迷宮へ足を踏み入れてから約一時間。
途中で近道らしき分岐も見つからず、自分達は地図に記された正規ルートを辿り続けていた。
そして現在――地下五階。
ちょうど中間地点だ。
ここまでの道のりは驚くほど順調だった。
魔物との遭遇はなし。
罠もなし。
大きなトラブルもなし。
正直なところ、拍子抜けするくらいである。
「あと半分かぁ」
フィーが大きく伸びをした。
「思ったよりあっさり来ちゃったね」
『ねー』
ミオも頷く。
『魔物も全然出てこないし、案外楽勝なんじゃない?』
「おっと」
ソンジさんがすかさず人差し指を立てた。
「そういうこと言うのはやめときな」
『え?』
「フラグになるから」
「ふらぐ?」
マヒロが首を傾げる。
ソンジさんはしまったと言わんばかりに口を押さえた。
「あー……いや、その……」
一瞬視線が泳ぐ。
どうやらまた何か余計なことを口走ったらしい。
「つまりだね!」
慌てて話を続ける。
「油断するなってことだよ!」
『ああ』
「迷宮攻略は帰るまでが迷宮攻略だからね。帰り道で痛い目を見ることだってあるんだ」
「なるほど」
マヒロも納得したように頷いた。
しかし。
自分は別の部分が気になっていた。
フラグ。
明らかにこの世界の言葉ではない。
思い返せば以前も似たようなことがあった。
ソンジさんは時々、この世界では聞かない単語をさらっと口にする。
おそらく前世由来の言葉なのだろう。
転生者あるあるだ。
前世の常識が染み付いているせいで、無意識に口から出てしまう。
実際、自分も経験がある。
以前、
「夏はエアコンがないとやってられない」
などと口走ってしまい、皆から怪訝な顔をされたことがあった。
当然だ。
この世界にエアコンなど存在しない。
説明にものすごく苦労した記憶がある。
今思い出しても少し恥ずかしい。
特にミオ達の前だったのが精神的にきつかった。
「な、なあ!」
突然後方から声が飛ぶ。
「そろそろ休憩しねー?」
振り返る。
すると。
「ぜぇ……はぁ……」
ギリスケが死にそうな顔で立っていた。
「お前いつの間にそんな後ろにいたんだよ」
気付けば自分達からかなり距離が開いている。
五十メートル近く離れていた。
顔色も悪い。
肩で息をしている。
どう見ても限界寸前だった。
「いやぁ……無理……」
「大丈夫でござるかギリスケ殿?」
マヒロが心配そうに声を掛ける。
しかし、よく考えれば無理もない。
ここへ来るまでにかなり歩いた。
迷宮に入ってからも一時間近く移動している。
体力に自信がない人間なら音を上げても不思議ではない。
もっとも。
あれだけ補習や朝練をやっているのに体力が付いていないのはどうなんだとも思うが。
「うーん」
ソンジさんが地図を開く。
「本当は休憩なしで進みたかったんだけどね」
そう言いながらも苦笑した。
「ここで無理させて後から倒れられても困るし」
そして地図を確認する。
「少し先に開けた場所があるみたいだ。そこまで行って休憩にしようか」
『賛成ー』
「うむ。致し方無いでござるな」
「助かったぁ……」
ギリスケが心底安堵した表情を浮かべる。
こうして自分達は歩く速度を少し落とし、休憩場所を目指して再び進み始めた。
誰もが順調だと思っていた。
少なくとも、この時までは。
この先に待つ異変など、誰一人として予想していなかったのである。