。
思わず右手を押さえて飛び退く。
痛い。
滅茶苦茶痛い。
固い壁を思い切り殴った時のような感覚だ。
見ると拳の甲が擦り切れ、うっすら血まで滲んでいる。
地味だが非常に嫌な痛みだった。
「どうだ? 痛ぇか?」
振り返ると、先生がニヤニヤしながら近付いて来ていた。
絶対知ってたな、この人。
「先生……どういうことですかこれ」
「おう、ようやく聞いたか」
絶対分かっててやらせた。
そう確信できる笑みだった。
先生は白い石を軽く叩く。
「こいつは魔断石《まだんせき》だ」
「魔断石?」
「どんな魔法でも無効化する特殊な鉱石だな」
「……は?」
一瞬意味が分からなかった。
どんな魔法でも?
無効化?
そんな反則みたいな代物が存在するのか?
「学園の施設にも結構使われてるぞ。体育館とか訓練場とかな」
言われてみれば。
この体育館、今まで散々魔法訓練に使われてきたはずなのに傷一つ付いていない。
それが普通だと思っていたが、理由はこの石だったらしい。
「いや待ってください」
そこである事実に気付く。
「ってことは今の魔法、無意味だったってことじゃないですか!?」
無効化されるなら撃った意味がない。
俺はただ石を殴って怪我しただけでは?
だが先生は呆れたようにため息を吐いた。
「馬鹿か」
「ぐはっ」
即答だった。
ちょっと傷付く。
「意味がねぇことするほど俺も暇じゃねぇ」
先生は俺の拳を指差した。
「さっきみたいな反動は来たか?」
「……いえ」
右手は痛い。
だがそれだけだ。
身体が焼けるような感覚もない。
魔力暴走もない。
「だろ?」
先生は口元を吊り上げる。
「つまり魔法は成功してるってことだ」
「――ッ!」
その瞬間。
先生が何をさせたかったのか理解した。
「魔断石は魔法を無効化する。だが発動そのものを失敗させる訳じゃねぇ」
つまり。
俺は今。
ちゃんと火球・炎衝拳を発動できていた。
威力だけが消された状態で。
反動もなく。
理想通りに。
「そういうことだ」
先生がニヤリと笑う。
「お前に足りねぇのは威力じゃねぇ。制御だ」
思わず魔断石を見つめる。
なるほど。
確かにこれなら安全だ。
全力で撃てる。
失敗しても先生がいる。
しかも威力は消される。
まさに訓練にはうってつけだった。
だが次の瞬間。
ある事実に気付いてしまった。
「……待ってください」
「ん?」
「これってつまり」
俺は傷付いた拳を見下ろす。
そして巨大な魔断石を見上げた。
嫌な予感しかしない。
「これから何発も殴るってことですか?」
先生の笑みが深まった。
「ああ」
即答だった。
「これからお前にはひたすら魔断石へ魔法を撃ってもらう」
「……」
「多少痛ぇだろうが、さっきの反動よりはマシだろ?」
それはそうだ。
だが問題は回数である。
先生は煙草を咥え直しながら魔断石にもたれ掛かった。
その表情には教師らしからぬ悪い笑みが浮かんでいる。
「治療なら俺がしてやる」
そして。
死刑宣告のように続けた。
「それじゃあ始めようか」
先生の口元が不敵に歪む。
「――地獄の訓練をな」
その瞬間。
俺はこの補習授業が、想像以上に過酷なものになることを悟った。