――――――――――――――――――――――――――――――――――――?!
何が起こったのか理解できない。
そんな言葉が、その巨大な瞳から伝わってくるようだった。
捕らえられた銀鏡の翼龍が、空中で大きく身をよじる。
先ほどまで、あれほど自由に大空を舞っていた巨体。
その翼で風を切り裂き、圧倒的な力を見せつけていた伝説の魔物が――今は、たった一つの魔法によって空中に縫い止められている。
自分の身体が動かない。
翼を広げることもできない。
逃げることもできない。
その事実が、やつ自身にとっても信じられないのだろう。
――あの光の輪。
間違いない。
フィーの拘束魔法だ。
「……やった」
どうやら、本当にギリギリで彼女の魔法効果範囲内に入ることができたらしい。
胸の奥で張り詰めていた何かが、ほんの少しだけ緩んだ。
間に合った。
本当に、ギリギリだった。
あと少し遅れていたら。
あと少しやつの落下が遅かったら。
あるいは、フィーがほんの一瞬でも詠唱を遅らせていたら。
この好機は生まれていなかっただろう。
「出かした、フィー」
自然と、そんな言葉が口から漏れた。
短い言葉だった。
けれど、その一言には心からの感謝が込められていた。
フィーが作ってくれた、この一瞬。
それがなければ、俺たちは何もできなかった。
ミオが風を操り。
ソンジさんが結界とリールの魔道具を用意し。
ギリスケが命懸けで作戦に協力し。
そして、フィーが最後の瞬間に拘束魔法を決めた。
皆が必死に繋いできたものが、ようやく一つの形になったのだ。
そのおかげで――。
銀鏡の翼龍は、完全に動きを封じられている。
抗うこともできないまま、巨体は重力に引かれ、ゆっくりと地上へ向かって落下していく。
――これなら。
いける。
そう思った。
だが――。
――――――――――――――――――――――――――――――――――!!!
「ッ!?」
次の瞬間。
銀鏡の翼龍が、凄まじい勢いで身体をよじった。
「なっ!?」
翼が大きく震える。
拘束している光の輪が、軋んだ。
ギギギギギッ!!
まるで金属同士を無理やり擦り合わせたような、不快な音が響き渡る。
「マズい……!」
フィーが言っていた。
この拘束魔法は、長時間は持たない。
ほんの数秒。
それが限界だ。
当然、伝説の魔物を完全に封じ込め続けられるほど甘い魔法ではない。
このままでは、すぐに拘束を破られる。
「早く……!」
早いうちに追撃を決めなければ。
この千載一遇のチャンスを逃せば、次に同じ状況を作り出せる保証などない。
いや。
そもそも、次があるかすら分からない。
――――――――――――――――――――――――――――――――――!!!
銀鏡の翼龍が、再び身体を大きく震わせた。
光の輪に、さらに亀裂が走る。
「ッ!?」
その瞬間だった。
「サダメー!!」
「ッ!?」
聞き慣れた声が響いた。
反射的に、声のした方向へ視線を向ける。
「マヒロ!?」
地上。
そこには、こちらを見上げるマヒロの姿があった。
そして――。
彼女は俺の名前を叫ぶと同時に、地面を強く蹴った。
「――ッ!」
ドンッ!!
