「……スゥゥゥゥゥ、ハァァァァ」
ゆっくりと息を吸い、静かに吐き出す。
深呼吸を繰り返すたび、荒れていた鼓動が少しずつ落ち着いていく。
だが――右腕だけは違った。
すでに限界を迎えたその腕は、痺れと激痛に耐えきれず、小刻みに震えている。
まるで武者震いのようだった。
それでも、その震える右腕を、背後からマヒロがしっかりと支えてくれている。
だからこそ、かろうじて狙いを定め続けることができていた。
――不思議だ。
命のやり取りをする極限の戦場。
本来なら恐怖で身体が震えていてもおかしくない。
それなのに、彼女がすぐ傍にいるというだけで、胸の奥が静かに落ち着いていく。
恐怖が消えたわけではない。
それでも――大丈夫だと思えた。
俺は、一人じゃない。
「爆ぜる焔よ」
再び深く息を吸い込み、意識を一点へと集中させる。
視界から余計なものが消えていく。
聞こえるのは、自分の呼吸と鼓動だけ。
そして、静かに。
だが揺るぎない意志を込めて、詠唱を紡ぎ始めた。
狙うのは、最大火力の【火球《フレール》】。
だが、ただ全力で魔力を注ぎ込めばいいわけではない。
いつものように形成すれば、巨大な火球が生まれる。
それほどの熱量を、この狭い空洞で解放すればどうなるか。
答えは明白だ。
空洞そのものが崩落する。
俺たちも、銀鏡の翼龍もろとも、生き埋めになるだけだ。
――それでは意味がない。
だからこそ、イメージする。
極限まで圧縮された火球。
大きさは、自分の手より一回り大きい程度。
だが、その小さな球体の内側へ、限界まで魔力と熱量を押し込める。
「火の球として聚合し」
詠唱と同時に、右手の前方へ焔が集まり始めた。
揺らめく炎は、暴れようとするたびに意識で押さえ込む。
魔力を逃がさない。
膨張させない。
ひたすら圧縮する。
少しでも制御を誤れば、この場で暴発しかねない。
慎重に。
繊細に。
それでいて、一切の妥協なく。
やがて――
「……よし」
狙い通りの火球が完成した。
視界を遮らないほど小さい。
しかし、その内部へ凝縮された魔力密度は、これまで形成したどの火球よりも濃い。
その熱量は、近づくだけで肌を焼くほどだった。
もし不用意に触れれば、敵より先に俺自身が吹き飛ぶだろう。
だが――問題はそこではない。
これだけの威力があっても、銀鏡の翼龍の硬質な鱗へ真正面から叩き込んだだけでは、致命傷になる保証はない。
だからこそ、待つ。
今はまだ放たない。
「眼前に現れし標的に、猛る一投を撃ちかけん」
詠唱は終盤へ入る。
意識は完全に銀鏡の翼龍だけへ向けられていた。
――必ず来る。
攻撃を叩き込める瞬間が。
その一瞬を逃さないために、火球の大きさを抑え、いつでも撃ち出せる状態を維持していた。
そして――
「――――――――――――――――――――!!!」
銀鏡の翼龍が、大きく動いた。
軋む巨体を持ち上げ、ゆっくりとこちらへ向き直る。
次の瞬間。
大きく口を開いた。
「……来たな」
翼龍の口腔へ、白く冷たい魔力が渦を巻き始める。
あの光線ではない。
もっと厄介な力。
――氷結。
昔話で語られていた、空洞そのものを永遠の氷獄へ変えた力。
あれを放たれれば、この空間は再び氷に閉ざされる。
そして翼龍は、その氷の中でゆっくりと傷を癒やすつもりなのだろう。
――させるか。
そんな時間を与えれば、次に待つのは俺たちの全滅だ。
詠唱を維持したまま、脳裏に一つの記憶が蘇る。
幼い頃、何度も聞かされた昔話。
銀鏡の翼龍は、勇者が放った特大火球によって、口の中へ致命的な大火傷を負ったという。
ならば――。
狙うべき場所は、一つしかない。
口を開き切り、氷結を放とうとする、その瞬間。
あの無防備な口腔へ、この火球を叩き込む。
それが、この怪物を倒すための唯一最大の好機だ。
「――――――――――――――――――――!!!!!!」
銀鏡の翼龍が咆哮する。
冷気は極限まで凝縮され、今まさに放たれようとしていた。
――今だ。
「――【火球《フレール》】ゥゥゥ!!!!!!」
叫びとともに、右腕を突き出す。
限界を迎えた腕を、マヒロが背後から力強く支える。
その温もりが、最後の一撃を後押しした。
圧縮され尽くした灼熱の焔が――一筋の流星となって解き放たれた。