暗転。
空洞へ突入した、その瞬間。
世界から――光が消えた。
外に広がっていた白銀の氷原とは、まるで別世界だった。
上下の感覚が、一瞬にして狂う。
何が上で、何が下なのか。
自分がどこへ向かって落ちているのかすら、分からなくなる。
視界の端をかすめていくのは、凍りついた岩壁。
そして、先ほどの衝撃によって砕け散り、俺たちと共に落下していく無数の氷の破片だけだった。
「……っ」
思わず、息を呑む。
空気が――重い。
冷たいというよりも。
淀み切っている。
まるで、この場所そのものが何かを拒絶しているかのような、異様な圧迫感があった。
その中で――
「――――――――――――――――――――!!!」
先行して落下していく、銀鏡の翼龍の巨体が、辛うじて視界に捉えられた。
落下の衝撃によって削り取られた鱗。
砕け散った氷の塊。
それらが、まるで流星群のように周囲を飛び交っている。
それでも――
「……生きている」
理屈ではない。
直感だった。
あれだけの攻撃を受けた。
片翼を破壊され、頭部に一撃を叩き込まれた。
そのうえ、空洞へ落下するまでの間に、何度も岩壁や氷へと激突している。
それでも。
あの化け物は――まだ生きている。
「あの程度で死ぬような相手ではない、か……!」
「サダメ、左右に注意でござる!」
マヒロの声が響く。
「ッ!?」
即座に意識を切り替えた。
視線を左右へ走らせる。
――近い。
壁面が、すぐそこまで迫っていた。
少しでも姿勢を誤れば、俺たちはあの岩壁へと激突する。
しかも、今は落下中だ。
速度は凄まじい。
このままぶつかれば、銀鏡の翼龍と戦うどころか、俺たち自身がその前に潰されてしまう。
「くっ……!」
必死に身体を捻る。
直後。
――――――――――――――――――――!!!
空洞の底から。
大地そのものを震わせるような咆哮が轟いた。
「……っ!」
鼓膜が震える。
身体の芯まで揺さぶられる。
その咆哮だけで、全身の毛が逆立った。
やはり――。
まだ終わっていない。
銀鏡の翼龍は――生きている。
長く。
果てしなく続く暗闇。
その先に、ようやく終わりが見えてきた。
空洞の底部。
そこには、巨大な氷柱と剥き出しの岩盤が複雑に入り混じった、半ば崩落した空間が広がっていた。
そして――
「……マジかよ」
思わず、そんな言葉が漏れる。
俺たちが底へ到達するよりも早く。
銀鏡の翼龍は――すでに体勢を立て直そうとしていた。
「――――――――――――――――――――」
頭部が、ゆっくりと持ち上がる。
巨体が軋む。
砕けた氷を押し退けながら、その身体が徐々に起き上がっていく。
頭部には、俺が叩き込んだ攻撃の痕跡が残っている。
そして右翼。
そこにも、確かなダメージが刻まれていた。
火傷。
出血。
砕けた鱗。
どれも、俺たちの攻撃が確実に通った証拠だ。
落下の途中でも、岩壁や氷に何度も激突していたはず。
これだけの高さから落下したのだ。
無傷で済むはずがない。
――それでも。
「……嘘だろ」
銀鏡の翼龍は、なおも立ち上がろうとしている。
その巨体を軋ませながら。
頭部を振り。
砕けた氷を払い除け。
それでもなお――戦意を失っていない。
そして。
その全身から放たれる魔力の圧が――異常だった。
「……っ」
外にいたときよりも。
濃い。
重い。
まるで、この空洞全体に溜まっていた魔力を、あの化け物が一身に纏っているかのようだった。
空気が震える。
岩盤が軋む。
巨大な空間そのものが、銀鏡の翼龍の存在によって押し潰されているような錯覚すら覚える。
「……やはりでござるな」
隣から、マヒロの声が聞こえた。
低く。
静かな声だった。
そこにあったのは――恐怖ではない。
確信だ。
「ここが、終点でござる」
「……」
俺は、銀鏡の翼龍を見据える。
あいつは――もう飛べない。
右翼は、俺の攻撃によって大きく損傷している。
ならば。
ここが最後の戦場だ。
翼龍は、もはや空へ逃げることはできない。
俺たちもまた、この巨大な空洞から簡単に逃げ出すことはできない。
お互いに――逃げ場はない。
となれば。
先に攻め切った方が勝つ。
だが――。
「……問題は、距離か」
俺たちと銀鏡の翼龍との間には、まだ微妙な距離が空いている。
マヒロの鬼龍一刀流ならば、おそらく届く。
だが――俺の技は違う。
「火球《フレール》・双爆拳《ブラスト》」は、近距離でこそ最大の威力を発揮する。
この距離では――届かない。
いや。
正確には、届かせることはできるかもしれない。
だが、そのためには近づく必要がある。
今の俺に――その余裕はない。
腕は限界。
身体も限界。
次に同じ攻撃を放てば、今度こそ腕が壊れるかもしれない。
だからこそ。
確実に当てなければならない。
そのときだった。
「サダメ」
「ッ!?」
名前を呼ばれた。
直後。
背後から、ふわりと温もりを感じる。
「……マヒロ?」
気づけば、マヒロが俺の背後へ回っていた。
そして、そのまま優しく抱き着くようにして、身体を寄せてくる。
いや。
これは――抱き着いているわけではない。
支えているのだ。
彼女は俺の右手を掴む。
そして、その腕を――ゆっくりと前方へ突き出させた。
「この距離であれば、お主の全力も放てよう」
マヒロの声が、すぐ耳元で聞こえる。
「安心されよ」
握られた右手に、力が込められる。
「拙者が傍に居て、サダメを支えよう」
「……マヒロ」
一瞬。
何をするつもりなのか分からなかった。
だが――。
その言葉を聞いた瞬間。
すぐに理解した。
――そうか。
近づけないなら。
近距離で決められないのなら。
別の方法で――決めればいい。
俺の腕を支える。
俺の身体を支える。
そして――俺の拳を、あいつへ向ける。
「……遠距離から、決めるつもりか」
マヒロは答えない。
ただ、俺の右腕をしっかりと支えている。
その意味は――十分すぎるほど伝わった。
「火球《フレール》で……全部終わらせる」
俺は、銀鏡の翼龍を見据える。
遠い。
だが――届かない距離ではない。
マヒロがいる。
俺を支えてくれている。
ならば。
俺は――もう一度だけ。
この右腕に、残されたすべての力を込める。
「……頼むぞ、マヒロ」
「任されよ、サダメ」
銀鏡の翼龍が、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。
その瞳に――殺意が宿る。
俺もまた、拳を握り締める。
限界を超えた腕に。
残された、最後の力を。
すべて――叩き込む。
――今度こそ。
この一撃で。
終わらせる。