『……サダ、メ?』
自分が声を掛けると、フィーはゆっくりと顔を上げた。
涙でぐしゃぐしゃになった顔。頬を伝う涙だけでなく、鼻水や涎の跡まで残っている。その姿を見れば、彼女がどれほどの恐怖に襲われていたのかは一目瞭然だった。
「いいか? 俺達は絶対に死なない。いや――死なないために戦うんだ。
相手が伝説の龍だろうと、倒せないわけじゃない。現に絵本では勇者達があいつをあと一歩まで追い詰めた。つまり、対抗する術は確かにある。そう思わないか?」
『……』
フィーは何も答えない。
それでも自分は言葉を続けた。
慰めでも、気休めでもない。ましてや、その場しのぎの嘘でもない。
今の彼女に必要なのは、恐怖を忘れさせる甘い言葉ではなく、「まだ希望は残っている」と信じられるだけの現実だった。
実際、伝説の龍が実在した以上、あの昔話もただの作り話ではない。
勇者達は確かに奴へ辿り着き、あと一歩まで追い詰めた。
だったら――勝てない相手じゃない。
『……でも、私達は勇者なんかじゃない』
ようやく返ってきた言葉は、弱々しく震えていた。
フィーはゆっくりと首を横へ振る。
確かに、自分達は勇者ではない。
彼らと比べれば、まだまだ未熟だ。
「……ああ。俺達は勇者じゃない。あの人達に比べたら、大したことないのかもしれない。
でもさ――俺は皆のことを、本当にすげぇ奴らだと思ってる。もちろん、フィーのこともだ」
『ッ!?』
フィーが目を見開く。
それは決して気休めではない。
マヒロの剣は誰よりも頼もしい。
ミオの魔法には何度も助けられた。
ソンジさんは皆を支え続け、ギリスケだって何だかんだで力になってくれている。
そしてフィーも同じだ。
彼女の魔法や支援があったからこそ切り抜けられた場面は、一度や二度ではない。
誰一人欠けても、今の自分達はいなかった。
「たとえ俺達が勇者にも満たない未熟者だったとしても、全員で力を合わせれば、どんな困難だって乗り越えられる気がするんだ。
だからフィー。俺達と一緒に――いや、俺達を、お前の力で助けてくれないか?」
『……私が、皆を?』
「ああ。
もし手助けが欲しいなら、俺達が力を貸す。
皆で協力して、この迷宮から脱出しよう。
だから頼む。力を貸してくれ。
今日を生き抜いて、明日また皆で笑い合えるように」
「ッ!? サダメ……」
言葉を重ねるたび、自分でも分かるほど熱がこもっていく。
穏やかに語り掛けるつもりだったのに、胸の奥から込み上げる想いは抑えきれなかった。
その勢いのまま、自分はフィーの前へ跪き、深く頭を下げる。
それが、自分にできる最大限の誠意だった。
今まで口にした言葉は、すべて本心だ。
これまで幾度となく絶体絶命の危機に陥ってきた。
それでも、皆で支え合い、助け合ってきたからこそ、今こうして生きている。
今回だって同じだ。
一人では無理でも、皆で力を合わせれば必ず道は開ける。
だからこそ、フィーの力が必要だった。
最後の言葉は、誰かから教わった受け売りではある。
それでも今は、その言葉以上に自分の想いを伝えられる言葉は見つからなかった。
『……』
頭を下げたまま、返事を待つ。
本当は顔を上げて彼女の表情を見たい。
それでも動かなかった。
今ここで頭を上げてしまえば、自分の覚悟まで揺らいでしまう気がしたからだ。
ただ黙って、彼女の答えを待ち続ける。
『……ごめん』
長い沈黙の末。
ようやくフィーの口から紡がれたのは――希望でも決意でもなく、か細い謝罪の言葉だった。