転生勇者が死ぬまで10000日   作:慶名 安

5 / 38
第1章ー4

 この世界に転生してから、ちょうど一年。

 まだちゃんと喋れるようになるのは難しいが、そのことにもすっかり慣れてしまった自分がいる。もともと口数は少ないほうだったし、ばぶばぶとしか言えなくなったところで困ることは――いや、思い返してみると結構あったな。特に排泄まわりは本当に大変だ。

 

 それでも、不思議と人は慣れるものだ。前世の頃も、最初は同じように不自由さを感じていたのだろうか、などとふと思う。

 

 それはさておき、今日は朝から家の中がやけに慌ただしい。父は家中をうろちょろしながら一人でぶつぶつと呟いているし、母は……いつも通り料理をしているだけなので、原因はほぼ父で間違いないだろう。

 もっとも、その理由はなんとなく察しがついている。

 

 部屋のあちこちに飾られた紙の輪飾り。

 いつもより豪華な食事の準備。

 必要以上に並べられた椅子とテーブル。

 

 そして今日の日付を考えれば、すぐに答えは出る。

 

 今日は――自分がこの世界に生まれて一年の記念日。

 つまり誕生日だ。

 

 数日前から両親は浮かれっぱなしで、親戚を招いての誕生日パーティーを計画していた。その話を、まさか主役本人がすべて聞いていたとは思っていないだろう。

 

 「そろそろ皆、来る頃かしら?」

 

 「ああ、もうこんな時間か。そろそろ到着してもおかしくないな」

 

 昼時。準備を終えた両親が今か今かと待っていると、玄関のノック音が響いた。どうやら最初の客が来たようだ。

 

 「おお、来てやったぞイノス」

 

 「父さん、母さん、わざわざありがとう」

 

 ドアを開けると、数名の客人が立っていた。皆、母より年上に見える。そのうちの一人――母方の祖父らしき人物が、両親を見るなり優しくハグを交わす。

 見た目は父とあまり年が変わらないため、兄弟と言われても違和感がない。

 

 他には母方の祖母と伯母が二人、父方の祖母と叔父。

 合計六人の親戚が、自分の誕生日を祝うために集まってくれた。

 

 親戚に誕生日を祝ってもらう――前世ではいつ以来だっただろう。

 

 決して仲が悪かったわけではない。

 年に一度は実家に顔を出していたし、母がスーパーに買い物に来れば軽く世間話もした。関係は悪くはなかった。

 

 けれど、お互いの誕生日を祝うような習慣はいつの間にか消えていた。

 連絡も、特別な用事がない限りほとんど取らない。

 

 疎遠でもなく、親密でもない。

 学生の頃から、ずっとそんな距離感だった。

 思春期のせいもあっただろうが、結局その距離は最後まで縮まらなかった。

 

 ――もう少し親孝行しておけばよかったな。

 

 そんな思いが、胸の奥に静かに沈む。

 

 「ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデートゥーユー……」

 

 カーテンを閉めた部屋の中。

 一本だけ立てられたロウソクの灯が、小さく揺れている。

 その明かりだけで、皆の顔がはっきり見えるほど温かい光だった。

 

 「ハッピーバースデーディア、サダメ――」

 

 ……ああ。

 こういうの、いいな。

 

 楽しそうに歌う家族の姿を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなる。

 同時に、前世での後悔が押し寄せてきた。

 

 独り暮らしを選び、恋人も作らず、家族とも深く向き合わずに過ごした七年間。

 ただなんとなく生きて、なんとなく終わった人生。

 

 「ハッピーバースデー、トゥーユー!」

 

 歌が終わり、家中に拍手が響く。

 父と母が、自分の顔の近くまで寄ってきた。

 

 ――ああ、一緒にロウソクを消してくれるんだな。

 

 今の自分では、一本の火を吹き消すことすら難しい。

 

 「サダメ」

 

 父が耳元で名前を呼ぶ。

 その声は、いつもより少しだけ優しかった。

 

 「生まれてきてくれて、ありがとう」

 

 二人はそう言って、息を合わせてロウソクの火を吹き消す。

 再び大きな拍手が響いた。

 

 ……なのに。

 

 嬉しいはずなのに、胸の奥が苦しくなる。

 前世で、最後に家族と誕生日を祝ったのはいつだった?

 最後に家族全員で食卓を囲んだのは?

 

 もし自分が死ななければ、あと何度、両親と笑い合えただろう。

 

 「……あっ」

 

 気づけば、涙が頬を伝っていた。

 

 「ああああああ……」

 

 「おおお、急に暗くなったから泣いちゃったぞ」

 

 「ご、ごめんなサダメ。すぐ明るくするからな」

 

 「まあまあ、普段あまり泣かない子なのに」

 

 大声で泣きじゃくる赤ん坊。

 周囲は「暗がりが怖かったのだろう」と微笑ましく見守っている。

 

 違う。

 これは、後悔の涙だ。

 

 お父さん、お母さん。

 前世で親不孝なまま終わってしまって、本当にごめんなさい。

 

 いくら泣いても、過去は戻らない。

 それでも、泣かずにはいられなかった。

 

 ――今度は、家族をもっと大切にしよう。

 

 そう心に誓いながら、サダメは小さな拳をぎゅっと握った。

 

 ―勇者が死ぬまで、残り9635日

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。