凄まじい衝撃とともに、マヒロの身体が飛び出す。
脱兎跳躍《ラジャスト》。
彼女の身体が、まるで弾丸のように空中を駆け抜けていく。
五十メートル近く離れていたはずの距離が、一瞬で縮まっていく。
速い。
あまりにも速い。
俺が驚いている間にも、マヒロは一気に距離を詰め――。
「サダメ!」
「お、おう!」
気が付けば、俺のすぐ隣までやって来ていた。
空中で合流。
こんな状況でも、彼女の表情に迷いはない。
「一緒にあやつを攻撃するでござるよ」
マヒロが銀鏡の翼龍を見据える。
「フィー殿が作ってくれた好機、絶対に無駄にはできぬ」
「……ああ」
俺も、やつへと視線を向けた。
その言葉に、迷いはなかった。
正直に言えば、両腕にはまだ痺れが残っている。
さっき放った【火球《フレール》・双爆拳《ブラスト》】。
あの技の反動は凄まじかった。
いや。
正確には、魔法そのものの反動だけではない。
あれだけの威力を至近距離で、あの化け物の頭部へ叩き込んだのだ。
その結果として返ってきた衝撃が、両腕に大きな負担を与えている。
指先に力を込めるだけでも、じんじんとした痺れが走った。
だが――。
「……こんなの」
俺は両手を握りしめる。
「どうってことない」
痺れていようが。
痛みがあろうが。
関係ない。
ここまで来たんだ。
出し惜しみなんてするつもりはない。
ミオが、限界寸前の身体で戦ってくれた。
ソンジさんが、血まみれになりながらロープを握ってくれた。
ギリスケだって、あいつなりに必死で作戦に協力してくれた。
そしてフィーが、最後の最後で俺たちに勝機を与えてくれた。
皆が命懸けで作ってくれた、この一瞬。
それを無駄にするなんて、絶対にできない。
「たとえ腕が千切れそうになっても……」
俺は拳を握り込む。
「倒れるまで、戦うだけだ」
――そうだ。
俺たちには、もう後がない。
だったら。
ここで全部出し切る。
その覚悟はできていた。
「けど……」
俺は改めて銀鏡の翼龍を見上げる。
「どうやって、あいつに決定的なダメージを与える?」
そこが問題だった。
自分の新必殺技。
【火球《フレール》・双爆拳《ブラスト》】。
あれだけの攻撃を直撃させて、ようやく軽傷を与えた程度。
確かにダメージは通った。
だが、倒すには至らなかった。
マヒロの攻撃も同じだ。
水龍。
赤鬼。
どちらも、これまで銀鏡の翼龍には決定打になっていない。
「最高速度を誇る鳴雷《なるいかずち》も……」
遠距離から攻撃する鎌鼬《かまいたち》も。
どれも決め手には欠ける。
「……他に、何かあるのか?」
自分の知る限り、銀鏡の翼龍を倒せるほどの攻撃は思いつかない。
どうする。
このままでは、せっかくのチャンスを生かせない。
そう思っていた。
その時だった。
「……サダメ」
マヒロが、静かに口を開いた。
「今の拙者の攻撃では、あやつに太刀打ちできる術はござらぬ」
「……」
意外な言葉だった。
いつものマヒロなら、どんな相手であろうと真っ向から斬り伏せると言いそうなものだ。
だが、今の彼女は違った。
自分の力が通じないことを、冷静に理解している。
そして――。
「だが」
マヒロの声が、僅かに変わった。
「サダメの先程の攻撃を拝見して……」
彼女は、ゆっくりと刀の柄へ手を伸ばす。
「拙者にも、名案が浮かんだでござる」
「……名案?」
思わず聞き返した。
俺の攻撃を見て、何かを思いついた?
いったい、あの技のどこからそんな発想が――。
「……」
マヒロは答えない。
ただ、静かに息を整えている。
その表情には、一切の迷いがなかった。
紅い瞳が、真っ直ぐに銀鏡の翼龍を捉えている。
そして。
ゆっくりと、刀の柄を握りしめた。
「マヒロ……?」
彼女の周囲の空気が変わる。
赤い魔力が、静かに、しかし確実に膨れ上がっていく。
「――見せてやるでござる」
マヒロが呟いた。
その声には、確かな自信があった。
「サダメ。貴殿の技を見て、拙者は一つの可能性に気づいた」
「可能性……?」
マヒロが、さらに刀を握り込む。
「拙者一人では、あやつを斬れぬ」
「……」
「ならば――」
彼女の瞳が鋭く輝いた。
「斬れる力を、拙者自身で作り出せばよい」
「ッ!?」
その言葉の意味を理解するよりも早く。
マヒロは刀を抜いた。
「――抜刀」
「【鬼龍《きりゅう》】!」